第237話 サインはブイならぬバイ

文字数 2,053文字

 話を戻して七尾さんにマジックを披露する件。問題は場所だった。
 教室でやってもよかったんだけど、今日はミスを犯す可能性をできる限り潰しておきたい。そのためにはなるべく人の少ないところがいいと思ったので、相田先生にどこか特別教室を使わせてほしいとお願いすると、理科室を使わせてもらえることになった。昼からの五時間目の授業でも、どのクラスも使う予定はないというからラッキー。やったね。

 食器を戻して、どうしようか考える。先に行っておくねと七尾さんに声を掛けてから教室を出ると、他のクラスメートが何ごとかと気にして、七尾さんに着いてくるかもしれない。七尾さんには一人で来てねとも伝えてあるので、それを私の方からぶち壊してはいけない。
 結局、開け放った窓越しの廊下に、つちりんと朱美ちゃんの姿が見えたのを機に、席を立つ。水原さんも続いた。不知火さんだけ残るのは、念のため。七尾さんが動くに動けない状態に陥らないか、見ている。もしそうなったときは約束してある事実のみを口にして、不知火さんが七尾さんを連れ出すという段取り。
 転校生にマジックを披露するだけだっていうのに、芸能人相手だとこんなにも面倒になるなんて、参っちゃう。
 一階まで降りて職員室に立ち寄り、理科室の鍵を借りる。そのまま渡り廊下を通って、特別教室が固まっている棟へと移動。理科室に入った。
「窓からちらりと見えたけれども、本当に本物だったね」
 教室に入ってドアを閉めるなり、つちりんが言った。いささか、いや、かなり興奮気味。
「サインくださいって言ってもいいのかな?」
 つちりんは不知火さんとは違う意味で、ミーハーなようだ。
 一方、朱美ちゃんはと言うと、興奮している気配はない。ただ、
「もらえるのなら私ももらおうっと。売ってお小遣いにする」
 なんてことをしれっとして言う始末。
「朱美ちゃん、それはだめだよっ」
 私と陽子ちゃんが輪唱みたいに少しずれて同じ注意を口にした。一瞬、顔を見合わせてから私だけで続ける。
「友達としてやっちゃいけないわ。ううん、友達じゃなくてもだめ」
「分かってるって。冗談だってば」
 舌先を覗かせる朱美ちゃんに、今度は水原さんが口を開いた。
「冗談でも、聞かれては困ることは言わない方が。七尾さんに聞こえていたら、気分はよくないだろうから」
「それはそうだ」
 思わずという具合に理科室の前方戸口を見やる朱美ちゃん。するとその視線に反応したかのごとく、戸が引かれた。
「お邪魔するよ、いい?」
 タイミングのよさに、中で待っていた私達六人が大なり小なりびっくりしたところへ、七尾さんその人が入ってきた。
 多分みんなの中で一番驚いているであろう朱美ちゃんが真っ先に、「今の聞こえた?」と固い笑いを浮かべて尋ねた。
「何が?」
 快活な男の子っぽい声で七尾さんが即、反応する。朱美ちゃんが「聞こえていなかったのならいいです」と、柄にもなく丁寧に言った。
 それを待っていたみたいに、「ああ、サインならあとでするよ」と七尾さん、にやり。
「うわ、聞こえてた~」
 頭を抱えた朱美ちゃん。次の行動が素早かった。椅子に腰掛けていたのだけれど、バネに弾かれたみたいにすっくと起ち上がると、七尾さんのそばに飛んで行く。
「私、金田朱美。サインを売るなんて天に誓って冗談だから。ごめん」
 勢いを保ったまま、早口で名乗り、謝った。
「うん、いいよ。気にしてないから。それにもし仮に売るんなら、もっとあとにする方がいいかもね。多分、今が最安値ってやつだから」
「そ、そう?」
「これからまた芸能活動を増やしていく、という意味ですね、きっと」
 戸惑う朱美ちゃんに代わり言ったのは、最後に入って来た不知火さん。七尾さんと一緒に来たはずなのに少し時間差があるような。
「あ、不知火さん。よく追いつけたね」
「それは単に、目的地がこの理科室だと知っていたからで、目的地を知らずに真面目に追跡していたとすれば、完全に見失って終わりでした」
 二人にしか分からないやり取りに、私達残りの六人は顔を見合わせ、小首を傾げる。森君が聞いた。
「何だ何だ。分かるように言ってくれ~」
「想像になりますけど、かまいません?」
 そう前置きした不知火さん。もちろん私達には何の異存もない。七尾さんも興味深そうに目をくりっとさせ、口をUの字にしている。
「恐らく、七尾さんは普段からお仕事関係で、人に囲まれたり付いて来られたりすることが多いのではないでしょうか」
 それはまあ当たり前よね。芸能人として名前がちょっとでも売れていたら、気にする人達がいっぱいいる。
「そのため、人を振り切る能力に秀でるようになった。もしかすると、自然と身に付いたのかもしれません。傍目には普通かむしろゆっくり歩いているような仕種なのに、すいすいと人の間を縫うように進んで行き、いつの間にか差を付けられてしまいました」
「よく見てたね~。そうなんだ」
 うなずく七尾さん。初見で見抜かれたのが嬉しい、だけど悔しいという風な複雑な表情をしてる。

 つづく
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

佐倉萌莉《さくらもり》。小学五年生。愛称はサクラ。マジック大好き。普段はどちらかと言えば引っ込み思案。

木之元陽子《きのもとようこ》。サクラの同級生。元気印で耳年増。

不知火遥《しらぬいはるか》。同級生。本好きで寡黙。大人びて少しミステリアスなところも。

佐倉秀明《さくらしゅうめい》。高校一年生。マジックが趣味。萌莉の従兄弟で憧れ。

相田克行《あいだかつゆき》。五年五組の担任。ぼさーっとしていて、よく言えば没頭型学者風、悪く言えば居候タイプ。やる気があるのかないのか。

金田朱美《かねだあけみ》。クラスは違うがサクラの友達。宝探しが夢。

土屋善恵《つちやよしえ》。同じくサクラの友達。愛称つちりん。オカルト好きだけど現実的な面もある。

水原玲《みずはられい》。サクラの同級生。推理小説好きが高じて文芸部に。

森宗平《もりそうへい》。サクラの同級生。クイズ・パズルマニア。

内藤肇《ないとうはじめ》。サクラの同級生でクラス委員長。女子からの人気高し。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み