第200話 お茶目な人がいるものだ
文字数 1,984文字
「今朝、私にやったのと同じ物でも違う物でもかまわないから、とにかく先輩二人を驚かせて」
「もちろん」
「――あそこよ」
五メートルほど先の突き当たりにドアが見える。演劇部部室のプレートが出ていた。話ながら歩くと時間が短く感じられる。
(――って、三分も経ってないや。五分ていうのは多めに見積もった時間だろうからしょうがない)
「ちょっぴり早く着いたみたいだけど、どうすればいい?」
「すぐにでも始められるってこと?」
「まあやろうと思えばできるよ」
マジシャンにとって出番が押したり早くなったりすることは、しばしばある。時間を精密に計測する必要のある演目でない限り、柔軟な対応を心掛けねばならない。
(ジョークなのか都市伝説なのか、前の人の漫才が長引いたおかげで、その次が出番だったマジシャンが舞台で鳩を出したら、ぐったりして床に落ちたとかいう話を聞くし、慎重に。――これからやろうとしている演目には、時間は関係ない、うん)
「それじゃ、お願いするわ。先に私が入って一応確認取るから、合図したら入って来て。そして初対面の挨拶を忘れずに」
「分かった」
先輩がいるからか、梧桐の方が多少ぴりぴりしているようだ。秀明は人の振り見て我がふり直せではないが、リラックスに努める。
「うん?」
目の前でドアがバタンと音を立てて閉まった。
(おいおい、梧桐さん大丈夫かな。ドアを閉められたら君の合図が見えないんだけど。やっぱり先輩って怖い存在なんだろうか)
さてこれは困ったことになった、と言えるのかどうか微妙だ。腕組みをして考える。
(まあ、普通なら気付くよね。梧桐さんが呼びに来るはず。まさかドアの方を振り返らずに合図をくれるなんてことはあるまい。たとえそうだとしても反応がなかったら振り返るに決まってる。こちらからドアを開けて覗かなくても平気だろう)
成り行きに任せよう、と決めたそのとき。
背後から人の気配を感じたが、秀明が動くよりも早く、背中のちょうど真ん中付近に何か細い物の先端を押し当てられた。
「ホールドアップ」
「はい?」
銃口を押し当てたとでも言うのか。あり得ないだろ。そう思った秀明だが、後ろにいる低い声の女子が続けて「怪しい奴。部屋のドアの前に立って、入るでもなくノックするでもなし。じっと見つめていたのはどう考えても怪しい」と呪文を唱えるかのように淡々と述べ立てるのを聞いて、素直に従った。
「降参します。が、怪しくはありません」
「ほう。申し開きをするのか」
「え、ええ。あの、振り返ってもいいですか」
「言い訳するには口が動けば充分であろう」
「しかし、そんな指で銃の形を作って脅すのも必要があるとは思えませんが」
後ろのにいる女性の姿を想像しながら言った。
「君は一年生だな。誤解しているようだが、ここにあるのは本物――」
台詞の途中で背中に当たっていた感触が消え、代わって右肩を越えて何か黒光りする物をぐいと突き出された。
相変わらず両手を上げた格好のまま、横目で窺う秀明。
「え、ほんとに拳銃?」
びっくりしてそのまま振り向いてしまった。彼の鼻先に銃口が向いた。
「本物――と見紛うばかりにそっくりな銃だ」
黒髪が肩まである女子生徒が言った。学年章で三年生と分かる。秀明より少し背が高く、左目の方だけ前髪で隠していた。ぱっと見は気だるい雰囲気で癖の強そうな、でも美人だという評価を下すだろう、たいていの男子は。
「モ、モデルガンてことですか」
「そうだ。武山 先生にお願いして借りてきた」
「――演劇で使うんですね?」
「お、当たり」
モデルガンを引き、銃口を上に向ける女子。拳銃の黒が反射して映ったかのように、右手の小指側が黒っぽく見える。
「演劇部の小見倉紗英 。君はもしかしたら、マジックが得意だという一年生君か」
「はい。約束した時間よりも少し早く着いたので、今、先に梧桐さんが部屋に入って、部長さん達に説明しているところでした」
「それはすまなかった。色々詫びねばならないな」
モデルガンを持て余したように、空いている左手だけ腰のサイドに当てる三年女子。
「まず、モデルガンの件は許してもらいたい。お茶目なジョークのつもりだった」
「もちろんいいですよ」
「それから、君が言う部長さんだが、今部室の中にはいない。時間ぴったりにいればいいと思ったのでな。ちょうどいい空き時間だと思い、このモデルガンをお借りしに行っていたのだ」
「ということは、小見倉さんが演劇部の部長さんですか」
「そういうことになっている」
認めると、依然として銃を持て余したまま、中途半端に腕組みをした。
秀明はお辞儀をしようとしたが、後方でドアの開く音がするのが早かった。
「ごめんなさーい、所用でほんのちょっぴり遅れるみたいだから、中に入って――」
梧桐が台詞をぴたりとやめたのは、もちろん部の先輩に気が付いたからに違いない。
つづく
「もちろん」
「――あそこよ」
五メートルほど先の突き当たりにドアが見える。演劇部部室のプレートが出ていた。話ながら歩くと時間が短く感じられる。
(――って、三分も経ってないや。五分ていうのは多めに見積もった時間だろうからしょうがない)
「ちょっぴり早く着いたみたいだけど、どうすればいい?」
「すぐにでも始められるってこと?」
「まあやろうと思えばできるよ」
マジシャンにとって出番が押したり早くなったりすることは、しばしばある。時間を精密に計測する必要のある演目でない限り、柔軟な対応を心掛けねばならない。
(ジョークなのか都市伝説なのか、前の人の漫才が長引いたおかげで、その次が出番だったマジシャンが舞台で鳩を出したら、ぐったりして床に落ちたとかいう話を聞くし、慎重に。――これからやろうとしている演目には、時間は関係ない、うん)
「それじゃ、お願いするわ。先に私が入って一応確認取るから、合図したら入って来て。そして初対面の挨拶を忘れずに」
「分かった」
先輩がいるからか、梧桐の方が多少ぴりぴりしているようだ。秀明は人の振り見て我がふり直せではないが、リラックスに努める。
「うん?」
目の前でドアがバタンと音を立てて閉まった。
(おいおい、梧桐さん大丈夫かな。ドアを閉められたら君の合図が見えないんだけど。やっぱり先輩って怖い存在なんだろうか)
さてこれは困ったことになった、と言えるのかどうか微妙だ。腕組みをして考える。
(まあ、普通なら気付くよね。梧桐さんが呼びに来るはず。まさかドアの方を振り返らずに合図をくれるなんてことはあるまい。たとえそうだとしても反応がなかったら振り返るに決まってる。こちらからドアを開けて覗かなくても平気だろう)
成り行きに任せよう、と決めたそのとき。
背後から人の気配を感じたが、秀明が動くよりも早く、背中のちょうど真ん中付近に何か細い物の先端を押し当てられた。
「ホールドアップ」
「はい?」
銃口を押し当てたとでも言うのか。あり得ないだろ。そう思った秀明だが、後ろにいる低い声の女子が続けて「怪しい奴。部屋のドアの前に立って、入るでもなくノックするでもなし。じっと見つめていたのはどう考えても怪しい」と呪文を唱えるかのように淡々と述べ立てるのを聞いて、素直に従った。
「降参します。が、怪しくはありません」
「ほう。申し開きをするのか」
「え、ええ。あの、振り返ってもいいですか」
「言い訳するには口が動けば充分であろう」
「しかし、そんな指で銃の形を作って脅すのも必要があるとは思えませんが」
後ろのにいる女性の姿を想像しながら言った。
「君は一年生だな。誤解しているようだが、ここにあるのは本物――」
台詞の途中で背中に当たっていた感触が消え、代わって右肩を越えて何か黒光りする物をぐいと突き出された。
相変わらず両手を上げた格好のまま、横目で窺う秀明。
「え、ほんとに拳銃?」
びっくりしてそのまま振り向いてしまった。彼の鼻先に銃口が向いた。
「本物――と見紛うばかりにそっくりな銃だ」
黒髪が肩まである女子生徒が言った。学年章で三年生と分かる。秀明より少し背が高く、左目の方だけ前髪で隠していた。ぱっと見は気だるい雰囲気で癖の強そうな、でも美人だという評価を下すだろう、たいていの男子は。
「モ、モデルガンてことですか」
「そうだ。
「――演劇で使うんですね?」
「お、当たり」
モデルガンを引き、銃口を上に向ける女子。拳銃の黒が反射して映ったかのように、右手の小指側が黒っぽく見える。
「演劇部の
「はい。約束した時間よりも少し早く着いたので、今、先に梧桐さんが部屋に入って、部長さん達に説明しているところでした」
「それはすまなかった。色々詫びねばならないな」
モデルガンを持て余したように、空いている左手だけ腰のサイドに当てる三年女子。
「まず、モデルガンの件は許してもらいたい。お茶目なジョークのつもりだった」
「もちろんいいですよ」
「それから、君が言う部長さんだが、今部室の中にはいない。時間ぴったりにいればいいと思ったのでな。ちょうどいい空き時間だと思い、このモデルガンをお借りしに行っていたのだ」
「ということは、小見倉さんが演劇部の部長さんですか」
「そういうことになっている」
認めると、依然として銃を持て余したまま、中途半端に腕組みをした。
秀明はお辞儀をしようとしたが、後方でドアの開く音がするのが早かった。
「ごめんなさーい、所用でほんのちょっぴり遅れるみたいだから、中に入って――」
梧桐が台詞をぴたりとやめたのは、もちろん部の先輩に気が付いたからに違いない。
つづく