サイドストーリー:火と水の邂逅 その3

文字数 3,057文字

 不知火さんの話は興味深かった。
 全然別の角度からだけど、私は推理小説を書いていて、日本語って便利だな、日本語を使う国の人でよかったと感じることがある。
 どんな場合かというと、ダイイングメッセージや暗号をテーマにした推理小説を書くとき。
 日本語がもしも平仮名だけだったら、作れるダイイングメッセージや暗号なんてたかがしれているし、今よりもずっと単純な物になってしまう。平仮名に片仮名に漢字、アルファベットが日常の暮らしの中に溶け込んでいるからこそ、文字をベースとした謎が作りやすい。多種多様な解釈が可能になり、謎として複雑になるだろう。
 仮に、彼女が言っていた外来語を日本語にする努力が完璧になされていたとしたら、私が感じるこのありがたみはなかったかもしれない。そんな風に想像すると、今の日本語って、なかなかいい具合にバランスが取れてるんじゃない?
 不知火さんは、外国語がそのまま入ってくる量が増えすぎなのが気に入らないみたい。その気持ちも理解できる。単純に覚える言葉が多くなるのは負担だし、外国語そのまんまだと元の意味を全く想像できないことが多いし、何でこの日本語に言い換えないの?その方が絶対に分かり易いのに!って言葉も結構ある。
 推理小説――小説を書こうとする者として、そういったことも意識して頭の片隅にとどめておくのがいいかなと思った。
 そしてもう一つ思ったことがある。
 不知火さんともっと話したい。

             *           *
 土曜の午後。
 外は雨がしと降り、普段に比べれば街の喧騒は柔らかく包まれていた。ショッピングモールを形成するこのビルの中も、利用者は多くはない。
 不知火遙は本をそっと閉じると、両手で机の上に置いた。書店で着けてもらったカバーの手触りが、案外心地よい。
 ほぅ……と息が自然に出る。目を伏せがちにして、今し方疑似体験したばかりの世界をもう少したゆたってから、現実へ戻るとしよう。
“ページをめくる手の遅さがもどかしい。それでいながら、読み終わるのが惜しい。”
 そんな本に出会えることは希である。希であるが故に、読みたい気持ちをセーブして、読み終わるのを少しだけ先延ばししようという意識が働く。
 幸いにも、今手にしているのは小説の短編集だ。区切りのいいところで本を閉じれば、物語の余韻に浸りつつ、続きをしばらくは辛抱できる。
 不知火は目を開けた。
 ここは書店に併設されたカフェコーナー。買ったばかりの本を落ち着いた環境で、すぐに読める。書店での本の購入者かつ中学生以下ならコーヒー一杯が無料でもらえるシステムが好評なのもあって、席は八割方埋まっている。もちろん、みんな静かにしている。
 不知火は自分のテーブルの上に視線を落とした。本の他には、カップに半分ほど残っているコーヒー。冷め切っていることだろう。
(毎回、申し訳なく思います。この無料サービスの一杯で何時間も粘っていいものなのかと)
 それから本に手を掛けた。続きの、最後の一編を読みたい衝動に駆られるも抑え込み、コーヒーの残りを全部飲んだ。甘さ控え目で、冷めるとほとんどブラックコーヒーだ。
 本を手に席を立ち、カップをカウンターに返す。小さな声でごちそうさまと言いながら。
 ショッピングモールの通りに出て、利用したばかりの書店の前をやや足早に行く。
 すると。
「あ」
 まるで待ち構えていたかのようなタイミングで、書店から人が出て来た。ぶつかりそうなところを、危うく避ける。相手も同じぐらいの年頃、背格好の女の子……。
「水原さんでは?」
「うん? あ、不知火さん。奇遇だね」
 本を小脇に抱えた相手、水原玲はやけに嬉しそうな顔をして言った。そのまま、にぱーっと擬態語が音になって聞こえて来そうな笑みを続け、本を身体の前で両手に持ち替える。
「どうかしました?」
「え?」
「ぶつかりそうなくらいな勢いで本屋さんからできたので、さぞかし急いでいるのかと思ったのですが、違いましたか」
「うん、急いではいない。欲しかった本を手に入れた感激で、ちょっと急ぎ足になっていたかもしれないけれどね。早く読みたい」
 その本を顔の辺りに掲げ持つ。不知火は「そうですか。では」と過ぎ行こうとした。けれども、水原に呼び止められる。
「あ、待って、不知火さん」
「何か」
「名前、覚えてくれてたのね」
「それはまあ、クラスメートですし、図書室でよく見掛けますし、何よりも小説を書いているという人のことは気になります」
「知ってくれてるんだ。学校ではほぼ話さないから、知られているとは思ってなかったわ」
「あの。早く読みたいのでしたら、隣に行くつもりだったのでは」
 先程までいたカフェへと目線をやる不知火。水原は首を水平方向に何度か振った。
「使ってみたいのは山々なの。でも実は私、コーヒーがあんまり好きじゃなくって。薫りもたまに、これだめだっていうのがある」
「なるほど」
 小説家がコーヒーを何杯も飲んで眠気を取るというイメージがあったため、意外に感じた。
「それよりも不知火さんとここで会えたのも何かの縁だと思って、お話がしたいな。だめ?」
「いえ。都合は悪くありません」
 前から一度は話してみたいと思っていた。不知火個人にとっても、水原玲は興味ある存在だ。
「かまいませんが、さっきのカフェが利用できないとなると、どこか適当な場所があるのかどうか」
 雨が降っていなければ、外の広場でも公園でもいいのだろうけれど。
 と、不知火の目の前で、水原は顎に片手をやって目は上を見つめつつ、考え込む様子を見せた。それから顎の手を離すと、今度は額に当てた、悩める刑事か探偵みたいだ。
 最終的に、片手の人差し指を縦向きにぴんと伸ばし、おもむろに口を開く。
「バーガーショップは?」
「はい?」
「ここのモール、一階にバーガーショップがあるわ。今日は私がおごる。そこで話をしましょ」
「それは悪いです」
「大丈夫。さっき、財布の中身を思い出したところだから」
「でも。正直なところを言うと、バーガーショップはうるさいので、水原さんと話をするのにふさわしいとは思えません」
「あ、それは確かに」
 考えていなかったとばかり、また片手を額にやって、頭を抱える仕種の水原。
「あの騒がしさの中で会話するのなら、無駄にお金を使わずに、フードコートのイートスペースで充分だと思います」
「え? あそこって周りのお店のどれかで何か買わないとだめなんじゃないの?」
「そんなことないと思います。もちろん、混雑しているときは本当に食事したい人達の迷惑になるからマナー違反でしょうけれど、通常は休憩場所も兼ねているはずですよ」
 不知火が教えると、水原の表情が驚きから感心へと変化した。
「知らなかった。何にでも興味を持たなきゃいけないと思ってるのに」
「 ――その心掛けは、小説を書くため、ですか」
「え、よく分かったわねー。そうよ」
「え、よく分かったわねー。そうよ。ありとあらゆることが小説を書く参考になるかもしれないし、トリックを思い付くヒントにつながっているかもしれないもの」
 水原の返答に、不知火は唇の端で微かに笑った。恐らく誰も気付かないような。
「それでは、その勉強を兼ねて、フードコートにしましょうか」

 『火と水の邂逅』おわり

※『魔法遣いによろしく』本編は続きます。
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登場人物紹介

佐倉萌莉《さくらもり》。小学五年生。愛称はサクラ。マジック大好き。普段はどちらかと言えば引っ込み思案。

木之元陽子《きのもとようこ》。サクラの同級生。元気印で耳年増。

不知火遥《しらぬいはるか》。同級生。本好きで寡黙。大人びて少しミステリアスなところも。

佐倉秀明《さくらしゅうめい》。高校一年生。マジックが趣味。萌莉の従兄弟で憧れ。

相田克行《あいだかつゆき》。五年五組の担任。ぼさーっとしていて、よく言えば没頭型学者風、悪く言えば居候タイプ。やる気があるのかないのか。

金田朱美《かねだあけみ》。クラスは違うがサクラの友達。宝探しが夢。

土屋善恵《つちやよしえ》。同じくサクラの友達。愛称つちりん。オカルト好きだけど現実的な面もある。

水原玲《みずはられい》。サクラの同級生。推理小説好きが高じて文芸部に。

森宗平《もりそうへい》。サクラの同級生。クイズ・パズルマニア。

内藤肇《ないとうはじめ》。サクラの同級生でクラス委員長。女子からの人気高し。

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