第229話 甘く見ていたつもりはないけれど
文字数 2,044文字
秀明はクラブのキングをさっさと裏向きにすると、「さらに」と言葉を挟んで、同じような手つきでカードをめくった。すると今度はスペードの6が現れる。
「そのトランプ、見せてもらってもいい?」
スペードの6を見つめながら七尾が頼んで来たが、その台詞の途中で秀明は「え?」と聞き返すふりをして、その間にカードを裏返しにした。
「ああ、ごめんごめん。これかい?」
裏を見せている一番上のカードを取り上げ、裏向きのまま七尾に差し出した。
「どうぞ、ようく見て調べてごらん」
「これ、ハートの3だよね?」
七尾は表を見ずに早口で言った。
(え、あ? 先回りされた?)
軽いショックを受けた秀明。少女の言う通り、渡したのはハートの3だ。お客自身にめくらせてもう一度驚いてもらう段取りだった。
「見れば分かるよ」
秀明は自分の声が幾分かたい口調になっていると気付いた。
一方、七尾は手首を返した。カードの表には赤い心臓のマークが三つ。
「やっぱり」
嬉しそうに微笑む七尾に、どうして分かったのか尋ねたかった秀明だが、マジシャンとしてそれはできない。少なくとも他の人の目がある前では。
七尾はカードを返すと、
「僕も練習したら、できるようになるかな?」
と、秀明にあけすけに尋ねてきた。これまた対処に困る質問だ。秀明は再度、師匠の中島に判断を求める視線を送った。
中島は面白そうに目を細め、自身の顎をさすっている。さすがに潮時だと感じ取ったのか、助け船を出してくれた。おもむろに前に出て来て、秀明の隣に立つと、七尾に話し掛ける。
「今のマジックの種が分かったと言うのかな?」
「分かったと思う。自分はまだできないと思うんだけど、多分、合ってるんじゃないかな」
「ふう。これは参りましたね」
まだ見破られたとは信じていない、おどけた口ぶりだ。
「君みたいな小さな子に、分かるとは思えないなあ」
そして挑発的な言葉をつなげた。傍から見ている秀明には、中島師匠の話の持って行き方がやや意外に感じられた。
(種を見破られたと信じられないのは僕も同じだけど、こんな小さな女の子を相手に、青ような言い方は先生らしくない……?)
七尾はでも腹を立てるでもなく、返事した。
「あることができれば、僕も同じマジックをやれる。さっきこのおにいさんが――」
秀明を指差す七尾。
「――クラブのキングやスペードの6を見せたとき、そのカードを直接僕の手に載せてくれたら、きっと証拠が見つかってたんじゃないかなあ」
「ふむ……本物のようだ」
中島の物腰が変化する。最前のおどけた軽さが消え、分別のある大人の重々しさが前面に現れた。
「君が気付いたという種を、小さな声で、私に教えてくれるかい?」
「いいわよ。二枚または三枚を一遍にひっくり返していたんでしょ? 最初は一枚しか摘んでないように見えたけれど」
年端もいかない少女のその発言に、当人を除いて、教室にいた全員が軽く息を飲んだかもしれない。事実、秀明はぎくりとして思わず、胸元に片手をあてがった。
(見抜かれた! え、今の演目、そんなに下手だったかな? マジック初心者の小学生が相手だからって、手抜きしたつもりは……ない。萌莉を前にやるときと同じようにやれたはず)
自らに言い聞かせるようにして、心中にて唱える。だが、ともすればその自信が揺らいでしまう。無意識の内に手を抜いてしまっていたんだろうかという懸念が、拭いきれないでいた。
「先生、失礼になりますけれども本当にその子、ビギナーなんですか?」
受講者の一人が肩の高さに挙手しながら、中島に聞いた。
「はは、疑うのも無理はない。私も初めて七尾さんの慧眼を目の当たりにした折りには、驚かされた口だからね」
「どういうシチュエーションだったんでしょうか?」
秀明が聞きたいことを、先の受講者が続けて質問してくれた。
「彼女に見せたのは今、佐倉君がやったのと似たカードマジック、アンビシャスカードだった」
アンビシャスカード。観客の選んだ一枚のカードに何らかの印を施す、たとえばサインを書いてもらったり、軽く湾曲させたりした後、トランプの山(デック)の中程に差し込み、どこに入れたのか分からなくなるよう揃える。それからマジシャンがいかにもな手つきをしたり呪文を唱えたりすると、デックの一番上のカードが先ほど観客が選んだのと同じカードだというもの。湾曲させた場合は、カードが今まさに上がってきたように見せるため、ぽこっと動く演出を入れることが多い。
(やり方は幾通りかあるけれども、師匠がわざわざ似たカードマジックと表現されたからには、ダブルリフトを用いたのは間違いない)
ダブルリフトは、簡単に説明すれば、二枚のカードを一枚であるかのように見せ掛けて扱うテクニック。まさしく七尾が言い当てた通りの技法だ。
「カードの表に名前を書いてもらうパターンでやったんだが、この子にはあっさりと看破されたよ」
「えっ。まさか、アンビシャスカードをやったのは中島先生ご自身だったのですか」
つづく
「そのトランプ、見せてもらってもいい?」
スペードの6を見つめながら七尾が頼んで来たが、その台詞の途中で秀明は「え?」と聞き返すふりをして、その間にカードを裏返しにした。
「ああ、ごめんごめん。これかい?」
裏を見せている一番上のカードを取り上げ、裏向きのまま七尾に差し出した。
「どうぞ、ようく見て調べてごらん」
「これ、ハートの3だよね?」
七尾は表を見ずに早口で言った。
(え、あ? 先回りされた?)
軽いショックを受けた秀明。少女の言う通り、渡したのはハートの3だ。お客自身にめくらせてもう一度驚いてもらう段取りだった。
「見れば分かるよ」
秀明は自分の声が幾分かたい口調になっていると気付いた。
一方、七尾は手首を返した。カードの表には赤い心臓のマークが三つ。
「やっぱり」
嬉しそうに微笑む七尾に、どうして分かったのか尋ねたかった秀明だが、マジシャンとしてそれはできない。少なくとも他の人の目がある前では。
七尾はカードを返すと、
「僕も練習したら、できるようになるかな?」
と、秀明にあけすけに尋ねてきた。これまた対処に困る質問だ。秀明は再度、師匠の中島に判断を求める視線を送った。
中島は面白そうに目を細め、自身の顎をさすっている。さすがに潮時だと感じ取ったのか、助け船を出してくれた。おもむろに前に出て来て、秀明の隣に立つと、七尾に話し掛ける。
「今のマジックの種が分かったと言うのかな?」
「分かったと思う。自分はまだできないと思うんだけど、多分、合ってるんじゃないかな」
「ふう。これは参りましたね」
まだ見破られたとは信じていない、おどけた口ぶりだ。
「君みたいな小さな子に、分かるとは思えないなあ」
そして挑発的な言葉をつなげた。傍から見ている秀明には、中島師匠の話の持って行き方がやや意外に感じられた。
(種を見破られたと信じられないのは僕も同じだけど、こんな小さな女の子を相手に、青ような言い方は先生らしくない……?)
七尾はでも腹を立てるでもなく、返事した。
「あることができれば、僕も同じマジックをやれる。さっきこのおにいさんが――」
秀明を指差す七尾。
「――クラブのキングやスペードの6を見せたとき、そのカードを直接僕の手に載せてくれたら、きっと証拠が見つかってたんじゃないかなあ」
「ふむ……本物のようだ」
中島の物腰が変化する。最前のおどけた軽さが消え、分別のある大人の重々しさが前面に現れた。
「君が気付いたという種を、小さな声で、私に教えてくれるかい?」
「いいわよ。二枚または三枚を一遍にひっくり返していたんでしょ? 最初は一枚しか摘んでないように見えたけれど」
年端もいかない少女のその発言に、当人を除いて、教室にいた全員が軽く息を飲んだかもしれない。事実、秀明はぎくりとして思わず、胸元に片手をあてがった。
(見抜かれた! え、今の演目、そんなに下手だったかな? マジック初心者の小学生が相手だからって、手抜きしたつもりは……ない。萌莉を前にやるときと同じようにやれたはず)
自らに言い聞かせるようにして、心中にて唱える。だが、ともすればその自信が揺らいでしまう。無意識の内に手を抜いてしまっていたんだろうかという懸念が、拭いきれないでいた。
「先生、失礼になりますけれども本当にその子、ビギナーなんですか?」
受講者の一人が肩の高さに挙手しながら、中島に聞いた。
「はは、疑うのも無理はない。私も初めて七尾さんの慧眼を目の当たりにした折りには、驚かされた口だからね」
「どういうシチュエーションだったんでしょうか?」
秀明が聞きたいことを、先の受講者が続けて質問してくれた。
「彼女に見せたのは今、佐倉君がやったのと似たカードマジック、アンビシャスカードだった」
アンビシャスカード。観客の選んだ一枚のカードに何らかの印を施す、たとえばサインを書いてもらったり、軽く湾曲させたりした後、トランプの山(デック)の中程に差し込み、どこに入れたのか分からなくなるよう揃える。それからマジシャンがいかにもな手つきをしたり呪文を唱えたりすると、デックの一番上のカードが先ほど観客が選んだのと同じカードだというもの。湾曲させた場合は、カードが今まさに上がってきたように見せるため、ぽこっと動く演出を入れることが多い。
(やり方は幾通りかあるけれども、師匠がわざわざ似たカードマジックと表現されたからには、ダブルリフトを用いたのは間違いない)
ダブルリフトは、簡単に説明すれば、二枚のカードを一枚であるかのように見せ掛けて扱うテクニック。まさしく七尾が言い当てた通りの技法だ。
「カードの表に名前を書いてもらうパターンでやったんだが、この子にはあっさりと看破されたよ」
「えっ。まさか、アンビシャスカードをやったのは中島先生ご自身だったのですか」
つづく