第248話 マジックに穴なし、効果あり
文字数 2,181文字
というひねくれた受け止め方をしたのは束の間で、ふと不知火さんに焦点を当てると、彼女の口元が少々いたずらげに上を向いているのが見て取れた。
ひょっとして、みんなには不安がる演技をするよう、前もって言ってくれてた? もしそうだとしたら、不知火さん、念を入れすぎだよ~。
とりあえず本心では心配されていないものと理解して、私は七尾さんへ視線を戻した。
「みんなはああ言っているけれども、問題ない。ただし、一度きりよ」
「分かった、ありがと。では……」
七尾さん、すぐに指を使って調べるかと思いきや、違った。教室をきょときょとと見回して、やおら、相田先生に言った。
「先生、すみませんが、机にある定規を借りてもいいですよね?」
話し掛けられる流れとは思っていなかったらしい先生は、腰掛けた椅子の上でわずかに跳ねるような反応をした。それから、「あん? ああ、これか」と先生用のデスクにある筆立てから、三十センチある透明なプラチック定規を取った。
「いくらでも使っていいぞ。他の先生のだしな」
余計なことを挟みつつ、前に出てきた七尾さんに渡す。
「ありがとうございます。――えいっ」
七尾さんは受け取った刹那、振り向きざまに、私の手と手の間に、定規を通してきた。時代劇で殺陣でもやった経験があるのかしらと思ったほど、素早くて正確な動きだった。おかげで私は怖がる暇もなく、ただただ、定規の起こした小さな風を感じた。
コインが落ちたり、極細の糸がはらりと垂れ下がったりしなかったのは、言うまでもない。
「あれー? 不意打ちしたのに、手応えなしかぁ」
七尾さんに悪びれた様子はなく、改めて首を傾げるのみ。そしてはたと気付いたように、定規を持ったまま両手を合わせた。
「いきなりやってごめん。どうしても見破りたくなってさ」
ストレートに謝ってくれた。いえいえ、こちらこそあなたの裏を掻くようなことばかり考えて、対策を立ててきたのだから、不意打ちでも何でも、正面から受けます、はい。
「でも、コインを飛ばさないことには、まだ完全じゃないから。手応えはなくても、仕掛けが使えなくなった可能性は残ってるはず」
私の手元、特にコインをにらみつけるみたいにしてじーっと見つめる七尾さん。
「果たしてそうかしら」
ちょっぴり不知火さんの口ぶりが移ったような口上から、私は一気にコインを上向きに飛ばした。今度もうまく行ってくれた。
「……だめだー、さっぱりちっとも全然分からない。どつぼにはまったって奴?」
万歳して天井を仰ぎ見る七尾さん。かわいいのに男の子のしゃべりに拍車が掛かってるなあ。
よし。ここでだめ押しをしておこう。今なら集中しすぎて、気を取られていたはず。
「ところで七尾さん。同じことをやるだけじゃつまらないと思って、ちょっと変化を付けたんだけれども、気が付いた?」
「え。いや。まったく」
衝撃の告白でもされかのごとく、目をしぱしぱと何度も瞬きする七尾さん。私はそんな彼女の前に、右手を出してコインを見せた。
「あっ」
そこにはさっきまで使っていたコインとはデザインがまったく違う、黒字に金の縁取りを施し、真ん中に四角い穴の空いた硬貨があった(って、私が用意したんだけど)。日本の古銭――和同開珎風の、もしくは銭形平次が投げるような――を模した、やはりマジック用のコインだ。
「すご。完全にやられた」
七尾さんが驚いてくれて、本当によかった。思わず、にんまりしちゃう。
「おいおい、佐倉。いつの間に、どうやったんだ?」
森君がどもり気味に聞いてきた。声を張るのが久しぶりだったせいか、若干、しわがれているじゃないの。
「ふふ、秘密だよ」
この最後の仕掛けは誰にも言ってなかった。みんなも拍手をしてくれたということは、うまく行ったと思っていいよね。
「さあ、七尾さん。どうだった?」
これでおしまいだから、全体の感想をというつもりで聞いた。すると七尾さんは和同開珎風のコインを指差しながら、
「……うーん、悔し紛れで聞くけれども、その古銭みたいなのを、また最初のコインに戻せる?」
と聞いてきた。これには焦る。正直に答えるしかないわ。
「え? ……っと、無理」
最初からそうするつもりで準備していたなら、元のコインに戻せるかな。でも実際に用意してないから。だいたい、穴あきコインて、そうじゃないコインに比べたら扱いにくい気がする。基本的に、下に物を隠せないから。穴から見えてしまう。やり方を工夫すればある程度は隠せるけれども、より慎重さを要求される手さばきになるから、あんまりやりたくない。少なくとも今の私の腕前では。
多少の苦手意識もあって、これ以上何かしてと言われない内に、穴あき硬貨は早く仕舞っちゃおう。
「あーっ、片付けちゃうんだ」
七尾さん、至極残念そうに叫んだ。言わば本日の“主賓”をそこまで残念がらせるのは、大成功の証拠だよねと自画自賛。
「今日やろうと考えていたのは、ここまで。あとは七尾さんなら多分簡単に見破れるものしかできないよ」
「そうなんだ……いや、面白かった」
ぱちぱちぱちと拍手をくれた。何だか面はゆい。大成功と言ったって、彼女にだけは見破られないようにと、七尾さんが不得手なタイプの演目を想像し、対策した結果がこれだから素直に喜んでいいのやら、マジシャンとしてはちょっと複雑な心地だ。
つづく
ひょっとして、みんなには不安がる演技をするよう、前もって言ってくれてた? もしそうだとしたら、不知火さん、念を入れすぎだよ~。
とりあえず本心では心配されていないものと理解して、私は七尾さんへ視線を戻した。
「みんなはああ言っているけれども、問題ない。ただし、一度きりよ」
「分かった、ありがと。では……」
七尾さん、すぐに指を使って調べるかと思いきや、違った。教室をきょときょとと見回して、やおら、相田先生に言った。
「先生、すみませんが、机にある定規を借りてもいいですよね?」
話し掛けられる流れとは思っていなかったらしい先生は、腰掛けた椅子の上でわずかに跳ねるような反応をした。それから、「あん? ああ、これか」と先生用のデスクにある筆立てから、三十センチある透明なプラチック定規を取った。
「いくらでも使っていいぞ。他の先生のだしな」
余計なことを挟みつつ、前に出てきた七尾さんに渡す。
「ありがとうございます。――えいっ」
七尾さんは受け取った刹那、振り向きざまに、私の手と手の間に、定規を通してきた。時代劇で殺陣でもやった経験があるのかしらと思ったほど、素早くて正確な動きだった。おかげで私は怖がる暇もなく、ただただ、定規の起こした小さな風を感じた。
コインが落ちたり、極細の糸がはらりと垂れ下がったりしなかったのは、言うまでもない。
「あれー? 不意打ちしたのに、手応えなしかぁ」
七尾さんに悪びれた様子はなく、改めて首を傾げるのみ。そしてはたと気付いたように、定規を持ったまま両手を合わせた。
「いきなりやってごめん。どうしても見破りたくなってさ」
ストレートに謝ってくれた。いえいえ、こちらこそあなたの裏を掻くようなことばかり考えて、対策を立ててきたのだから、不意打ちでも何でも、正面から受けます、はい。
「でも、コインを飛ばさないことには、まだ完全じゃないから。手応えはなくても、仕掛けが使えなくなった可能性は残ってるはず」
私の手元、特にコインをにらみつけるみたいにしてじーっと見つめる七尾さん。
「果たしてそうかしら」
ちょっぴり不知火さんの口ぶりが移ったような口上から、私は一気にコインを上向きに飛ばした。今度もうまく行ってくれた。
「……だめだー、さっぱりちっとも全然分からない。どつぼにはまったって奴?」
万歳して天井を仰ぎ見る七尾さん。かわいいのに男の子のしゃべりに拍車が掛かってるなあ。
よし。ここでだめ押しをしておこう。今なら集中しすぎて、気を取られていたはず。
「ところで七尾さん。同じことをやるだけじゃつまらないと思って、ちょっと変化を付けたんだけれども、気が付いた?」
「え。いや。まったく」
衝撃の告白でもされかのごとく、目をしぱしぱと何度も瞬きする七尾さん。私はそんな彼女の前に、右手を出してコインを見せた。
「あっ」
そこにはさっきまで使っていたコインとはデザインがまったく違う、黒字に金の縁取りを施し、真ん中に四角い穴の空いた硬貨があった(って、私が用意したんだけど)。日本の古銭――和同開珎風の、もしくは銭形平次が投げるような――を模した、やはりマジック用のコインだ。
「すご。完全にやられた」
七尾さんが驚いてくれて、本当によかった。思わず、にんまりしちゃう。
「おいおい、佐倉。いつの間に、どうやったんだ?」
森君がどもり気味に聞いてきた。声を張るのが久しぶりだったせいか、若干、しわがれているじゃないの。
「ふふ、秘密だよ」
この最後の仕掛けは誰にも言ってなかった。みんなも拍手をしてくれたということは、うまく行ったと思っていいよね。
「さあ、七尾さん。どうだった?」
これでおしまいだから、全体の感想をというつもりで聞いた。すると七尾さんは和同開珎風のコインを指差しながら、
「……うーん、悔し紛れで聞くけれども、その古銭みたいなのを、また最初のコインに戻せる?」
と聞いてきた。これには焦る。正直に答えるしかないわ。
「え? ……っと、無理」
最初からそうするつもりで準備していたなら、元のコインに戻せるかな。でも実際に用意してないから。だいたい、穴あきコインて、そうじゃないコインに比べたら扱いにくい気がする。基本的に、下に物を隠せないから。穴から見えてしまう。やり方を工夫すればある程度は隠せるけれども、より慎重さを要求される手さばきになるから、あんまりやりたくない。少なくとも今の私の腕前では。
多少の苦手意識もあって、これ以上何かしてと言われない内に、穴あき硬貨は早く仕舞っちゃおう。
「あーっ、片付けちゃうんだ」
七尾さん、至極残念そうに叫んだ。言わば本日の“主賓”をそこまで残念がらせるのは、大成功の証拠だよねと自画自賛。
「今日やろうと考えていたのは、ここまで。あとは七尾さんなら多分簡単に見破れるものしかできないよ」
「そうなんだ……いや、面白かった」
ぱちぱちぱちと拍手をくれた。何だか面はゆい。大成功と言ったって、彼女にだけは見破られないようにと、七尾さんが不得手なタイプの演目を想像し、対策した結果がこれだから素直に喜んでいいのやら、マジシャンとしてはちょっと複雑な心地だ。
つづく