第37話 ロマンは浪漫
文字数 2,136文字
五月六日。久しぶりの学校は、木曜日に当たっていた。
奇術サークルの活動予定日と重なっていないのが残念。けれども、そもそも具体的な活動計画をまだ出せていないのだから、おんなじかな。今日いきなり活動するぞーってなっても、何もできない気がする。
というわけで、朝一番に職員室に向かい、相田先生に言われていた書類を提出した。
「おっと、ちょっと待った」
そのまま出て行こうとしたら呼び止められた。かかとでターンする。
「な、何か不備が?」
「違う違う、書類の話じゃなくてだな。手品を教えてくれるっていう親戚の高校生だっけっか。その件なんだが」
「あれ? 連休が終わってから交渉することになる、みたいな話をされてませんでした?」
「したよ。でもま、休みの間も根回しというか、できることはしておこうと思って、暇なときにあちこち電話した。その結果、基本的にOKだ」
「わっ。よかった!」
思わず万歳のポーズで、その場で軽くジャンプしてしまった。
「こらこら、職員室で騒ぐな」
「すすみません」
こんなことで取り消されたらと悪い想像が浮かぶ。しおらしく、しゅんとしておこう。
「話には続きがある。一応、許可は出すが、生活指導の先生が様子を見たいと仰ってな。その誰だっけ、佐倉秀明君? 彼が手品を指導する初回、見学していいかということだ」
「……見学してはだめですと言ったら?」
「いや、すまん。要するに最初の回を見て、万が一にも問題があると感じるようなら、高校生による指導はなしってことで」
「そんなあ。最初のときって、多分、シュウさんも緊張すると思うんです。それに拍車を掛けるみたいに見学に来られたら、ますます緊張するかもしれないじゃないですか」
「“拍車を掛ける”の使い方がちょっぴり怪しいぞ。“追い打ちを掛ける”の方が無難だ」
国語のテストじゃないんだから。
「まあそんな恐ろしい関門みたいに考える必要はない。ただ、高校生も勉強が本分だ。うちの児童のためにしてくれることはそりゃありがたいが、迷惑や負担になるようなら、こちらも節度を持って応対すべきだということさ。――話、難しかったか?」
「ううん。分かります」
そうだよね。シュウさんが引き受けてくれたからって、それでよしとして甘えっぱなしになるのはだめだ。一度、大人の目で見てもらうのは必要なことだと感じた。
「ほほう」
教室では、陽子ちゃんが不知火さんから昨日のイベントについて話を聞いていた。ここはひとまず不知火さんにお任せしようと、聞き耳を立てていると、陽子ちゃんが興味津々になっているのが分かる。
「――それでそれで?」
「黒い布を掛けておまじないを唱えるポーズをすると、板を六枚組み合わせただけの空っぽの箱のはずなのに、全体がかたかた震え出して」
「幽霊っぽい」
「そう、最初に霊を集めると言っていました。掛けたままの布を振ると、箱が急に崩れて、でも布に中には影が。よく見ると手の形をしている。黒い布をぱっと取ると、右の手首から先がそこにはあったの」
「……分かんないな。不思議だけどさ。当然、作り物なんでしょ?」
「そうだと思います。このあと、手首を使って数を当てるマジックが行われたのですが、霊が手首を動かした回数で答えるという怪奇趣味が、古めかしくも堂に入っていて。演じる方が墓掘り人みたいな外観でしたからなおのこと」
そのマジックを演じた人の格好は確か、黒尽くめで長めのコートに鍔広の帽子姿だったかな。あれって墓掘り人のイメージなんだろうか。
それよりも。
「おはよ。陽子ちゃんて、幽霊とかお化け、大の苦手じゃなかったっけ」
「おっはよ。苦手だよ~」
「おはようございます」
陽子ちゃん、不知火さんの順に挨拶が返ってきた。それから陽子ちゃんは不知火さんを指差して、「語り口がやわらかくて、マジックに的を絞った喋りだから、幽霊っぽい演出のやつもあんまり気にならなかった」と言った。
「そう言われると、ほめられた気がします。気分がいい」
「その通り、ほめてるって」
「いえいえ。私なんてまだまだ。マジックについての専門用語が出て来ませんから、恐らく現象の細かいところは伝えかねているんじゃないかと心配で」
不知火さんは私の方を向いた。
「同じマジックを、佐倉さんならもっとうまく、まぶたの裏に明確に思い描けるくらい鮮やかに、説明をしてくれるに違いありません」
「無茶振りしないで~」
自分の席に、今日の授業の教科書やノートなどを入れながら、逃げを打っておく。
「知識があって、専門用語を知っていることと、話が上手なのとは直煮は結び付かないでしょ」
「それも一理ありです」
不知火さん、案外あっさりと認めた。
「言葉について成り立ちを知らなくても、意味さえ分かっていれば、喋るのに不自由はしません」
「うん?」
話が合っているのか、逸れているのかまだ見えてこない。
「たとえば、少し前にテレビでやっていたのをたまたま聞いたのですが、時計という単語。実は当て字なんだそうです」
「当て字?」
「はい。ロマンを漢字で浪漫と表すような」
「ええっ、嘘でしょ。時計は時計だよ」
つづく
奇術サークルの活動予定日と重なっていないのが残念。けれども、そもそも具体的な活動計画をまだ出せていないのだから、おんなじかな。今日いきなり活動するぞーってなっても、何もできない気がする。
というわけで、朝一番に職員室に向かい、相田先生に言われていた書類を提出した。
「おっと、ちょっと待った」
そのまま出て行こうとしたら呼び止められた。かかとでターンする。
「な、何か不備が?」
「違う違う、書類の話じゃなくてだな。手品を教えてくれるっていう親戚の高校生だっけっか。その件なんだが」
「あれ? 連休が終わってから交渉することになる、みたいな話をされてませんでした?」
「したよ。でもま、休みの間も根回しというか、できることはしておこうと思って、暇なときにあちこち電話した。その結果、基本的にOKだ」
「わっ。よかった!」
思わず万歳のポーズで、その場で軽くジャンプしてしまった。
「こらこら、職員室で騒ぐな」
「すすみません」
こんなことで取り消されたらと悪い想像が浮かぶ。しおらしく、しゅんとしておこう。
「話には続きがある。一応、許可は出すが、生活指導の先生が様子を見たいと仰ってな。その誰だっけ、佐倉秀明君? 彼が手品を指導する初回、見学していいかということだ」
「……見学してはだめですと言ったら?」
「いや、すまん。要するに最初の回を見て、万が一にも問題があると感じるようなら、高校生による指導はなしってことで」
「そんなあ。最初のときって、多分、シュウさんも緊張すると思うんです。それに拍車を掛けるみたいに見学に来られたら、ますます緊張するかもしれないじゃないですか」
「“拍車を掛ける”の使い方がちょっぴり怪しいぞ。“追い打ちを掛ける”の方が無難だ」
国語のテストじゃないんだから。
「まあそんな恐ろしい関門みたいに考える必要はない。ただ、高校生も勉強が本分だ。うちの児童のためにしてくれることはそりゃありがたいが、迷惑や負担になるようなら、こちらも節度を持って応対すべきだということさ。――話、難しかったか?」
「ううん。分かります」
そうだよね。シュウさんが引き受けてくれたからって、それでよしとして甘えっぱなしになるのはだめだ。一度、大人の目で見てもらうのは必要なことだと感じた。
「ほほう」
教室では、陽子ちゃんが不知火さんから昨日のイベントについて話を聞いていた。ここはひとまず不知火さんにお任せしようと、聞き耳を立てていると、陽子ちゃんが興味津々になっているのが分かる。
「――それでそれで?」
「黒い布を掛けておまじないを唱えるポーズをすると、板を六枚組み合わせただけの空っぽの箱のはずなのに、全体がかたかた震え出して」
「幽霊っぽい」
「そう、最初に霊を集めると言っていました。掛けたままの布を振ると、箱が急に崩れて、でも布に中には影が。よく見ると手の形をしている。黒い布をぱっと取ると、右の手首から先がそこにはあったの」
「……分かんないな。不思議だけどさ。当然、作り物なんでしょ?」
「そうだと思います。このあと、手首を使って数を当てるマジックが行われたのですが、霊が手首を動かした回数で答えるという怪奇趣味が、古めかしくも堂に入っていて。演じる方が墓掘り人みたいな外観でしたからなおのこと」
そのマジックを演じた人の格好は確か、黒尽くめで長めのコートに鍔広の帽子姿だったかな。あれって墓掘り人のイメージなんだろうか。
それよりも。
「おはよ。陽子ちゃんて、幽霊とかお化け、大の苦手じゃなかったっけ」
「おっはよ。苦手だよ~」
「おはようございます」
陽子ちゃん、不知火さんの順に挨拶が返ってきた。それから陽子ちゃんは不知火さんを指差して、「語り口がやわらかくて、マジックに的を絞った喋りだから、幽霊っぽい演出のやつもあんまり気にならなかった」と言った。
「そう言われると、ほめられた気がします。気分がいい」
「その通り、ほめてるって」
「いえいえ。私なんてまだまだ。マジックについての専門用語が出て来ませんから、恐らく現象の細かいところは伝えかねているんじゃないかと心配で」
不知火さんは私の方を向いた。
「同じマジックを、佐倉さんならもっとうまく、まぶたの裏に明確に思い描けるくらい鮮やかに、説明をしてくれるに違いありません」
「無茶振りしないで~」
自分の席に、今日の授業の教科書やノートなどを入れながら、逃げを打っておく。
「知識があって、専門用語を知っていることと、話が上手なのとは直煮は結び付かないでしょ」
「それも一理ありです」
不知火さん、案外あっさりと認めた。
「言葉について成り立ちを知らなくても、意味さえ分かっていれば、喋るのに不自由はしません」
「うん?」
話が合っているのか、逸れているのかまだ見えてこない。
「たとえば、少し前にテレビでやっていたのをたまたま聞いたのですが、時計という単語。実は当て字なんだそうです」
「当て字?」
「はい。ロマンを漢字で浪漫と表すような」
「ええっ、嘘でしょ。時計は時計だよ」
つづく