第18話 “五日に何か用か?”
文字数 1,950文字
「どうぞ」
紅茶をすすめてくる不知火さん。と、急に鋭い口調になって、
「飲み始める前に、本は仕舞う。いいですね?」
と言ってきた。あ、ごめん。でもちょっとだけ、この本について話がしたい。
「ねえねえ。このマジックの本、買ってもらったの?」
「……はい。つい最近ですから、まだ読み通せていないのですが」
「読み終わったら、貸してもらえたら嬉しいなあ、なんて思ったり」
あはあはと笑いながら、相手の様子をちらっと窺った。不知火さんはその本を閉じると、棚の元の場所に戻した。ああ、だめか~。
「どうしましょう……」
棚からこちらに振り返った彼女は、片手を頬に当て、悩ましげにしている。
「実は全部読んでしまってよいものか、悩み始めていたところでした。多分、これから佐倉さんや従兄弟のシュウさんでしたか、その人から教わる話の一部も、あの本には書いてあるんだろうなっていう予感があります。でも……何も知らない素の状態のまま、教えてもらう方がきっと楽しく学べる気がしますよね」
「多分、そうだと思う。じゃあ、私もまだ読まない方がいいかな。シュウさんから直接、手取り足取り教わるのが楽しそう」
「では、あの魔法の書はしばらく封印としましょうか」
封印という言い回しに合わせたのだろう、不知火さんは魔法の書と表現した。
「それで、電話で話をしたばかりだというのに、わざわざお越しになったのは、何事かありました?」
今度は個包装のクッキーを盛ったミニバスケットを私の方へ押しやりながら、不知火さんは聞いてきた。
「来たのは、不知火さんのお家を一度見ておきたいと思ったのが主な理由なんだけど」
「まあ」
「でも、重大な用事があるのも事実だよ。電話をくれたあと、シュウさんからも電話があって」
「まさか、一日で状況が変わって断りを入れ……てきたわけではなさそうですね」
不知火さんは瞬間的に不安がよぎった様子だったけれど、私がよっぽど嬉しそうに見えたのだろう。違うとすぐに察してくれた。
「今度の五日、アマチュア団体のマジック発表会があるから、それをみんなで観に行かないかって、シュウさんが誘ってきた。行く? 行ける?」
上半身前のめり気味に尋ねた。ところが不知火さん、訝しげな顔になっている。困惑させるようなこと、言ったかしら?
「いつなのかが分からないと、答えようがありません」
「ん? だから、今度の五日」
「ですから……あ。分かりました」
不知火さんは急に肩を震わせ、手にしてて紅茶のカップをトレイに戻した。俯いて、笑いを堪えているみたい。うーん、面白いことを言った覚えはないのですが。
「あのー、一人で納得してないで……何が何やら」
「いえ、私の思い違いです。でも、佐倉さんもよくないですよ」
まだ笑いを堪えてる風に、クスクスしながら言う。
「こどもの日と言ってもらえたら、即座に飲み込めたのに、今度の五日だなんて表現するから」
「え? だめ?」
「だめとは言いません。強いて言えばアクセント、イントネーションがよくなかったです。私、『今度のいつか』と受け取ったんですから」
「だから『今度の五日』って」
不知火さんはノートと鉛筆を持ってきて、空きスペースに二通りの「こんどのいつか」を書き記した。これで私もようやく理解できた。
「似たような聞き間違いで有名なのは、『七日八日 』と『何か用か?』がありますね」
「なるほどねー。日本語って難しい」
「はい。難しくて面白くて多様で、そして美しいものです」
当たり前のように肯定された。
「私が本を読むのは、そのためでもあるんです。知識を得るためだけじゃない、初めての言葉に、日本語に巡りあいたいから」
そう話す不知火さん、とても幸せそう。多分、私がマジックについて語るとき、似た感じになるんじゃないかな。
「そ、それで都合はどう?」
お茶を飲む時間を計算に入れると、ここであまりのんびりとお喋りしているわけにも行かない。
「五月五日、多分、行けると思います」
「よかった。でも無理はしないでよ」
「ええ、無理なときはなるべく早めに言います」
私は一応現時点で決めた、仮の集合場所と集合時刻を伝えた。
「変更があったら、すぐに知らせるから。何も変更がないときは……そのまま来てもらって大丈夫……と思うんだけど」
急に歯切れが悪くなったのは、私の心理状態のせい。不知火さんを相手に、続けざまに二度、呆れられたのを思い起こしたから。
「やっぱり、念のために電話をください。最終確認ということで」
「――了解しましたよ」
若干、きょとん顔だった不知火さんだけど、私の心の動きに気が付いたのか、にこりと微笑んだ。
つづく
紅茶をすすめてくる不知火さん。と、急に鋭い口調になって、
「飲み始める前に、本は仕舞う。いいですね?」
と言ってきた。あ、ごめん。でもちょっとだけ、この本について話がしたい。
「ねえねえ。このマジックの本、買ってもらったの?」
「……はい。つい最近ですから、まだ読み通せていないのですが」
「読み終わったら、貸してもらえたら嬉しいなあ、なんて思ったり」
あはあはと笑いながら、相手の様子をちらっと窺った。不知火さんはその本を閉じると、棚の元の場所に戻した。ああ、だめか~。
「どうしましょう……」
棚からこちらに振り返った彼女は、片手を頬に当て、悩ましげにしている。
「実は全部読んでしまってよいものか、悩み始めていたところでした。多分、これから佐倉さんや従兄弟のシュウさんでしたか、その人から教わる話の一部も、あの本には書いてあるんだろうなっていう予感があります。でも……何も知らない素の状態のまま、教えてもらう方がきっと楽しく学べる気がしますよね」
「多分、そうだと思う。じゃあ、私もまだ読まない方がいいかな。シュウさんから直接、手取り足取り教わるのが楽しそう」
「では、あの魔法の書はしばらく封印としましょうか」
封印という言い回しに合わせたのだろう、不知火さんは魔法の書と表現した。
「それで、電話で話をしたばかりだというのに、わざわざお越しになったのは、何事かありました?」
今度は個包装のクッキーを盛ったミニバスケットを私の方へ押しやりながら、不知火さんは聞いてきた。
「来たのは、不知火さんのお家を一度見ておきたいと思ったのが主な理由なんだけど」
「まあ」
「でも、重大な用事があるのも事実だよ。電話をくれたあと、シュウさんからも電話があって」
「まさか、一日で状況が変わって断りを入れ……てきたわけではなさそうですね」
不知火さんは瞬間的に不安がよぎった様子だったけれど、私がよっぽど嬉しそうに見えたのだろう。違うとすぐに察してくれた。
「今度の五日、アマチュア団体のマジック発表会があるから、それをみんなで観に行かないかって、シュウさんが誘ってきた。行く? 行ける?」
上半身前のめり気味に尋ねた。ところが不知火さん、訝しげな顔になっている。困惑させるようなこと、言ったかしら?
「いつなのかが分からないと、答えようがありません」
「ん? だから、今度の五日」
「ですから……あ。分かりました」
不知火さんは急に肩を震わせ、手にしてて紅茶のカップをトレイに戻した。俯いて、笑いを堪えているみたい。うーん、面白いことを言った覚えはないのですが。
「あのー、一人で納得してないで……何が何やら」
「いえ、私の思い違いです。でも、佐倉さんもよくないですよ」
まだ笑いを堪えてる風に、クスクスしながら言う。
「こどもの日と言ってもらえたら、即座に飲み込めたのに、今度の五日だなんて表現するから」
「え? だめ?」
「だめとは言いません。強いて言えばアクセント、イントネーションがよくなかったです。私、『今度のいつか』と受け取ったんですから」
「だから『今度の五日』って」
不知火さんはノートと鉛筆を持ってきて、空きスペースに二通りの「こんどのいつか」を書き記した。これで私もようやく理解できた。
「似たような聞き間違いで有名なのは、『
「なるほどねー。日本語って難しい」
「はい。難しくて面白くて多様で、そして美しいものです」
当たり前のように肯定された。
「私が本を読むのは、そのためでもあるんです。知識を得るためだけじゃない、初めての言葉に、日本語に巡りあいたいから」
そう話す不知火さん、とても幸せそう。多分、私がマジックについて語るとき、似た感じになるんじゃないかな。
「そ、それで都合はどう?」
お茶を飲む時間を計算に入れると、ここであまりのんびりとお喋りしているわけにも行かない。
「五月五日、多分、行けると思います」
「よかった。でも無理はしないでよ」
「ええ、無理なときはなるべく早めに言います」
私は一応現時点で決めた、仮の集合場所と集合時刻を伝えた。
「変更があったら、すぐに知らせるから。何も変更がないときは……そのまま来てもらって大丈夫……と思うんだけど」
急に歯切れが悪くなったのは、私の心理状態のせい。不知火さんを相手に、続けざまに二度、呆れられたのを思い起こしたから。
「やっぱり、念のために電話をください。最終確認ということで」
「――了解しましたよ」
若干、きょとん顔だった不知火さんだけど、私の心の動きに気が付いたのか、にこりと微笑んだ。
つづく