第73話 すみからすみまで

文字数 1,423文字

 麻雀マットは、私がマジック用に思い描いていた物よりは大きめだけれども、別に不都合はない。肝心なのは、この緑の面の感触だ。
「……」
 遠目からではゴムだと思っていたけど、違った。ゴムの上に薄くではあるけどフェルトか何かが貼ってある。感触は意外と似ている。でも同じじゃない。
 私はトランプをケースから出して、カードさばきがうまく行くかどうか、試してみた。
 こんなとき何をどう試せばいいのか知らないけれども、まずはマットに付けた状態でのリフルシャッフルを。うん、問題なし。
 次に揃えたカードの山を向かって左に置いて、そこから右手を使い、山を横に滑らせる。このとき下のカードから一枚一枚、少しずつずれて残るようにしていく。最終的にカードで道を作ったみたいになる。これがスプレッド。うまく行った。
 今、スプレッドの終わりは山のトップだったカードが来ている。このカードの右端を人差し指の腹にちょんと引っ掛ける感じで表向きに返す。この動作が他のカードにも順次伝わっていき、全体が表向きになる。これがターンオーバー。またもうまく行った。
「先生、意外といいかも」
 私が言ったのとちょうど重なるタイミングで、窓ガラスが開いた。がたがたと大きな音のせいで、私の声は先生の耳には届かなかったみたい。
「何か言ったか?」
「マット、結構いい感じです!」
「そうか。よかった。使えそうか」
「ただ……」
 私は両手を使って、カードをぐちゃぐちゃに混ぜ、再度揃えようとしていた。とrこがこれがスムーズに行かない。フェルト地の部分が薄いせいかな。カードがマット表面に張り付く感じがあって、一旦伏せると摘まみにくい。編に力を入れると、カードが大きく湾曲することともある。
 さらに、マットの四方には縁があってやや高くなっている。だから、カードを端っこまで持ってきて、手に取るということもやりにくい。
 以上のような不便さを、相田先生に伝えてみた。
「ていうことは、だめってことか」
「いえ、だめっていうのは言いすぎかなあ。惜しいっていうのが一番近い」
 先生に気を遣ったのではなくって、真っ正直な感想を述べる。ほんと、嫌な臭いも付いてないし、他に代わりになる物がなかったときは、これを借りるのがよさそうに思う。大きさなんて、四人が一度に練習できそうで、ある意味画期的だわ。
「とりあえず、キープってところか」
 相田先生がうまいことを言う。もう一つある窓もどうにか全開にして、私のいる場所に戻ってこようとする。が、途中で何かを蹴り飛ばした。ちょうど方角が私に向いていて、その何かが足元まで滑り込んできた。
 当たる!と思って、「ひゃっ」と叫んだが、上履きの爪先に触れる寸前で、物体は止まった。
「すまんすまん。何ともないか」
「はい。これ、墨汁のボトルみたいです。まだ使えるのかな。というか、何で墨汁があるんです? 壁にも書き初めみたいな習字があるし」
「多分、児童の落とし物か教師の誰かが没収した物だろう。習字は知らないが、長い間放って置かれた墨汁が、問題なしに使えるかどうかを試したのかもしれん」
 そんなものなのねと状況を思い浮かべたそのとき、私の中にもう一つ試したい物が閃いた。あれなら、わざわざここに来なくてたって、自分の物で試せてたのに。
 でも閃いたのはこの宿直室に来たおかげだから、無駄じゃなかったよね。
「相田先生、ここに下敷きはないですか」
 この問いかけに、先生は不思議そうに首をかしげた。

 つづく
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

佐倉萌莉《さくらもり》。小学五年生。愛称はサクラ。マジック大好き。普段はどちらかと言えば引っ込み思案。

木之元陽子《きのもとようこ》。サクラの同級生。元気印で耳年増。

不知火遥《しらぬいはるか》。同級生。本好きで寡黙。大人びて少しミステリアスなところも。

佐倉秀明《さくらしゅうめい》。高校一年生。マジックが趣味。萌莉の従兄弟で憧れ。

相田克行《あいだかつゆき》。五年五組の担任。ぼさーっとしていて、よく言えば没頭型学者風、悪く言えば居候タイプ。やる気があるのかないのか。

金田朱美《かねだあけみ》。クラスは違うがサクラの友達。宝探しが夢。

土屋善恵《つちやよしえ》。同じくサクラの友達。愛称つちりん。オカルト好きだけど現実的な面もある。

水原玲《みずはられい》。サクラの同級生。推理小説好きが高じて文芸部に。

森宗平《もりそうへい》。サクラの同級生。クイズ・パズルマニア。

内藤肇《ないとうはじめ》。サクラの同級生でクラス委員長。女子からの人気高し。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み