第228話 目の付け所
文字数 2,110文字
観客がマジシャンの手元や動きに注意を向けるのはいつものこと。秀明も慣れている。だけど。
(何か気になるな。やりにくいっていうのともちょっと違う……いや、今は集中だ)
五十三枚のカードの扇を閉じ、再び一つの山にすると、全体をひっくり返し、裏向きの状態で左手のひらに載せた。ここで七尾の顔を見る。
「これからトランプをシャッフルします。好きなタイミングで『ストップ』と言ってくれたらそこで止めるから、ストップを掛けてください」
「うん。分かった」
七尾がうなずくと同時に、トランプを切り始める。リフルシャッフルを五回ほどやった段階で、七尾が「ストップ!」と叫んだ。
「おっ、早いね。ほんとに、ここでいいのですか?」
手を止め、微笑してみせる秀明。七尾の方は笑いこそしていないが、目をくりくりさせて楽しげではある。
「全然、問題なしだよ。僕は僕の好きなところでストップした」
やっぱり一人称は“僕”らしい。
リアルで僕っ子を見たのは初めてだと思いつつ、秀明はトランプから右手を離すと、人差し指をぴんと伸ばし、トップのカードを押さえた。
「それでは七尾さん。一番上のカードをめくって、数字を見えるように、この上に置いてください」
「みんなに見せていいんだよね?」
「いいよ」
七尾は言われた通りにした。現れたのは、ハートの3。
秀明は「これは何のカードかな?」と、七尾に再確認をさせた。当然、「ハートの3」と答が返ってくる。
「確かにハートの3だよね。じゃあ、お嬢さん。このカードをまたひっくり返して、元のようにしてください」
「見えないようにってこと?」
「はい」
裏向きになったハートの3が、カードの山の頂上に伏せられた。秀明はもう一度、その一番上のカードを指差した。そしてもったいぶった調子で尋ねる。
「ではくどいようだけれども、お聞きします。このカードは何?」
このやり取りがカードマジックだと知らずに見たとしたら、頭のおかしな人に思われるかもしれない。自覚しつつも、秀明はこのルーティーンを好んで使った。小さな子供を相手に披露する際は、今何をしているのか、覚えたカードは何だったかを殊更に印象づけなければならないという考えからだ。ましてや今、目の前にいる子はマジックに関してほぼ素人だという。いつも以上に念押ししてもいいだろう。
「だからハートの3」
七尾がとりあえずという風に答える。目つきが少し鋭くなったようだ。といっても、秀明のしつこい問い掛けに怒ったのではなく、何かを予感して警戒している様子だ。
「本当にハートの3だったかな? 変えるのなら今の内だよ」
秀明は決まり文句を口にした。
「……変えた方がいいみたいだけれど、残りトランプの何に変えたらいいのか分からないから、このままでいい」
七尾は妙な理屈を口走り、大きな動作で頷いた。
(何かこの子相手だと……やりにくいな)
秀明はほんの一瞬、苦笑を浮かべてから、カードを押さえていた人差し指を滑らせ、そのまま摘む形に持って行く。
「めくって、確かめてみることにしよう」
言うや否や、えいとばかりにカードを裏返す。現れたのはハートの3ではなく、クラブのキングだった。
「あれ?」
七尾は何度か瞬きを繰り返し、クラブのキングを見つめた。「ふしぎー」とも「すごい!」とも言わない。マジック教室の仲間がぱらぱらと拍手する中、ただただ、カードを見ている。
演じた当の秀明は戸惑っていた。このあとどうしよう?
(驚いてくれたのなら、次にすっと移れるんだけどな。この子、じーっと見ているだけ。いや、それに考えているのかな?)
改めて七尾の顔に視線を転じてみる。彼女は黙りこくっていた。変化したカードを見つめる横顔は、目の前で起きた現象の分析を始めたかのようだった。
秀明は師匠の方に顔を向けた。すると目で問うまでもなく、演目を続けるようにと手振りで示される。
秀明は気を取り直し、予定通りに進めることに決める。
「えっとね、七尾さん。ハートの3はどこに行ったのかというと、こうして」
口上を述べつつ、クラブのキングを裏返してまた山に重ねる。そして間を置かずに、再びめくってみせた。
クラブのキングだったはずのカードが、ハートの3に戻っていた。
「おお」
七尾は少女らしくない――いや、“僕っ子”らしいと言えるのか――低い声で反応した。
「おや? まだここにあったみたいだよ」
秀明の台詞が耳に届いているのかいないのか、七尾はまたもやカードをじっくりと、それこそ穴を空けそうな目つきで見入っている。しょうがないのでしばらく動きを中断し、秀明が待っていると、
「もう一回、クラブのキングを出せる?」
七尾が何故かおかしそうに聞いて来た。
リクエストを受け、秀明は「お安いご用」と大きく首肯すると、右手の人差し指と親指とを擦り合わせ、山のトップカードをめくった。もはや当然のごとく、クラブのキングが現れる。二度目なので驚きは減ったが、不思議さはまだまだ残っているはず。
(この子、割と声に出してリクエストしてくるタイプみたいだけど、まさか手を伸ばしては来ないだろうな)
念のため注意を払いながら秀明は仕上げに掛かる。
つづく
(何か気になるな。やりにくいっていうのともちょっと違う……いや、今は集中だ)
五十三枚のカードの扇を閉じ、再び一つの山にすると、全体をひっくり返し、裏向きの状態で左手のひらに載せた。ここで七尾の顔を見る。
「これからトランプをシャッフルします。好きなタイミングで『ストップ』と言ってくれたらそこで止めるから、ストップを掛けてください」
「うん。分かった」
七尾がうなずくと同時に、トランプを切り始める。リフルシャッフルを五回ほどやった段階で、七尾が「ストップ!」と叫んだ。
「おっ、早いね。ほんとに、ここでいいのですか?」
手を止め、微笑してみせる秀明。七尾の方は笑いこそしていないが、目をくりくりさせて楽しげではある。
「全然、問題なしだよ。僕は僕の好きなところでストップした」
やっぱり一人称は“僕”らしい。
リアルで僕っ子を見たのは初めてだと思いつつ、秀明はトランプから右手を離すと、人差し指をぴんと伸ばし、トップのカードを押さえた。
「それでは七尾さん。一番上のカードをめくって、数字を見えるように、この上に置いてください」
「みんなに見せていいんだよね?」
「いいよ」
七尾は言われた通りにした。現れたのは、ハートの3。
秀明は「これは何のカードかな?」と、七尾に再確認をさせた。当然、「ハートの3」と答が返ってくる。
「確かにハートの3だよね。じゃあ、お嬢さん。このカードをまたひっくり返して、元のようにしてください」
「見えないようにってこと?」
「はい」
裏向きになったハートの3が、カードの山の頂上に伏せられた。秀明はもう一度、その一番上のカードを指差した。そしてもったいぶった調子で尋ねる。
「ではくどいようだけれども、お聞きします。このカードは何?」
このやり取りがカードマジックだと知らずに見たとしたら、頭のおかしな人に思われるかもしれない。自覚しつつも、秀明はこのルーティーンを好んで使った。小さな子供を相手に披露する際は、今何をしているのか、覚えたカードは何だったかを殊更に印象づけなければならないという考えからだ。ましてや今、目の前にいる子はマジックに関してほぼ素人だという。いつも以上に念押ししてもいいだろう。
「だからハートの3」
七尾がとりあえずという風に答える。目つきが少し鋭くなったようだ。といっても、秀明のしつこい問い掛けに怒ったのではなく、何かを予感して警戒している様子だ。
「本当にハートの3だったかな? 変えるのなら今の内だよ」
秀明は決まり文句を口にした。
「……変えた方がいいみたいだけれど、残りトランプの何に変えたらいいのか分からないから、このままでいい」
七尾は妙な理屈を口走り、大きな動作で頷いた。
(何かこの子相手だと……やりにくいな)
秀明はほんの一瞬、苦笑を浮かべてから、カードを押さえていた人差し指を滑らせ、そのまま摘む形に持って行く。
「めくって、確かめてみることにしよう」
言うや否や、えいとばかりにカードを裏返す。現れたのはハートの3ではなく、クラブのキングだった。
「あれ?」
七尾は何度か瞬きを繰り返し、クラブのキングを見つめた。「ふしぎー」とも「すごい!」とも言わない。マジック教室の仲間がぱらぱらと拍手する中、ただただ、カードを見ている。
演じた当の秀明は戸惑っていた。このあとどうしよう?
(驚いてくれたのなら、次にすっと移れるんだけどな。この子、じーっと見ているだけ。いや、それに考えているのかな?)
改めて七尾の顔に視線を転じてみる。彼女は黙りこくっていた。変化したカードを見つめる横顔は、目の前で起きた現象の分析を始めたかのようだった。
秀明は師匠の方に顔を向けた。すると目で問うまでもなく、演目を続けるようにと手振りで示される。
秀明は気を取り直し、予定通りに進めることに決める。
「えっとね、七尾さん。ハートの3はどこに行ったのかというと、こうして」
口上を述べつつ、クラブのキングを裏返してまた山に重ねる。そして間を置かずに、再びめくってみせた。
クラブのキングだったはずのカードが、ハートの3に戻っていた。
「おお」
七尾は少女らしくない――いや、“僕っ子”らしいと言えるのか――低い声で反応した。
「おや? まだここにあったみたいだよ」
秀明の台詞が耳に届いているのかいないのか、七尾はまたもやカードをじっくりと、それこそ穴を空けそうな目つきで見入っている。しょうがないのでしばらく動きを中断し、秀明が待っていると、
「もう一回、クラブのキングを出せる?」
七尾が何故かおかしそうに聞いて来た。
リクエストを受け、秀明は「お安いご用」と大きく首肯すると、右手の人差し指と親指とを擦り合わせ、山のトップカードをめくった。もはや当然のごとく、クラブのキングが現れる。二度目なので驚きは減ったが、不思議さはまだまだ残っているはず。
(この子、割と声に出してリクエストしてくるタイプみたいだけど、まさか手を伸ばしては来ないだろうな)
念のため注意を払いながら秀明は仕上げに掛かる。
つづく