第383話 八百屋さん、若草山の山焼き

文字数 1,093文字

 歩いて40分近くかかってしまう八百屋さんが、この頃のお気に入りだ。
 もちろんPOSレジでなく、昔ながらの手打ちレジ。店内はそんな広くないが、外にこれでもかと数々の野菜、果物。ミカンが網皿の上に鎮座し、リンゴも安くて美味しく、じゃがいもなんかいっぱい入って98円だったりする。長ネギだって、細いが4本が束になって128円とか。もう、これは嬉しいとしか言えない。
 鶏肉や生魚もあるが、これには手を出していない(ちょっとコワイ)。
 リュックに満杯になっても、千円でけっこうお釣りがくる。ありがたい。この八百屋さんがあるだけで、生きて行けそうな気がする。

 こちらの野菜に対し、何も文句はない。でも、ただ安いだけでは、ほんとうに良いとは言えない、そんな気がしてならない。ほんとうに良いもの… 野菜を育てる環境、土壌、農薬等のこと。
 といって、無農薬とか、そういう野菜は高いイメージがある。たぶん高い。それは、高いから買えない→ 需要が少ないから安くならない→ 安くないから買えない、の永久運動のような気がしないでもない。
 良いものが、もっと需要があれば、買う人が多ければ、そのうち市場に多く出回って、そんな高価でなくなるのではないか? そんな幻想を抱く。無農薬、低農薬が当たり前のような野菜たち…

 しかし農薬や除草剤が売れなくなったら困る人達がいるらしい。人間に処方する薬も、きっとそうだろう。そういった「困る人達」がいるとしたら、ほんとに困る。良いこと、子どもが見ても「良い」と判断できるものが、そうは問屋が卸さなくなるのだ。
 自然エネルギーを電力に変えようとしても、電力会社が困るので(もちろん原発を稼働させる人達も困るので)、うまいこと変えられない、という話もあながちマユツバものではない気がする。
 善の心、正しさ、ヒトは斯く生きるべし、といったようなものがあるとしたら、ずいぶん隅っこに追いやられているような…。
 そんなもん、なかったんだろうか。

 こないだ若草山の山焼きがあった。その前に15分ほど、沢山の花火があがった。家の二階から、よく見えた。一軒家とマンションの間の空間に、ちょうど打ち上げられるのだ。
 家人が花火大好きっ子なので、一緒に見た。ドーン、ドーンと音がするたび、家の壁が少し揺れた。
 見ていて、何だかなぁ、と思った。綺麗だったけど。
 なんでこんな花火あげてんだろうなぁ、とか。こんな音聞いたら、戦時下の子ども達、怖がっちゃうよなぁ、とか。
 平和なのかなぁ、とか。コロナも落ち着いて、みんな外に行く。ほんとに落ち着いたのかなぁ、とか。
 何なんだろうな、この世は、とか…。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み