第378話 呼吸をみつめていると

文字数 672文字

 微妙な発見が面白い。
 昨日は、一致する時をみた… みることはできないから、感得した、というべきだろうが、「今を生きた」というのが最も正確な表現だろう。
 呼吸をみつめていると、呼吸する身体と、それをみつめる心が意識せられた。
 身体は身体として在り、心(気持ち)がそれを意識する。この時、心と意識は同一であるかのようだった。だが、意識は後からついてくるようだった、時間の中で。
 一瞬のことだった、それは。一瞬一瞬が生まれて死ぬ、そんな感覚。

 あ、これが今だ、と感じたのは、呼吸する身体とそれをみつめる心が一致した時だった。
 いままでは、呼吸をみつめていると、心がそれを追うか先回りするかのどちらかだった。次は吸うな、次は吐くな、というのが予想できた。あ、吸ったな、吐いたな、というのも分かった。そうして追ったり先走ったりした。そういう「みつめかた」だった。
 ところが昨日のある一瞬は、その心と身体の呼吸が、みつめる心と呼吸する身体が、一致した。
 この時、この一瞬が過ぎた後だったが、あ、今をほんとうに生きた、という実感をした。
 そう気づいた時は、その一致した時間、その瞬間の、「生きている」と感じられた時は過ぎていた。

 こんな感慨は、「頭は常に過去や未来を飛び交い、今を生きていない」ことに由来する。
 あの一瞬は、過去も未来もない、今を生きている時間だった。瞬間だった。そう気づいた時も、生きていたのだったが。
 意識した時、時が過ぎたこと、ある情態があったと気づく?
 気づきは、意識か? 違う気がする。
 時間だ。
 この身体は、今も呼吸をしている。
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