第255話 クモと仕種、作り物

文字数 2,065文字

 指の隙間からその表情を窺うと、意地悪げに笑っているのが見て取れた。
「あははは、なんてね。謝らないわよ。悪いのはそっちだからね、佐倉君」
 嘘みたいじゃなく、嘘だった。
「え。ということは、クモ、怖くないとか?」
「ううん。嫌いなのは本当。手に張り付いているこれを見た瞬間、驚いたのも正真正銘、嘘偽りのない反応よ」
 と、右手から作り物のクモを剥がすと、ぽいと秀明に投げて寄越した。
「物の見事にしてやられたから、そのお返しに一発殴ってやろうかと思って」
 そして物騒なことを言う。
「ただ、じかにやると問題あるから、極端に怖がっているふりをして、手が顔に当たるようにしたの。そんなに痛くなかったでしょう?」
「ま、大げさに騒ぐほど痛くはなかったけど」
「ていうことは、ちょっとは痛かったんだ? 当たったところはどこ?」
 頬の辺りを差し示そうとした秀明。と、梧桐が両手を伸ばしつつ間近に寄ってくる。その姿を視界に捉えた秀明は身を引いた。何故だか知らないが、抱きつかれる場面を想像してしまった。
「ちょっと、逃げないで。撫でてあげようと思っただけなのに」
「何だ。必要ないって」
「キスされると思った?」
「――いや、そこまでは。ただ、何でこの人はこの状況で抱きつきに来るんだろう?と疑問が浮かんだけどね」
「そっか。撫でるつもりで、でも仕種は抱きついてキスする演技のつもりで動いてたからかなあ」
 日常生活の中に演技の練習を折り込むのはやめてもらいたい。勘違いが起こること、なきにしもあらずだ。
「やれやれ。してやられたのはこっちの台詞だよ。さすがの演技力」
「ほめてくれるのは嬉しいけれども、劇中のマジックのシーンで私がうまくできるようにしてくれたら、もっと嬉しいわね」
「梧桐さんの演技力があれば、指導の必要はほとんどないんじゃないか。マジックのテクニックはともかくとして、マジシャンになりきって演技すれば、うまくこなすのはクリアできる気がする」
「だとしたら、私、もっとマジシャンについて知っておく必要がある。佐倉君に密着しようかしら」
 そう言うと梧桐は、腕を絡ませてくるかのような仕種を見せた。彼女の表情は真顔なのだが、何となく演技臭い。またまたからかいモードに入ったらしいぞ――秀明は密かにため息をついた。
「密着はともかく、マジシャンのやりがちな所作・仕種を知っておいてもらえたら、役に立つことはあるかもしれない。まだどんな劇になるのかほとんど見えてないから、確証はないけれども」
 当たり障りのない見解を述べた秀明に、梧桐は「それでもいい」とやや強い調子で言い切った。からかいモードはすぐに終了していたようだ。
「今後、お芝居を続けて行く上で、色んな業種について知っておくのは糧になるに違いないもの」
 梧桐さん、プロ志向なんだろうな……秀明はそう思ったが声には出さなかった。自分自身、プロのマジシャンになりたいと願っているが、さほど親しくはない他人から詮索されると困る部分があるし、実際に経験もした。
(まあ、演劇部に協力する内に、話す機会が訪れるかもだし、今は無理に話を広げてもしょうがない。だいたい、異性の間で将来の夢を互いに語り合うなんて、恋人じゃあるまいし――ん?)
 秀明が掃除に戻ろうとしたところ、梧桐がちょっと奇妙な動きを見せた。先ほど秀明が想像したように、距離を詰めて腕を組んでくる一連の動作をしていたのが、ぴたっと止まったのだ。
「どうかした?」
「密着取材をしたいと思ったのだけれども、腕を掴んだら怒られるかなと」
「怒られるって、どうして」
「手や指はマジシャンの命なんでしょう? だったら腕もそうかもしれない」
「はは、さすがに腕までは。常識の範囲で触れる分には、何ら問題ないです」
「そう? だったら遠慮なく」
 いよいよ腕を絡めてきそうな梧桐。秀明は彼女に近い右腕の方を引っ込めた。
「ちょっと待った。組む必要はないのでは?」
「マジシャンについて勉強するだけじゃなく、マジシャンと付き合っている女性の気持ちも勉強できたら、一石二鳥だわ」
 笑みを覗かせ、梧桐が宣言した。こうなるともう本気で言っているのか否か、秀明には見抜きようがない。
「そこまで熱心にやらなくても……だいたい、梧桐さんの彼氏やファンから恨まれる」
「いやいや。彼氏なんていません。邪魔くさい」
 形のよい唇から、いきなりきつい表現が出たことに、秀明はちょっとびっくりした。
 とにかく掃除に復帰するため、来た道を引き返しながら話が続く。
「ファンはもっといない。中学までならまだしも、高校に入ってからは一度も舞台に立っていないんだから」
 なるほど、理屈である。秀明は得心しつつ、念押しを試みる。
「しかし舞台に立つところを目の当たりにしなくても、梧桐さんなら」
「あら、お世辞? 嬉しい。それに、マジシャンは口がうまいとメモを取らなくちゃね」
 落ち葉と枝を拾って、メモを取るポーズをする梧桐。そのままごみ集めを始めた。後ろから、彼女の上下する背を見ていると、うきうきと弾んでいるようだった。

 つづく
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

佐倉萌莉《さくらもり》。小学五年生。愛称はサクラ。マジック大好き。普段はどちらかと言えば引っ込み思案。

木之元陽子《きのもとようこ》。サクラの同級生。元気印で耳年増。

不知火遥《しらぬいはるか》。同級生。本好きで寡黙。大人びて少しミステリアスなところも。

佐倉秀明《さくらしゅうめい》。高校一年生。マジックが趣味。萌莉の従兄弟で憧れ。

相田克行《あいだかつゆき》。五年五組の担任。ぼさーっとしていて、よく言えば没頭型学者風、悪く言えば居候タイプ。やる気があるのかないのか。

金田朱美《かねだあけみ》。クラスは違うがサクラの友達。宝探しが夢。

土屋善恵《つちやよしえ》。同じくサクラの友達。愛称つちりん。オカルト好きだけど現実的な面もある。

水原玲《みずはられい》。サクラの同級生。推理小説好きが高じて文芸部に。

森宗平《もりそうへい》。サクラの同級生。クイズ・パズルマニア。

内藤肇《ないとうはじめ》。サクラの同級生でクラス委員長。女子からの人気高し。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み