第30話 輪ゴムで和む
文字数 2,156文字
誰かが声を上げた。
二本の輪ゴムの触れ合っている部分が溶け込んで、反対側にすり抜けるみたいにして、また離れていく。
輪ゴムの交差は完全にほどけた。もちろん、両手それぞれの親指と人差し指は、輪ゴムを掛けられたままだ。
「どうかな?」
凄い!という意味の声が四つ重なって、何かよく聞き取れなくなる。それだけ驚いたってこと。
「貫通マジックには、こういうのもあるって知ってもらいたかったんだ。あ、輪ゴム、ありがとう。いくらでも調べていいよ」
不知火さんに輪ゴム二本が返される。皆でチェックしたけれども、輪ゴムはどちらも切れ目はなかった。
「なるほど。とっても面白いです」
不知火さんが、何故だかすっきりした顔つきになっている。ついさっきまでは、リンキングリングの種が気になっていたのか、ずっと黙って考え込んでいる風だったのに。
「もしかして、種の見当が付いたの?」
思わず聞いちゃった。でも、不知火さんは「いえ」と簡単に否定した。
「どちらのマジックも、種は分かりません。ただ、シュウさんの話が対照的なものだとすると、言いたいことが何だか分かるような。そんな気がして」
もっと具体的に詳しく聞こうとしたそのとき、ブザーが轟き、後半のスタートまで間がないことを伝えるアナウンスがあった。私達も他の皆さんも、急ぎ足でホール内へと戻てって行く。
が、途中でシュウさんだけが呼び止められた。
「佐倉秀明さんでしょうか」
「そうですが、何か御用ですか」
「うちの会長の多田が呼んでおりまして、差し支えがなければ今から控室の方に来てもらえないでしょうか」
「えっと」
シュウさんは足を止めていた私の方を見た。
「差し支えがあると言えばあるのですが」
「ううん、いいよ」
私はすかさず言った。
「座って観てるだけなら、私達だけで平気だわ。楽しんでるから、シュウさんは気にしないでどうぞ」
「ん、分かった。ありがと」
こういうことなので出向きます、と呼びに来た人に伝えて、シュウさんはそのまま別の方向へ歩いて行った。
* *
呼びに来た中年男性のあとについて控室の一つに足を運ぶと、そこは中島師匠の部屋だった。窓は閉め切られているが、クーラーが入っていて、今日の暑さでも全く問題ない環境だ。佐倉秀明は幾分緊張しつつも、再度の挨拶をした。
「やっぱり、先生でしたか。多田会長とは大した面識もないから、おかしいなって思ったんです」
「うむ。ちょっとトラブルが生じてだね。会長は自らの出演が間近で応じきれない。そこで問題解決に、君を推薦したのだ」
外から運び込んだらしいソファに身を沈めていたプロマジシャンは、頭を抱えるポーズをした。
「トラブルと言いますと」
大まかに二種類、思い浮かんだ。
一つは、出演予定のマジシャンが急に出られなくなった。その穴埋めに声が掛かったというケース。
が、これはない。コンテスト出場者なら欠席は採点の対象外にすればいいだけ。ゲストマジシャンの欠場なら、アマチュアの高校生マジシャンに代役が務まるはずもなく、そもそも中島のキャラクターなら、穴埋めのためにいくらでも長時間、マジックをやるのを厭わないだろう。加えて、観客がそれを許すどころか、歓迎するだけの知名度と技量を師匠は持ち合わせている。
となると、自分が呼ばれた原因となったトラブルはもう一つの方に違いない。
「事件ですか。それも警察を呼ぶほどではないが、面倒な」
「まあ、そういうことだ」
中島師匠は大仰に頷いた。
「自分も会長もこのあと出演があって、落ち着ける時間がない。そこで、実績のある君の存在を思い出したという次第だよ」
「前のは偶然というか、幸運が味方してくれただけです。今回も解けるとは限りません」
「それでもかまわない。やってみてくれるね」
「はい。皆さんのマジックを見逃すのが惜しいですけど」
「その点は大丈夫。任せなさい」
胸を叩く中島。秀明は小さく首を傾げた。
「この大会は撮影されている。後日、編集してDVDか何かに焼くそうだから、その内の一枚を無料進呈しよう」
「――ほっとしました。それで、事件というのは」
「当事者から話してもらうとしよう。おーい」
中島が声を張ると、若い女性が入って来た。それまで遠慮して外に待機していたらしい。バニーガールを想起させる黒と赤のぴっちりした衣装を着ており、出場者の一人に違いない。
「関川三美 と言います。このあと、後半の九番目が出番なんですけど、難しい事態になってしまって」
「佐倉秀明です。微力ながらお手伝いさせていただきます。起きたことを詳しく聞かせてください」
秀明は手帳とペンを持っているが、いきなり出すような真似は避けた。相手に警戒されると、聞ける話も聞けなくなる恐れがある。
「はい……えっと、今日みたいなイベントだと、控室が足りなくて、車の中で準備しなくちゃいけないこともあるんですけど、今回は着替えが必要だから、お願いして確保してもらったんです。それがBの6で、運よく個室でした。あ、でもここみたいにクーラーはなくて、もうだいぶ狭い部屋ですけど」
つづく
二本の輪ゴムの触れ合っている部分が溶け込んで、反対側にすり抜けるみたいにして、また離れていく。
輪ゴムの交差は完全にほどけた。もちろん、両手それぞれの親指と人差し指は、輪ゴムを掛けられたままだ。
「どうかな?」
凄い!という意味の声が四つ重なって、何かよく聞き取れなくなる。それだけ驚いたってこと。
「貫通マジックには、こういうのもあるって知ってもらいたかったんだ。あ、輪ゴム、ありがとう。いくらでも調べていいよ」
不知火さんに輪ゴム二本が返される。皆でチェックしたけれども、輪ゴムはどちらも切れ目はなかった。
「なるほど。とっても面白いです」
不知火さんが、何故だかすっきりした顔つきになっている。ついさっきまでは、リンキングリングの種が気になっていたのか、ずっと黙って考え込んでいる風だったのに。
「もしかして、種の見当が付いたの?」
思わず聞いちゃった。でも、不知火さんは「いえ」と簡単に否定した。
「どちらのマジックも、種は分かりません。ただ、シュウさんの話が対照的なものだとすると、言いたいことが何だか分かるような。そんな気がして」
もっと具体的に詳しく聞こうとしたそのとき、ブザーが轟き、後半のスタートまで間がないことを伝えるアナウンスがあった。私達も他の皆さんも、急ぎ足でホール内へと戻てって行く。
が、途中でシュウさんだけが呼び止められた。
「佐倉秀明さんでしょうか」
「そうですが、何か御用ですか」
「うちの会長の多田が呼んでおりまして、差し支えがなければ今から控室の方に来てもらえないでしょうか」
「えっと」
シュウさんは足を止めていた私の方を見た。
「差し支えがあると言えばあるのですが」
「ううん、いいよ」
私はすかさず言った。
「座って観てるだけなら、私達だけで平気だわ。楽しんでるから、シュウさんは気にしないでどうぞ」
「ん、分かった。ありがと」
こういうことなので出向きます、と呼びに来た人に伝えて、シュウさんはそのまま別の方向へ歩いて行った。
* *
呼びに来た中年男性のあとについて控室の一つに足を運ぶと、そこは中島師匠の部屋だった。窓は閉め切られているが、クーラーが入っていて、今日の暑さでも全く問題ない環境だ。佐倉秀明は幾分緊張しつつも、再度の挨拶をした。
「やっぱり、先生でしたか。多田会長とは大した面識もないから、おかしいなって思ったんです」
「うむ。ちょっとトラブルが生じてだね。会長は自らの出演が間近で応じきれない。そこで問題解決に、君を推薦したのだ」
外から運び込んだらしいソファに身を沈めていたプロマジシャンは、頭を抱えるポーズをした。
「トラブルと言いますと」
大まかに二種類、思い浮かんだ。
一つは、出演予定のマジシャンが急に出られなくなった。その穴埋めに声が掛かったというケース。
が、これはない。コンテスト出場者なら欠席は採点の対象外にすればいいだけ。ゲストマジシャンの欠場なら、アマチュアの高校生マジシャンに代役が務まるはずもなく、そもそも中島のキャラクターなら、穴埋めのためにいくらでも長時間、マジックをやるのを厭わないだろう。加えて、観客がそれを許すどころか、歓迎するだけの知名度と技量を師匠は持ち合わせている。
となると、自分が呼ばれた原因となったトラブルはもう一つの方に違いない。
「事件ですか。それも警察を呼ぶほどではないが、面倒な」
「まあ、そういうことだ」
中島師匠は大仰に頷いた。
「自分も会長もこのあと出演があって、落ち着ける時間がない。そこで、実績のある君の存在を思い出したという次第だよ」
「前のは偶然というか、幸運が味方してくれただけです。今回も解けるとは限りません」
「それでもかまわない。やってみてくれるね」
「はい。皆さんのマジックを見逃すのが惜しいですけど」
「その点は大丈夫。任せなさい」
胸を叩く中島。秀明は小さく首を傾げた。
「この大会は撮影されている。後日、編集してDVDか何かに焼くそうだから、その内の一枚を無料進呈しよう」
「――ほっとしました。それで、事件というのは」
「当事者から話してもらうとしよう。おーい」
中島が声を張ると、若い女性が入って来た。それまで遠慮して外に待機していたらしい。バニーガールを想起させる黒と赤のぴっちりした衣装を着ており、出場者の一人に違いない。
「
「佐倉秀明です。微力ながらお手伝いさせていただきます。起きたことを詳しく聞かせてください」
秀明は手帳とペンを持っているが、いきなり出すような真似は避けた。相手に警戒されると、聞ける話も聞けなくなる恐れがある。
「はい……えっと、今日みたいなイベントだと、控室が足りなくて、車の中で準備しなくちゃいけないこともあるんですけど、今回は着替えが必要だから、お願いして確保してもらったんです。それがBの6で、運よく個室でした。あ、でもここみたいにクーラーはなくて、もうだいぶ狭い部屋ですけど」
つづく