第254話 女優vsマジシャン
文字数 2,042文字
簡易な雲の図を見て、秀明は微笑を浮かべた。
「先にそう言ってよ。この雲の中にクモ――スパイダーを描いていい? 新しく一枚破るのは嫌」
「どうぞどうぞ。描けたら、僕にその紙をいただけますか」
「……はい、これ。佐倉君、言葉遣いが変わってない?」
自動的にマジシャン仕様になるんだ、と適当な答を返しつつ、クモの絵の紙を受け取る。
最初に描かれた雲が味も素っ気もない曲線だとすると、このクモの方は割と手が込んでいる。胴体は縞模様で部分的に黒く塗りつぶされているし、目玉は笑っているのが分かるようになっていた。
時間があればもっとデフォルメした愛らしいクモを描きそうだ、なんて感想を密かに抱きつつ、秀明は紙を一旦両手のひらで挟んでみせた。
「このあと、梧桐さんにこんな具合に握ってもらうんだけれど、このままだとはみ出るかもしれない。外から見えるとまずいので」
秀明は手を開くと、紙をくしゃくしゃに丸めた。直径で言えば十円玉ほどのサイズになっている。
そうして作った紙玉を摘まむと、梧桐に手のひらを上に向けるように言った。
「この紙のボールを僕が右手に置いたら、急いで左手カバーして。逃げ出すといけないから」
「逃げ出す? まさか」
「いやいや、どうなるか分からないよ。クモはなかなかすばしっこいから」
「何をばかな冗談を」
彼女の台詞が終わらぬ内に、紙玉を置き、「はい、閉めて!」と急かす秀明。つられたのかどうか、梧桐が右手に左手を被せるスピードはかなり素早かった。
「で、これで? 時間が掛かってる気がするんだけど」
「もう少し。まずは軽く振ってみて。間違いなく、紙の玉がある?」
「……ええ」
洗ったばかりの手がまだ若干湿り気を帯びているためか、かさこそというような音はしなかったが、当人は感触で分かる。
「では失礼をして、女優さんの手に触れさせていただきます。――かまわない?」
「いいわよ。そうしなきゃ終わらないんだろうし」
「どうも。それでは改めて……おまじないを掛ける」
秀明は梧桐の重ね合わせた手に、最初に上から右手を載せ、次いで下から左手を添えた。
「動かないで。感触はまだありますか?」
「あるわ」
「逃げ出さないように神経を研ぎ澄ませておいてください」
やや強めの調子で告げてから、秀明はもごもごと呪文めいた言葉を唱えた。でたらめな文言を聞き取られてあとでつっこまれると面倒故、はっきり発音しない。
「――ふう。おまじないが効けば、クモは逃げ出しているはず」
「真面目に言ってる?なんて聞くのは、マジシャンへの礼儀を欠くことになるのかしらね。だけど、感触はあるような気がするわよ」
失敗を期待しているのだろうか、若干にんまりとした梧桐。秀明は右手を離しながら、「では左手をそっと持ち上げて、確かめてみて」と促す。
梧桐は期待と不安半々の顔で、言われた通りにした。
「――やっぱりあるじゃない」
がっかりに多少の非難が混じった声。彼女の右手のひらには、紙の玉が載っていた。
「おかしいな。念のため、紙を開いてみるから、そのまま待っていて」
秀明は再び紙玉を摘まんで取り上げ、開いていく。程なくして言った。
「おっ、おまじないは効いたみたいだよ。ほら」
しわの寄った紙を見せられた梧桐は、眉根を寄せた。続いて小首を傾げる。
「消えてる……」
クモも雲も消え、白紙になっていた。
「一体どうなって――」
自らの手をしげしげと見下ろす梧桐。そこへ秀明は鋭く言った。
「おっと、動かないで!」
「えっ」
「クモがそこら辺にまだいるかもしれない。注意して」
「まさか。マジックがうまく行ったんなら、口上はもう切り上げて」
あきれ顔になってきびすを返そうとする梧桐に、秀明は続けて鋭い口調で言う。
「あ! そこっ、梧桐さんの手、右手に!」
「は?」
まるで信用していない反応ぶりだが、それでも彼女は右手を見た。何もない手のひらを返し、甲の方へ視線をやる。と、そこには。
「!! ~っ」
声をなくした梧桐は、右腕を上下に激しく振る。ぶんぶんと音が聞こえてくる。何ゆえ彼女がそんな行動に出たのか? 彼女の右手の甲には黒っぽい物体が張り付いていた。それはまさしくクモの形をしてる。黒と黄色で毒々しい。
「作り物だから、それ」
笑いながら伝えて、腕が当たらないよう距離を取った秀明。が、どうしたことか、梧桐の方から近付いてくる。
「取って!」
「え? だからそれ、作り物」
「作り物でも何でも、クモは嫌いなのっ。絵で描いたのだって、かわいらしかったでしょ?」
「言われてみれば」
だけど、それでも作り物なんだから、そこまで怖がらなくてもいいのに――そんなことを考えながら、取ってあげようとした。が、相変わらず激しく動いている梧桐の右腕を捉え損ね、挙げ句の果てには顔にいいのを一発、もらってしまった。
「あたた」
「あら、当たった? ごめんなさい」
顔を押さえた秀明に、梧桐の声が聞こえる。やけに落ち着いた口調である。つい先ほどまで大騒ぎしていたのが嘘みたいだ。
つづく
「先にそう言ってよ。この雲の中にクモ――スパイダーを描いていい? 新しく一枚破るのは嫌」
「どうぞどうぞ。描けたら、僕にその紙をいただけますか」
「……はい、これ。佐倉君、言葉遣いが変わってない?」
自動的にマジシャン仕様になるんだ、と適当な答を返しつつ、クモの絵の紙を受け取る。
最初に描かれた雲が味も素っ気もない曲線だとすると、このクモの方は割と手が込んでいる。胴体は縞模様で部分的に黒く塗りつぶされているし、目玉は笑っているのが分かるようになっていた。
時間があればもっとデフォルメした愛らしいクモを描きそうだ、なんて感想を密かに抱きつつ、秀明は紙を一旦両手のひらで挟んでみせた。
「このあと、梧桐さんにこんな具合に握ってもらうんだけれど、このままだとはみ出るかもしれない。外から見えるとまずいので」
秀明は手を開くと、紙をくしゃくしゃに丸めた。直径で言えば十円玉ほどのサイズになっている。
そうして作った紙玉を摘まむと、梧桐に手のひらを上に向けるように言った。
「この紙のボールを僕が右手に置いたら、急いで左手カバーして。逃げ出すといけないから」
「逃げ出す? まさか」
「いやいや、どうなるか分からないよ。クモはなかなかすばしっこいから」
「何をばかな冗談を」
彼女の台詞が終わらぬ内に、紙玉を置き、「はい、閉めて!」と急かす秀明。つられたのかどうか、梧桐が右手に左手を被せるスピードはかなり素早かった。
「で、これで? 時間が掛かってる気がするんだけど」
「もう少し。まずは軽く振ってみて。間違いなく、紙の玉がある?」
「……ええ」
洗ったばかりの手がまだ若干湿り気を帯びているためか、かさこそというような音はしなかったが、当人は感触で分かる。
「では失礼をして、女優さんの手に触れさせていただきます。――かまわない?」
「いいわよ。そうしなきゃ終わらないんだろうし」
「どうも。それでは改めて……おまじないを掛ける」
秀明は梧桐の重ね合わせた手に、最初に上から右手を載せ、次いで下から左手を添えた。
「動かないで。感触はまだありますか?」
「あるわ」
「逃げ出さないように神経を研ぎ澄ませておいてください」
やや強めの調子で告げてから、秀明はもごもごと呪文めいた言葉を唱えた。でたらめな文言を聞き取られてあとでつっこまれると面倒故、はっきり発音しない。
「――ふう。おまじないが効けば、クモは逃げ出しているはず」
「真面目に言ってる?なんて聞くのは、マジシャンへの礼儀を欠くことになるのかしらね。だけど、感触はあるような気がするわよ」
失敗を期待しているのだろうか、若干にんまりとした梧桐。秀明は右手を離しながら、「では左手をそっと持ち上げて、確かめてみて」と促す。
梧桐は期待と不安半々の顔で、言われた通りにした。
「――やっぱりあるじゃない」
がっかりに多少の非難が混じった声。彼女の右手のひらには、紙の玉が載っていた。
「おかしいな。念のため、紙を開いてみるから、そのまま待っていて」
秀明は再び紙玉を摘まんで取り上げ、開いていく。程なくして言った。
「おっ、おまじないは効いたみたいだよ。ほら」
しわの寄った紙を見せられた梧桐は、眉根を寄せた。続いて小首を傾げる。
「消えてる……」
クモも雲も消え、白紙になっていた。
「一体どうなって――」
自らの手をしげしげと見下ろす梧桐。そこへ秀明は鋭く言った。
「おっと、動かないで!」
「えっ」
「クモがそこら辺にまだいるかもしれない。注意して」
「まさか。マジックがうまく行ったんなら、口上はもう切り上げて」
あきれ顔になってきびすを返そうとする梧桐に、秀明は続けて鋭い口調で言う。
「あ! そこっ、梧桐さんの手、右手に!」
「は?」
まるで信用していない反応ぶりだが、それでも彼女は右手を見た。何もない手のひらを返し、甲の方へ視線をやる。と、そこには。
「!! ~っ」
声をなくした梧桐は、右腕を上下に激しく振る。ぶんぶんと音が聞こえてくる。何ゆえ彼女がそんな行動に出たのか? 彼女の右手の甲には黒っぽい物体が張り付いていた。それはまさしくクモの形をしてる。黒と黄色で毒々しい。
「作り物だから、それ」
笑いながら伝えて、腕が当たらないよう距離を取った秀明。が、どうしたことか、梧桐の方から近付いてくる。
「取って!」
「え? だからそれ、作り物」
「作り物でも何でも、クモは嫌いなのっ。絵で描いたのだって、かわいらしかったでしょ?」
「言われてみれば」
だけど、それでも作り物なんだから、そこまで怖がらなくてもいいのに――そんなことを考えながら、取ってあげようとした。が、相変わらず激しく動いている梧桐の右腕を捉え損ね、挙げ句の果てには顔にいいのを一発、もらってしまった。
「あたた」
「あら、当たった? ごめんなさい」
顔を押さえた秀明に、梧桐の声が聞こえる。やけに落ち着いた口調である。つい先ほどまで大騒ぎしていたのが嘘みたいだ。
つづく