第26話 名前騒動
文字数 2,059文字
自分の選んだシュトラウス系紅茶を取り出そうと身を屈めていたところ、名前を呼ばれた。でも、“くん”付けなんておかしい。……と思ったのに、つい「はい?」と返事してしまった。
私の頭の上では、シュウさんも同じように返事をしていた。
そうなのだ。さっきの「佐倉君?」はシュウさんを呼んだに決まっている。私は一人、恥ずかしがって、しばらく立たないでいた。
「え、中島 先生。どうして……」
先生というのを聞いて、高校の先生と偶然、会ったのかなと思った。立ち上がって振り返ると、結構お歳な男性がいた。小柄で、少し背が丸くなっている。衣服の方は、パリッとしたズボンにベスト。
「弟子の穴を埋めに来たんだ。急病で出られなくなったということで、私にお鉢が回ってきたよ。孫相手にサービスする予定がパーになってしまうが、仕方がない」
「今日のゲストで先生のお弟子さんというと……どなたかいましたっけ?」
「いるよ」
中島という人はどうやらマジシャンで、本日出演されるみたい。加えて、シュウさんの師匠格? そう思って見ると、どことなく仙人めいた威厳が感じられるような気がしてきたわ。
中島さんは私達がいるのを意識したらしく、台詞の続きはシュウさんに耳打ちする形で伝えた。
「――あ、そうだったんですか。知らなかった」
「代役が務まるかな? 彼が出ないとなるとブーイングが」
「そういう冗談は苦手です。先生を知る人なら、みんな喜ぶに決まってるじゃないですか」
「はっはっは。そうだといいね。――この子らは、前に言っていた?」
急に私達四人のことを言われ、緊張した。ジュースが飲めない。
「はい。お時間があれば、紹介しますが」
「あ、いや、すまんね。ほんとはないんだ。また後日、機会を作ろう」
中島さんは最後に私達の方を見て、「今日は楽しんでいって」と言い残すと、すたすたとどこかに消えてしまった。
「なんか慌ただしかったけど、今のおじさん誰ですか」
朱美ちゃんが率直に聞いた。手にしたペットボトルの中身はもう三割ぐらいに減っている。
「ああ、やっぱり知らないか」
残念そうにため息を吐くシュウさん。
「少し前まで、テレビでも観られたんだけどな。中島龍毅 師。プロの方で、僕のマジックの先生だ」
想像は当たっていた。プロマジシャンとまでは思わなかったけれども。えっ、ということは六月から教室で教わる先生が、今の中島さんてことなのね。
「さっき、ゲストとか言っていたけれども、今日はアマチュアのショーなんだよね?」
シュウさんに聞いたのは森君。
「なのにプロの人が出る?」
「元々予定されていたのは、超が付くほど有名なアマチュアの人だったんだ。萌莉は知ってるんじゃないか」
シュウさんが私を下の名前で呼ぶと、森君がピクッと反応した。ふう、私の方は学校ではそんなに意識してなかったけれども、従兄弟のシュウさんがいる場面だと、やっぱり困ることの方が多いなぁ。
「誰?」
「ちょっと待って。プログラムをもらって来よう。受付もしてくるよ」
シュウさんが受付のテーブルの方へ行く。今回は観覧無料だけれど、アマチュアのショーでも有料のときだってあるし、氏名などを書く場合は結構多いとか。今回は、グループで来た場合は代表者一名でいいみたい。
「なあ、佐倉さん。シュウさんと話すときに、俺の名前が出ることってないわけ?」
待つ間、森君が聞いてきた。何を言いたいのかすぐに分かったので、先回りして答える。
「あったわよ、呼ぶときは、宗平君て言ってた」
「そうか。やっぱり下の名前で呼ぶしかないか」
そう言って肩を落としてしまった。そこまで気にする?
何か言おうとしたけれども私も気にしていないわけじゃないので、思い浮かばない。その内、シュウさんが戻ってきた。
「もう開場してるって。飲み物を飲み終わったら入ろう」
中に入って、まずは場所決め。
中ホールと言うけれど、意外に大きくて、五百席ぐらいありそう。ステージに対してシートの列が段々畑状になっていて、どこからも見通しはいいみたい。でも、マジックはやはり近くから観るのがいい。
「一列目は近すぎるな」
みんなで一番下まで降りてきたんだけど、シュウさんは否定的な意見を出した。
「ここだと見上げる形になって、特に君達みたいに小学生だと、ちょっと見づらいと思う。それと、演じるのはアマチュアの方達で、腕前も様々。ここだと種が見えてしまう恐れがある」
「いいじゃん。種見たい」
森君……家に訪ねたときと違うこと言ってる。さっきの名前の件で、シュウさんを恨んでるんじゃあないよね?
「だめ。ここは指導者(仮)として言わせてもらう。演じる人達は種を見破れるかって挑戦的にやってるんじゃない。観客を楽しませようと思ってやっている。だから、もう少し後ろの席で」
「分かってるよ。ちょっと言ってみただけ」
森君はそう応じると、さっさと後方に下がった。
つづく
私の頭の上では、シュウさんも同じように返事をしていた。
そうなのだ。さっきの「佐倉君?」はシュウさんを呼んだに決まっている。私は一人、恥ずかしがって、しばらく立たないでいた。
「え、
先生というのを聞いて、高校の先生と偶然、会ったのかなと思った。立ち上がって振り返ると、結構お歳な男性がいた。小柄で、少し背が丸くなっている。衣服の方は、パリッとしたズボンにベスト。
「弟子の穴を埋めに来たんだ。急病で出られなくなったということで、私にお鉢が回ってきたよ。孫相手にサービスする予定がパーになってしまうが、仕方がない」
「今日のゲストで先生のお弟子さんというと……どなたかいましたっけ?」
「いるよ」
中島という人はどうやらマジシャンで、本日出演されるみたい。加えて、シュウさんの師匠格? そう思って見ると、どことなく仙人めいた威厳が感じられるような気がしてきたわ。
中島さんは私達がいるのを意識したらしく、台詞の続きはシュウさんに耳打ちする形で伝えた。
「――あ、そうだったんですか。知らなかった」
「代役が務まるかな? 彼が出ないとなるとブーイングが」
「そういう冗談は苦手です。先生を知る人なら、みんな喜ぶに決まってるじゃないですか」
「はっはっは。そうだといいね。――この子らは、前に言っていた?」
急に私達四人のことを言われ、緊張した。ジュースが飲めない。
「はい。お時間があれば、紹介しますが」
「あ、いや、すまんね。ほんとはないんだ。また後日、機会を作ろう」
中島さんは最後に私達の方を見て、「今日は楽しんでいって」と言い残すと、すたすたとどこかに消えてしまった。
「なんか慌ただしかったけど、今のおじさん誰ですか」
朱美ちゃんが率直に聞いた。手にしたペットボトルの中身はもう三割ぐらいに減っている。
「ああ、やっぱり知らないか」
残念そうにため息を吐くシュウさん。
「少し前まで、テレビでも観られたんだけどな。中島
想像は当たっていた。プロマジシャンとまでは思わなかったけれども。えっ、ということは六月から教室で教わる先生が、今の中島さんてことなのね。
「さっき、ゲストとか言っていたけれども、今日はアマチュアのショーなんだよね?」
シュウさんに聞いたのは森君。
「なのにプロの人が出る?」
「元々予定されていたのは、超が付くほど有名なアマチュアの人だったんだ。萌莉は知ってるんじゃないか」
シュウさんが私を下の名前で呼ぶと、森君がピクッと反応した。ふう、私の方は学校ではそんなに意識してなかったけれども、従兄弟のシュウさんがいる場面だと、やっぱり困ることの方が多いなぁ。
「誰?」
「ちょっと待って。プログラムをもらって来よう。受付もしてくるよ」
シュウさんが受付のテーブルの方へ行く。今回は観覧無料だけれど、アマチュアのショーでも有料のときだってあるし、氏名などを書く場合は結構多いとか。今回は、グループで来た場合は代表者一名でいいみたい。
「なあ、佐倉さん。シュウさんと話すときに、俺の名前が出ることってないわけ?」
待つ間、森君が聞いてきた。何を言いたいのかすぐに分かったので、先回りして答える。
「あったわよ、呼ぶときは、宗平君て言ってた」
「そうか。やっぱり下の名前で呼ぶしかないか」
そう言って肩を落としてしまった。そこまで気にする?
何か言おうとしたけれども私も気にしていないわけじゃないので、思い浮かばない。その内、シュウさんが戻ってきた。
「もう開場してるって。飲み物を飲み終わったら入ろう」
中に入って、まずは場所決め。
中ホールと言うけれど、意外に大きくて、五百席ぐらいありそう。ステージに対してシートの列が段々畑状になっていて、どこからも見通しはいいみたい。でも、マジックはやはり近くから観るのがいい。
「一列目は近すぎるな」
みんなで一番下まで降りてきたんだけど、シュウさんは否定的な意見を出した。
「ここだと見上げる形になって、特に君達みたいに小学生だと、ちょっと見づらいと思う。それと、演じるのはアマチュアの方達で、腕前も様々。ここだと種が見えてしまう恐れがある」
「いいじゃん。種見たい」
森君……家に訪ねたときと違うこと言ってる。さっきの名前の件で、シュウさんを恨んでるんじゃあないよね?
「だめ。ここは指導者(仮)として言わせてもらう。演じる人達は種を見破れるかって挑戦的にやってるんじゃない。観客を楽しませようと思ってやっている。だから、もう少し後ろの席で」
「分かってるよ。ちょっと言ってみただけ」
森君はそう応じると、さっさと後方に下がった。
つづく