第227話 奇術素人の“僕っ子”
文字数 2,093文字
師匠が手招きする身振りをしたかと思ったら、廊下をぱたぱたとスリッパか何かで掛けてくる音が響いた。その足音の感覚の短さから、もしかして小さな子供?と秀明は想像を膨らませた。
「塾は終わったかい?」
「うん。終わって飛んできたよ、僕」
あどけない声による受け答えに、塾通い……。姿が見えない内に、師匠が呼んだのは小学生かせいぜい中学生かな?と仮説が絞り込まれる。
中島が身体を開き、招き入れたのはその通り、小学校高学年と思しき、ランドセルを背負った女の子だった。
(萌莉と同じ年頃か。どう見ても女子だけど、『僕』って言ったよな)
気になりつつ、中島による紹介を待つ。
師匠は女の子を教室の前に立たせると、
「彼女は七尾弥生 ちゃん、いや、さん付けがいいか。七尾さんは小学校――六年生だったかな?」
「ううん、五年だよ。――はじめまして、七尾弥生です。よろしくお願いします」
しゃきしゃきした口調で挨拶し、頭を深く下げる。つられるようにして秀明達もお辞儀を返した。
「私が連れて来るくらいだから、この子もマジックをやると思ったかもしれない。だが、違うんだよね」
中島は自らの台詞の効果を楽しむかのように、弾んだ口ぶりで言った。
「実はこの七尾さん、マジックに関しては全くの素人なんだよ」
場がざわついた。マジックの素人でしかも小学生の女の子をわざわざ呼ぶなんて、一体何の意味があるんだろう?
「これからマジックを見せて、楽しさを知ってもらおうと思うんだ。誰か、立候補する者はいるかね?」
中島師匠が笑み混じりに募ったが、誰も名乗りを上げない。みんな戸惑い顔を見合わせるばかりだ。話が急すぎて状況が飲み込めない、だから様子見だという気持ちが勝ったようだ。どの程度のレベルのマジックをすればいいのかさえ掴みがたい。
それは秀明自身も同じで、積極的に手を挙げようとは微塵も思わない。
(思い返してみたら、まったくマジックを知らない人を相手にマジックを披露した覚えがないな。最初は両親に見せたけれど、当然、ある程度は知っていただろうし)
そんなことを考えている秀明に、中島師匠が目を合わせてきた。
「誰も立候補してくれないので、佐倉君、どうかな」
「僕ですか。それはあの子と一番年齢が近いからでしょうか?」
キャリアだけで言えば、自分よりも経験の少ない者がこの教室には何名かいる。いやむしろ、秀明はベテランの方に入るだろう。
「年齢はあんまり関係ない。君は確か、親戚の小学生の子にマジックを教えているんだったね? 小さい子の扱いに慣れているんじゃないかと思ったんだ」
「慣れてる訳じゃありませんが……分かりました」
引き受けることに決めた。単に師匠に言われたのでというだけでなく、中島師は何らかの意図を持って自分を指名したのかもしれないと考えたからだ。
席を立ち、師匠の横を通って前に出る。その途中でそっと聞いた。
「どんなマジックをすれば……」
「凝ったのじゃなくて基本的なやつだね。それと、特殊なグッズはなし。日常品としてのカードやコインを使ったのがいいかな」
「やってみます」
そういうのでいいのか。秀明は懐のトランプ一組の位置を確認しながら、教室の上手に立った。
「はじめまして、七尾弥生さん。僕の名前は佐倉秀明。高校一年生だよ」
「はじめまして」
ひょこっと頭を下げてまた戻す七尾。マジックを知らないとは言っても興味津々らしく、目を輝かせている。この分なら特別な意識をすることなしに、普通に演じればいいんじゃないかな。そう思った秀明は、最初に何をやるかを考えながら、七尾を手招きした。
「近くでないと見えづらいと思うから、こっち来てくれる? 椅子に座って欲しいんだ」
「うん、分かった」
皆の注目を浴びて照れているのか、彼女はすり足でさささっと前に進み出た。そして秀明の引いてあげた椅子に収まる。
秀明も隣の机から椅子だけ持って来て、向き合う形に座った。すでにトランプは手にしている。
「マジックを見たことはある?」
「あるわ。うーんと、三回ぐらい? 一回は、そこのおじさんがやってくれたのを」
七尾がおじさんと指差したのは、中島師匠だった。
(師匠とこの子は知り合って間もない感じだから、マジックを見せたのもごく最近のはず。そのときに師匠の琴線に触れる何かがあったのかな)
想像をしてみても始まらない。秀明はとにもかくにもマジックをやりおおせることに集中した。
「じゃあ、カードマジックって分かる?」
「同じこと、おじさんから聞かれたよ。トランプマジックでしょ」
「そうとも言うね。今からそのトランプマジックをするから、よく見ていて。――ここに一組のトランプがあります」
紙のケースから中身をするりと抜いた秀明は、口上を続けながらカードをスライドさせて扇を作り、表側を七尾に示した。
「ご覧の通り、カードの順番はばらばらです。ジョーカーは二枚。あってもなくてもいいんだけど、一枚は予備みたいな物だし、抜いておきます」
秀明は端っこに二枚重なるジョーカーの内、一枚を抜き取り、ケースの中に戻した。その様子を七尾がじーっと目で追ってくる。
つづく
「塾は終わったかい?」
「うん。終わって飛んできたよ、僕」
あどけない声による受け答えに、塾通い……。姿が見えない内に、師匠が呼んだのは小学生かせいぜい中学生かな?と仮説が絞り込まれる。
中島が身体を開き、招き入れたのはその通り、小学校高学年と思しき、ランドセルを背負った女の子だった。
(萌莉と同じ年頃か。どう見ても女子だけど、『僕』って言ったよな)
気になりつつ、中島による紹介を待つ。
師匠は女の子を教室の前に立たせると、
「彼女は
「ううん、五年だよ。――はじめまして、七尾弥生です。よろしくお願いします」
しゃきしゃきした口調で挨拶し、頭を深く下げる。つられるようにして秀明達もお辞儀を返した。
「私が連れて来るくらいだから、この子もマジックをやると思ったかもしれない。だが、違うんだよね」
中島は自らの台詞の効果を楽しむかのように、弾んだ口ぶりで言った。
「実はこの七尾さん、マジックに関しては全くの素人なんだよ」
場がざわついた。マジックの素人でしかも小学生の女の子をわざわざ呼ぶなんて、一体何の意味があるんだろう?
「これからマジックを見せて、楽しさを知ってもらおうと思うんだ。誰か、立候補する者はいるかね?」
中島師匠が笑み混じりに募ったが、誰も名乗りを上げない。みんな戸惑い顔を見合わせるばかりだ。話が急すぎて状況が飲み込めない、だから様子見だという気持ちが勝ったようだ。どの程度のレベルのマジックをすればいいのかさえ掴みがたい。
それは秀明自身も同じで、積極的に手を挙げようとは微塵も思わない。
(思い返してみたら、まったくマジックを知らない人を相手にマジックを披露した覚えがないな。最初は両親に見せたけれど、当然、ある程度は知っていただろうし)
そんなことを考えている秀明に、中島師匠が目を合わせてきた。
「誰も立候補してくれないので、佐倉君、どうかな」
「僕ですか。それはあの子と一番年齢が近いからでしょうか?」
キャリアだけで言えば、自分よりも経験の少ない者がこの教室には何名かいる。いやむしろ、秀明はベテランの方に入るだろう。
「年齢はあんまり関係ない。君は確か、親戚の小学生の子にマジックを教えているんだったね? 小さい子の扱いに慣れているんじゃないかと思ったんだ」
「慣れてる訳じゃありませんが……分かりました」
引き受けることに決めた。単に師匠に言われたのでというだけでなく、中島師は何らかの意図を持って自分を指名したのかもしれないと考えたからだ。
席を立ち、師匠の横を通って前に出る。その途中でそっと聞いた。
「どんなマジックをすれば……」
「凝ったのじゃなくて基本的なやつだね。それと、特殊なグッズはなし。日常品としてのカードやコインを使ったのがいいかな」
「やってみます」
そういうのでいいのか。秀明は懐のトランプ一組の位置を確認しながら、教室の上手に立った。
「はじめまして、七尾弥生さん。僕の名前は佐倉秀明。高校一年生だよ」
「はじめまして」
ひょこっと頭を下げてまた戻す七尾。マジックを知らないとは言っても興味津々らしく、目を輝かせている。この分なら特別な意識をすることなしに、普通に演じればいいんじゃないかな。そう思った秀明は、最初に何をやるかを考えながら、七尾を手招きした。
「近くでないと見えづらいと思うから、こっち来てくれる? 椅子に座って欲しいんだ」
「うん、分かった」
皆の注目を浴びて照れているのか、彼女はすり足でさささっと前に進み出た。そして秀明の引いてあげた椅子に収まる。
秀明も隣の机から椅子だけ持って来て、向き合う形に座った。すでにトランプは手にしている。
「マジックを見たことはある?」
「あるわ。うーんと、三回ぐらい? 一回は、そこのおじさんがやってくれたのを」
七尾がおじさんと指差したのは、中島師匠だった。
(師匠とこの子は知り合って間もない感じだから、マジックを見せたのもごく最近のはず。そのときに師匠の琴線に触れる何かがあったのかな)
想像をしてみても始まらない。秀明はとにもかくにもマジックをやりおおせることに集中した。
「じゃあ、カードマジックって分かる?」
「同じこと、おじさんから聞かれたよ。トランプマジックでしょ」
「そうとも言うね。今からそのトランプマジックをするから、よく見ていて。――ここに一組のトランプがあります」
紙のケースから中身をするりと抜いた秀明は、口上を続けながらカードをスライドさせて扇を作り、表側を七尾に示した。
「ご覧の通り、カードの順番はばらばらです。ジョーカーは二枚。あってもなくてもいいんだけど、一枚は予備みたいな物だし、抜いておきます」
秀明は端っこに二枚重なるジョーカーの内、一枚を抜き取り、ケースの中に戻した。その様子を七尾がじーっと目で追ってくる。
つづく