第247話 まるで七尾さんシフト
文字数 2,135文字
尤もらしい話しっぷりの不知火さんだけれども……習ったことや経験を土台にして想像するのは、誰だって同じだと思う。と、疑問に感じた私の心を、表情から読み取ったのかな? 不知火さんは自分でフォローをしてきた。
「言ってみれば、その人の常識が限界だということ。実を言いますと、私、七尾さんと仲よくしてもらって、あれやこれやと芸能界の話を聞いてきました」
「うん、知ってる。案外ミーハーなところあるんだねって、凄く意外に思ったよー」
「ミーハーが悪いとは思いませんが、私の場合は知識欲が勝 っています。その辺りの諸々についてはまたいつかにしましょう。肝心なのは、七尾さんは芸能界の常識に染まっている部分がある点です」
「芸能界の常識?」
「ええ。普遍的な常識ではなく、あくまでも七尾さん個人にとっての常識――当たり前で疑いもしないことですね。その一つが、女性の手はきれいなものであり、自ら傷つけるなんてとんでもない、と思っている節が窺えます」
難しい単語を交えながら、不知火さんは確信ありげに語る。私は疑問を返した。
「えっと。それもやっぱり、普通の人でもそう思うんじゃないかしら」
「七尾さんの場合は極端です。彼女自身はいわゆる男性らしい言動をすることもあってか、手を乱暴に扱いがち、汚しがちだったようです。それが芸能界の仕事をするようになって、大人の女性芸能人を間近で見るようになって、その手の美しさに魅了されたみたいなんですね。また、手タレさんが自身の手をとてもとても大切に扱う様子を目の当たりにして、非常に感銘を受けたという経験も話してくれました」
「てたれ?」
聞き慣れない言葉に、どんな字を当てはめていいのか、すぐには分からなかった。
「手のパーツ専門のタレントさん、モデルさんのことです。略して手タレ」
「あ、何か聞いたことある。うん、思い出した。マジシャンもお客さんに手をよく見られる仕事だから、手専門のモデルさんとは共通点があるっていう話を聞いた覚えがあるわ。普段から手を大事にして、きれいに見せるように努力するとか」
「そうなんですね」
そうした七尾さんの常識を越えた種。それがさっき、不知火さんが披露した動く人形の演目だった。あのマジックなら七尾さんの感覚では思い付かない、想像を巡らせても辿り着けないと見事に実証したことになる。
「でも、手を傷つけるようなマジックの演目って、たくさんはないよ」
「そうじゃないかと思いました。だったら別のことで、七尾さんの想像を超えましょう。たとえば、最大の意外性はマジックなのに種がないこと、じゃないかしらと私は思うんですが」
「種がない……っていうのはつまり、テクニックのみで成り立っているマジックね。純粋に技術だけで見せるマジックなら、七尾さんには見破られないかもしれない?」
「はい。想像が及ばない技術というのは、もはやいわゆる超能力に等しいと言えます。あくまでも想像ですので、あしからず」
微笑む不知火さんは、台詞とは正反対に自信ありげだった。
そして――何度も書くようだけれども、これもまた実証されたみたいだ。
七尾さんはまだ首を傾げて考え込んでいる。それから右手の人差し指をぴんと立て、私に対して、「もういっぺんやってと頼んだら、すぐにできる?」と言いにくそうに聞いてきた。
「うーん。一応、できる」
本当は繰り返し、即座に演じることは可能だけど、もったいを付けたような返事をしたのには理由があるの。一つは、まだ私自身、自分の腕前に完全な自信を持てていないせい。何度も立て続けにマッスルパスを演じる内に、手の感覚が変になって、失敗が増えるかもしれない。
もう一つの理由は、こうしてもったいぶった答を返すことによって、七尾さんに「やっぱり種があるんだ?」と信じ込ませる効果を期待したもの。もしも簡単に、「うん、できるわ」なんて即答したら、種があるんじゃなく、テクニックだけで飛ばしているんだと勘付く恐れ、なきにしもあらずでしょ。と、こんな策士みたいな想定問答、私が考え付くはずもなく、不知火さんがアドバイスしてくれたんだけどね。
実際にやってみて、七尾さんは「うーん?」と唸って間を取ってから、「じゃあもう一回、お願いします」ととても殊勝な言い方で頼んできた。
なので私は、いかにも種があるんですよという風に、一芝居打った。見えない糸をコインに引っ掛けるような仕種を織り交ぜてから、ポジションを取る。
「あ、あのさ。邪魔しちゃだめなんだよね?」
コインを飛ばすタイミングを計っていると、七尾さんが思い切ったように聞いてくる。
「邪魔? それはもちろん邪魔されると困るけれども……どういうことをするつもりで言ったの?」
「飛ばす直前でいいから、両手のひらの間を指か物差しを、すっと通して、チェックしたいなあ、なんて思ったんだ。当然、だめだよね」
「そうね……一回だけならいいよ!」
私が喜んで許可すると、マジックサークルのみんなが「え。いいの?」「大丈夫?」とざわつき始めた。え? おっかしいな~。みんなはマッスルパスについて、だいたいの原理は知っているはずなんだから、そこまで心配されるものじゃないでしょうに。会長の私の腕前が、そんなに不安?
つづく
「言ってみれば、その人の常識が限界だということ。実を言いますと、私、七尾さんと仲よくしてもらって、あれやこれやと芸能界の話を聞いてきました」
「うん、知ってる。案外ミーハーなところあるんだねって、凄く意外に思ったよー」
「ミーハーが悪いとは思いませんが、私の場合は知識欲が
「芸能界の常識?」
「ええ。普遍的な常識ではなく、あくまでも七尾さん個人にとっての常識――当たり前で疑いもしないことですね。その一つが、女性の手はきれいなものであり、自ら傷つけるなんてとんでもない、と思っている節が窺えます」
難しい単語を交えながら、不知火さんは確信ありげに語る。私は疑問を返した。
「えっと。それもやっぱり、普通の人でもそう思うんじゃないかしら」
「七尾さんの場合は極端です。彼女自身はいわゆる男性らしい言動をすることもあってか、手を乱暴に扱いがち、汚しがちだったようです。それが芸能界の仕事をするようになって、大人の女性芸能人を間近で見るようになって、その手の美しさに魅了されたみたいなんですね。また、手タレさんが自身の手をとてもとても大切に扱う様子を目の当たりにして、非常に感銘を受けたという経験も話してくれました」
「てたれ?」
聞き慣れない言葉に、どんな字を当てはめていいのか、すぐには分からなかった。
「手のパーツ専門のタレントさん、モデルさんのことです。略して手タレ」
「あ、何か聞いたことある。うん、思い出した。マジシャンもお客さんに手をよく見られる仕事だから、手専門のモデルさんとは共通点があるっていう話を聞いた覚えがあるわ。普段から手を大事にして、きれいに見せるように努力するとか」
「そうなんですね」
そうした七尾さんの常識を越えた種。それがさっき、不知火さんが披露した動く人形の演目だった。あのマジックなら七尾さんの感覚では思い付かない、想像を巡らせても辿り着けないと見事に実証したことになる。
「でも、手を傷つけるようなマジックの演目って、たくさんはないよ」
「そうじゃないかと思いました。だったら別のことで、七尾さんの想像を超えましょう。たとえば、最大の意外性はマジックなのに種がないこと、じゃないかしらと私は思うんですが」
「種がない……っていうのはつまり、テクニックのみで成り立っているマジックね。純粋に技術だけで見せるマジックなら、七尾さんには見破られないかもしれない?」
「はい。想像が及ばない技術というのは、もはやいわゆる超能力に等しいと言えます。あくまでも想像ですので、あしからず」
微笑む不知火さんは、台詞とは正反対に自信ありげだった。
そして――何度も書くようだけれども、これもまた実証されたみたいだ。
七尾さんはまだ首を傾げて考え込んでいる。それから右手の人差し指をぴんと立て、私に対して、「もういっぺんやってと頼んだら、すぐにできる?」と言いにくそうに聞いてきた。
「うーん。一応、できる」
本当は繰り返し、即座に演じることは可能だけど、もったいを付けたような返事をしたのには理由があるの。一つは、まだ私自身、自分の腕前に完全な自信を持てていないせい。何度も立て続けにマッスルパスを演じる内に、手の感覚が変になって、失敗が増えるかもしれない。
もう一つの理由は、こうしてもったいぶった答を返すことによって、七尾さんに「やっぱり種があるんだ?」と信じ込ませる効果を期待したもの。もしも簡単に、「うん、できるわ」なんて即答したら、種があるんじゃなく、テクニックだけで飛ばしているんだと勘付く恐れ、なきにしもあらずでしょ。と、こんな策士みたいな想定問答、私が考え付くはずもなく、不知火さんがアドバイスしてくれたんだけどね。
実際にやってみて、七尾さんは「うーん?」と唸って間を取ってから、「じゃあもう一回、お願いします」ととても殊勝な言い方で頼んできた。
なので私は、いかにも種があるんですよという風に、一芝居打った。見えない糸をコインに引っ掛けるような仕種を織り交ぜてから、ポジションを取る。
「あ、あのさ。邪魔しちゃだめなんだよね?」
コインを飛ばすタイミングを計っていると、七尾さんが思い切ったように聞いてくる。
「邪魔? それはもちろん邪魔されると困るけれども……どういうことをするつもりで言ったの?」
「飛ばす直前でいいから、両手のひらの間を指か物差しを、すっと通して、チェックしたいなあ、なんて思ったんだ。当然、だめだよね」
「そうね……一回だけならいいよ!」
私が喜んで許可すると、マジックサークルのみんなが「え。いいの?」「大丈夫?」とざわつき始めた。え? おっかしいな~。みんなはマッスルパスについて、だいたいの原理は知っているはずなんだから、そこまで心配されるものじゃないでしょうに。会長の私の腕前が、そんなに不安?
つづく