第220話 王女の言葉
文字数 2,028文字
同意を求める宗平。聞き手を代表する格好になっている水原は、しばしの思案の後に「ええ、まあ気付きにくいとは思う」と認めた。
「ただし、森君が見たという夢の中の物語が、現代みたいな明かりがなくて、夜は闇の方が圧倒的に勝っている世界だとしてよ」
「少なくとも電灯はなかった」
夢の中の世界にいる間、夜を迎えなかった宗平には、そう答えるくらいしかできない。
「とりあえず、毒薬の表面を天井と同じ色にしたところまでは認める。でも、それと密室の謎がどうつながるのかしら?」
「貼り付けておいた毒薬が夜中に落下して、下のベッドで寝ていたナイト・ファウストの口に飛び込んだ。突然のことに思わず飲み込んでしまい、そのままお亡くなりになった……どうだ?」
「どうだと言われても」
眉根を寄せ、尖らせ気味だった唇を噛み締める水原。返事をどうしようか、戸惑いが露わだ。それほど、宗平の唱えた仮説は突飛もない、トリックと呼ぶにはあまりにも稚拙だった。
「あのね、森君。これから言うことは悪口とかけなすとかじゃないから、そのつもりで聞いてよ」
「ああ」
教室の緊迫感がちょっぴり増した。水原は短めの深呼吸のあと、意見を述べ始める。
「正直な感想を言わせてもらうと、犯人が仕掛けたトリックとしては、認められないと思う。ベッドで横になっている人の命を狙って、口の真上の天井に毒を貼り付けたとして、それをどうやって落とすのか。部屋に被害者が一人でいて、しかも鍵を内側から掛けたタイミングでなければならない。仮に思い通りのタイミングで落とせたとしてもよ、口の中に入る確率は? 口に変な物が入った被害者は飛び起きて、すぐに吐き出すかもしれない。人の命を奪おうっていう計画犯罪に用いるにしては、確実性が低すぎると思うわ」
「うーん、そうかー」
宗平は腕組みをして首を傾げる仕種を見せた。
「そんなに欠点があるとは。全部は数えていなかった」
「そう言うからには、欠点があること自体は承知していたのね?」
「まあ、最初はな。いくら俺でもこの答が無理矢理っていうのは分かる。だけど、見方を変えればありなんじゃないかなあって思えてきたんだ」
「見方を変えるって、どこをどう?」
水原はきつめの口調になって聞き返した。少々むきになったのは、彼女にとって宗平の仮説はどう料理しても作品に使えないトリックだからかもしれない。
「えっと、ほぼ全部と言えるかも」
「全部……」
あきれたという風に、いからせていた肩を下ろす水原。
「まあ、パズル好きの思い付きを聞いてくれ。すべては事故だったんじゃないかと思うんだ」
殺人事件の捜査だったはずが、いきなり事故と言い出されて、場にいる他の者達が一斉にざわつく。宗平は鎮まるのを敢えて待たずに続けた。
「犯人は毒を天井に仕掛けたが、ファウスト侍従長を殺すつもりはなかった。単に脅したかっただけなんじゃないか」
「脅しで毒を貼り付ける? 意味が分かんない」
「毒を仕掛けてから一夜明けて、起きてきたファウストに犯人は天井を指差しながら、言うつもりだったんじゃないかな。『運が悪ければ死んでた』とか『いつでも命を奪える』とか」
「そんな――」
ばかなことって云々と、水原は言おうとしたのかもしれない。でも宗平が先手を打った。
「思い出してほしいことがある。事件のあと、王女がファウスト侍従長との思い出をしゃべった場面だ。
『――仕事の間中はずっと、怖いくらいに引き締めた表情でいるのに、夜、眠ってしまうとだらしなく口を開けるのですよ。寝ている姿勢は、直立不動がそのまま横になったみたいなのにね。――』
みんなは覚えているかどうか知らないが、王女は侍従長についてこんな風に語っていた。注目して欲しいのは二箇所。ファウスト侍従長は寝ているとき、『だらしなく口を開ける』『寝ている姿勢は、直立不動がそのまま横になった』という辺りだ。これらの話からファウストの寝ている姿を想像すると、どんな絵が思い浮かぶ?」
誰に聞いてもよかったんだが、宗平は佐倉を見た。
「王女様からは顔が見えるのだから仰向けで、口を開けている、かな?」
思惑通りの返事に、宗平は「だよな」と機嫌よく呼応した。
「付け加えると、直立不動が横になったってことは、仰向けのまま寝て、身体は動かないって意味に解釈できるだろ。だとしたら、枕の真上の天井に毒を仕掛けておいて、それを落とすと、ファウストの口に入る可能性はかなり高いんじゃないかと思うんだ。脅しに使うのには充分じゃないかなあ?」
改めて水原を見る宗平。全員の中で一番のミステリ専門家と言える彼女を説得できれば、事件解決だ。
「確かに言う通りだわ」
果たして水原は主張の一部を認めた。感嘆の響きが声に含まれている。
「被害者の寝ている姿なんて、まったく考えもしなかった。王女の発言は重大な手掛かりである可能性が高いわ」
つづく
「ただし、森君が見たという夢の中の物語が、現代みたいな明かりがなくて、夜は闇の方が圧倒的に勝っている世界だとしてよ」
「少なくとも電灯はなかった」
夢の中の世界にいる間、夜を迎えなかった宗平には、そう答えるくらいしかできない。
「とりあえず、毒薬の表面を天井と同じ色にしたところまでは認める。でも、それと密室の謎がどうつながるのかしら?」
「貼り付けておいた毒薬が夜中に落下して、下のベッドで寝ていたナイト・ファウストの口に飛び込んだ。突然のことに思わず飲み込んでしまい、そのままお亡くなりになった……どうだ?」
「どうだと言われても」
眉根を寄せ、尖らせ気味だった唇を噛み締める水原。返事をどうしようか、戸惑いが露わだ。それほど、宗平の唱えた仮説は突飛もない、トリックと呼ぶにはあまりにも稚拙だった。
「あのね、森君。これから言うことは悪口とかけなすとかじゃないから、そのつもりで聞いてよ」
「ああ」
教室の緊迫感がちょっぴり増した。水原は短めの深呼吸のあと、意見を述べ始める。
「正直な感想を言わせてもらうと、犯人が仕掛けたトリックとしては、認められないと思う。ベッドで横になっている人の命を狙って、口の真上の天井に毒を貼り付けたとして、それをどうやって落とすのか。部屋に被害者が一人でいて、しかも鍵を内側から掛けたタイミングでなければならない。仮に思い通りのタイミングで落とせたとしてもよ、口の中に入る確率は? 口に変な物が入った被害者は飛び起きて、すぐに吐き出すかもしれない。人の命を奪おうっていう計画犯罪に用いるにしては、確実性が低すぎると思うわ」
「うーん、そうかー」
宗平は腕組みをして首を傾げる仕種を見せた。
「そんなに欠点があるとは。全部は数えていなかった」
「そう言うからには、欠点があること自体は承知していたのね?」
「まあ、最初はな。いくら俺でもこの答が無理矢理っていうのは分かる。だけど、見方を変えればありなんじゃないかなあって思えてきたんだ」
「見方を変えるって、どこをどう?」
水原はきつめの口調になって聞き返した。少々むきになったのは、彼女にとって宗平の仮説はどう料理しても作品に使えないトリックだからかもしれない。
「えっと、ほぼ全部と言えるかも」
「全部……」
あきれたという風に、いからせていた肩を下ろす水原。
「まあ、パズル好きの思い付きを聞いてくれ。すべては事故だったんじゃないかと思うんだ」
殺人事件の捜査だったはずが、いきなり事故と言い出されて、場にいる他の者達が一斉にざわつく。宗平は鎮まるのを敢えて待たずに続けた。
「犯人は毒を天井に仕掛けたが、ファウスト侍従長を殺すつもりはなかった。単に脅したかっただけなんじゃないか」
「脅しで毒を貼り付ける? 意味が分かんない」
「毒を仕掛けてから一夜明けて、起きてきたファウストに犯人は天井を指差しながら、言うつもりだったんじゃないかな。『運が悪ければ死んでた』とか『いつでも命を奪える』とか」
「そんな――」
ばかなことって云々と、水原は言おうとしたのかもしれない。でも宗平が先手を打った。
「思い出してほしいことがある。事件のあと、王女がファウスト侍従長との思い出をしゃべった場面だ。
『――仕事の間中はずっと、怖いくらいに引き締めた表情でいるのに、夜、眠ってしまうとだらしなく口を開けるのですよ。寝ている姿勢は、直立不動がそのまま横になったみたいなのにね。――』
みんなは覚えているかどうか知らないが、王女は侍従長についてこんな風に語っていた。注目して欲しいのは二箇所。ファウスト侍従長は寝ているとき、『だらしなく口を開ける』『寝ている姿勢は、直立不動がそのまま横になった』という辺りだ。これらの話からファウストの寝ている姿を想像すると、どんな絵が思い浮かぶ?」
誰に聞いてもよかったんだが、宗平は佐倉を見た。
「王女様からは顔が見えるのだから仰向けで、口を開けている、かな?」
思惑通りの返事に、宗平は「だよな」と機嫌よく呼応した。
「付け加えると、直立不動が横になったってことは、仰向けのまま寝て、身体は動かないって意味に解釈できるだろ。だとしたら、枕の真上の天井に毒を仕掛けておいて、それを落とすと、ファウストの口に入る可能性はかなり高いんじゃないかと思うんだ。脅しに使うのには充分じゃないかなあ?」
改めて水原を見る宗平。全員の中で一番のミステリ専門家と言える彼女を説得できれば、事件解決だ。
「確かに言う通りだわ」
果たして水原は主張の一部を認めた。感嘆の響きが声に含まれている。
「被害者の寝ている姿なんて、まったく考えもしなかった。王女の発言は重大な手掛かりである可能性が高いわ」
つづく