第235話 不意打ちの種明かし
文字数 2,079文字
「とりあえず、自己紹介をしてくれるかな」
相田先生が促すと、その子はボードの方を向いてきゅっきゅと板書した。これで七尾って子じゃなかったらどうしよう、なんて心配は無用だった。
「七尾弥生です。よろしくお願いします」
名乗ってお辞儀するだけの、シンプルな挨拶。相田先生が「それだけか? どこから来たかとか何が得意科目かとか」と追加情報を求める。
「前は神戸だったけど、出身地ということではなくて。仕事の都合であちこち転々としていて。あと、得意な科目って胸を張れるようなのはないんだけれども、国語と音楽と体育は好きでがんばっているつもり、かな」
転校初日の自己紹介にしては馴れ馴れしい口調だわ。でも違和感ていうか心地悪さはなくて、親しみを覚える声だと思った。
と、ここで辛抱たまらなくなった風に、委員長の内藤君が「あの」と挙手した。その話し掛ける先は七尾さんではなく、相田先生。
「何だ委員長」
「あのー、何人かが呟いているのを聞いて、僕も今思ったんですが」
「何を」
応答する相田先生の顔つきが、少し笑みを帯びた。大人の人をこう表現するのはよくないかもしれないけれど、いたずらっ子って感じ。
「言っていいのかどうか……他人のそら似かもしれないし」
「他人のそら似なら言ってもかまわないだろう」
「それはそうなんですが……」
挙手までした割に言い淀む内藤君。珍しい。
彼が足踏みしているのがじれったくなったのか、他の子が座ったままいきなり言った。
「七尾さんて、折木涼花 に似てるって言われないか?」
折木涼花――子役でテレビドラマやコマーシャル、再現VTRなんかに出ていた子だ。芸能方面にさほど詳しくない私でも、名前ぐらいは知っている。顔の方は……似てるかも。けど、テレビで見た折木涼花はもっと髪が短くて、ボーイッシュって言葉がぴったり当てはまる容姿をしていたように思う。ここ最近はめっきりテレビで見なくなった気がするし、正直、どんな顔の人だったのか記憶が薄れちゃってるわ。
「似ていると言われたことはないな」
男言葉になって、七尾さんが答えた。彼女の返事が意外だったらしく、一部がまたざわつく。私はと言うと、内心、「ほらやっぱり、他人のそら似だった」と思った。
クラスのそんな反応を愉快そうに受け止め、七尾さんはさらにこう続ける。
「周りにいる人は僕が折木涼花と名乗っていたことを知っているから、似てるなんて言わないよ」
「え! ていうことは……」
「うん。折木涼花は僕の二つ目の名前」
彼女の改めての返事に、ずっとざわついていた子達がついに“爆発”した。わぁーともうぉーともつかない轟くような歓声が驚き込みで、渦を巻く。そのまま蜂の巣をつついたような騒々しさはしばらく続いたけれど、先生の「ぼちぼち静かにしろーっ」という注意によってすーっと収まった。さすが、慣れてる感じ、相田先生。
ていうか、先生も絶対にに知ってたよね、転校生が芸能人だってこと。だからさっき、あんないたずらっぽい笑い方をしてたんだわ。
「さあて、みんな落ち着いたか? まあ無理もないわな。先生だって最初に話を聞いたときは、多少驚いた。尤も、折木涼花というタレントの子がテレビに出ていたなんて全然知らなかったんだが」
相田先生はそう言うと、七尾さんの方に向けて「すまんな」という風に軽く頭を下げた。
「いえ、全然気にしてないので。記憶されてない方がいいです」
「今はお仕事してないの?」
イレギュラーな質問を飛ばしたのは何とまさかの陽子ちゃん。振り向くと、心配げな様子がちらっと窺えた。記憶されていない方がいいとの七尾さんの言葉を、昔した芸能関係の仕事は忘れたいという風に受け取ったのかしら。
「ううん。ちょっとはしてる。テレビじゃないけど」
「おっと、そこまで。予定オーバーだ。思っていたよりも時間が掛かっているんでな。残りの話は一時間目の授業が終わってからにしてくれるか」
相田先生に制せられ、陽子ちゃんは素直に無言でうなずいた。七尾さんの方は続けて話したそうだったけれども、彼女もまた口をつぐむと「あそこに座ればいいんですか」と先生に尋ねつつ、空いている机の方を指差した。
一時間目の授業が終わると、七尾さんの周囲には人だかりが二重三重と作られた。転校生にみんな関心があるのはよくあることなんだろうけど、そこへ輪を掛けてタレントとなると、簡単にはこの熱、収まりそうにないよね。
「お声掛けしないのですか」
私が遠巻きに七尾さんのいる方を見ていると、不知火さんの声が後ろからした。振り返ると、彼女だけでなく、水原さんもいる。ちなみに陽子ちゃんと森君はそれぞれ別々に、七尾さんを囲む輪の中に混じっていた。
「もしかして、あの人とは別に転校生がいるとか?」
水原さんはさすが推理作家志望と言っていいのかな、ちょっとありそうにない仮説を述べてきた。私は首を左右に振って、「ううん、あの七尾さんで間違いない」と答える。顔を知ってるわけじゃないけれども、まさか同姓同名の人が同じ日に転校してくるなんて、さすがにあり得ないでしょ。
つづく
相田先生が促すと、その子はボードの方を向いてきゅっきゅと板書した。これで七尾って子じゃなかったらどうしよう、なんて心配は無用だった。
「七尾弥生です。よろしくお願いします」
名乗ってお辞儀するだけの、シンプルな挨拶。相田先生が「それだけか? どこから来たかとか何が得意科目かとか」と追加情報を求める。
「前は神戸だったけど、出身地ということではなくて。仕事の都合であちこち転々としていて。あと、得意な科目って胸を張れるようなのはないんだけれども、国語と音楽と体育は好きでがんばっているつもり、かな」
転校初日の自己紹介にしては馴れ馴れしい口調だわ。でも違和感ていうか心地悪さはなくて、親しみを覚える声だと思った。
と、ここで辛抱たまらなくなった風に、委員長の内藤君が「あの」と挙手した。その話し掛ける先は七尾さんではなく、相田先生。
「何だ委員長」
「あのー、何人かが呟いているのを聞いて、僕も今思ったんですが」
「何を」
応答する相田先生の顔つきが、少し笑みを帯びた。大人の人をこう表現するのはよくないかもしれないけれど、いたずらっ子って感じ。
「言っていいのかどうか……他人のそら似かもしれないし」
「他人のそら似なら言ってもかまわないだろう」
「それはそうなんですが……」
挙手までした割に言い淀む内藤君。珍しい。
彼が足踏みしているのがじれったくなったのか、他の子が座ったままいきなり言った。
「七尾さんて、
折木涼花――子役でテレビドラマやコマーシャル、再現VTRなんかに出ていた子だ。芸能方面にさほど詳しくない私でも、名前ぐらいは知っている。顔の方は……似てるかも。けど、テレビで見た折木涼花はもっと髪が短くて、ボーイッシュって言葉がぴったり当てはまる容姿をしていたように思う。ここ最近はめっきりテレビで見なくなった気がするし、正直、どんな顔の人だったのか記憶が薄れちゃってるわ。
「似ていると言われたことはないな」
男言葉になって、七尾さんが答えた。彼女の返事が意外だったらしく、一部がまたざわつく。私はと言うと、内心、「ほらやっぱり、他人のそら似だった」と思った。
クラスのそんな反応を愉快そうに受け止め、七尾さんはさらにこう続ける。
「周りにいる人は僕が折木涼花と名乗っていたことを知っているから、似てるなんて言わないよ」
「え! ていうことは……」
「うん。折木涼花は僕の二つ目の名前」
彼女の改めての返事に、ずっとざわついていた子達がついに“爆発”した。わぁーともうぉーともつかない轟くような歓声が驚き込みで、渦を巻く。そのまま蜂の巣をつついたような騒々しさはしばらく続いたけれど、先生の「ぼちぼち静かにしろーっ」という注意によってすーっと収まった。さすが、慣れてる感じ、相田先生。
ていうか、先生も絶対にに知ってたよね、転校生が芸能人だってこと。だからさっき、あんないたずらっぽい笑い方をしてたんだわ。
「さあて、みんな落ち着いたか? まあ無理もないわな。先生だって最初に話を聞いたときは、多少驚いた。尤も、折木涼花というタレントの子がテレビに出ていたなんて全然知らなかったんだが」
相田先生はそう言うと、七尾さんの方に向けて「すまんな」という風に軽く頭を下げた。
「いえ、全然気にしてないので。記憶されてない方がいいです」
「今はお仕事してないの?」
イレギュラーな質問を飛ばしたのは何とまさかの陽子ちゃん。振り向くと、心配げな様子がちらっと窺えた。記憶されていない方がいいとの七尾さんの言葉を、昔した芸能関係の仕事は忘れたいという風に受け取ったのかしら。
「ううん。ちょっとはしてる。テレビじゃないけど」
「おっと、そこまで。予定オーバーだ。思っていたよりも時間が掛かっているんでな。残りの話は一時間目の授業が終わってからにしてくれるか」
相田先生に制せられ、陽子ちゃんは素直に無言でうなずいた。七尾さんの方は続けて話したそうだったけれども、彼女もまた口をつぐむと「あそこに座ればいいんですか」と先生に尋ねつつ、空いている机の方を指差した。
一時間目の授業が終わると、七尾さんの周囲には人だかりが二重三重と作られた。転校生にみんな関心があるのはよくあることなんだろうけど、そこへ輪を掛けてタレントとなると、簡単にはこの熱、収まりそうにないよね。
「お声掛けしないのですか」
私が遠巻きに七尾さんのいる方を見ていると、不知火さんの声が後ろからした。振り返ると、彼女だけでなく、水原さんもいる。ちなみに陽子ちゃんと森君はそれぞれ別々に、七尾さんを囲む輪の中に混じっていた。
「もしかして、あの人とは別に転校生がいるとか?」
水原さんはさすが推理作家志望と言っていいのかな、ちょっとありそうにない仮説を述べてきた。私は首を左右に振って、「ううん、あの七尾さんで間違いない」と答える。顔を知ってるわけじゃないけれども、まさか同姓同名の人が同じ日に転校してくるなんて、さすがにあり得ないでしょ。
つづく