第264話 風雲急?
文字数 2,006文字
「うーん、さすがに三十分あれば済んでいると思ったんだけど、歳かな。ま、しょうがない。悪いんだけど、ここで少し待っててくれるかい。呼んでくるから」
「はい」
靴を脱ぎ、右方向へ廊下を行く実朝さん。「伯父さん、どこです?」という声が聞こえた。それだけ広い家だ。
「何か思っていた以上にお金持ちみたい」
大人がいなくなるとずけずけ言う朱美ちゃんに、思わず苦笑いをしてしまう。
「家は大きいし、わざわざこんな、ちょっと不便な場所に建てたみたいだし、絵や花瓶も高そう」
最後のフレーズは何の話かと思ったら、壁に掛かる小ぶりな絵や、履き物入れ(多分)の棚の上に飾られた一輪挿しのことね。絵は水彩画で、高いかどうかなんて分からないけれども、瑪瑙色をした花瓶の方は縦長の三角錐を捻ったようなデザインが素敵で、欲しくなる。
「そうか? 金持ちなら花は本物を使うんじゃねえの?」
後ろに立つ森君が少し背伸びして、花瓶の方に目を凝らしてから言った。彼の言った通り、挿してある花自体は造花だった。どことはなしに手作り感のある、ぼてっとした色合いをしている。
「そこはほら、掃除が苦手な人だから、花を取り替えるのも面倒ってことで、造花で済ませてるんだよ、きっと」
朱美ちゃんの解釈も納得できる。裕福な家庭でも、毎日生花を一輪だけ届けさせるなんて、さすがにしないだろう。第一、土間に並ぶ履き物から判断すると、このお家に女の人はいないみたいだし。LGBTQどうこうという話はさておき、男所帯で花一輪というのは、あんまりイメージにないかな。
「花のことはともかく……遅いな」
森君は前に進み出たかと思うと、板張りの廊下に両手を突き、奥を見通す格好をした。「ったく、どんだけ広い家なんだ?」
人影は見当たらなかったらしく、首を傾げて身体を起こす森君。
「ひょっとして、外じゃね?」
「えー? 私達が来ると分かっているのに?」
「じゃなくて。ほら、さっき金田さんが見付けた蔵に入っているとかさ」
「あ、そうか」
ないとは言い切れない。実朝さんはその可能性に気付いているんだろうか。
「私、見て来よっかな」
朱美ちゃんが玄関戸へ振り向き、今にも飛び出しそうな口調で言う。
「勝手に覗くのはよくないと思うわ。桂崎さんが蔵にいるいないとは関係なしに」
「だよね、失礼か」
「失礼って意味では、こうして呼び付けた客を長々と待たせるのも、失礼だぜ」
森君は腰に手を当て、片足のつま先で土間をぱたぱたと叩いた。いらいらし始めたわ。もう、二人とも落ち着いてよ。万が一、迷惑を掛けてしまったら、この話を持って来てくれたシュウさんに合わせる顔がなくなる。
「あと百数えて実朝さんも桂崎さんも姿を見せなかったら、佐倉さんがちょっと上がって様子を見に来てくれよ」
「私が?」
思わず自分を指差す。
「だって、三人で上がり込むのはどうかと思うし、誰か一人行くとしたら、代表者だろ、やっぱ」
「それはそうかもしれないけど」
あーん、早く来てくれないかなあ。さっき森君がしたみたいに、私も首を伸ばして廊下の奥を見てみた。
と、その途端に。
「うわっ」
低いがしっかりとした声――叫び声が聞こえた。恐らく、実朝さんのものだけど、叫び声って。もやもやした不安が脳裏に広がる。
何かが起きた? 何かって何? 想像が付かないまま、駆け戻ってくる足音の響きを感じた。程なくして、右手廊下の突き当たりに、実朝さんが姿を現した。急ブレーキを掛けて角を曲がり、こっちに走ってくる。
「ど、どうしたんですか」と言ったつもりだっけど、実際には声にならなかったみたい。それだけ、迫ってくる実朝さんの表情が普通じゃなかった。緊張感と驚きと焦りが一緒くたになったような、そう、動転した顔だ。
「き、君達。――もうちょっと待ってくれるか」
私達三人の前に立った実朝さんは、やや息を切らし気味に言った。何が起きたかを話そうとして、寸前でやめた風に見える。
「待つのはいいんですが、何があったんですか」
「実は――いや、やはり、まだ小さい君らに見せるのは」
言おうか言うまいか、ためらっているのが傍から見ていてもよく分かる。ドラマや映画なんかではともかく、大人がここまで狼狽えているのを目の当たりにするのは初めてだ。
「もしかして急病ですか」
森君が不意に言った。いつもじゃない丁寧語だったから、一瞬、誰の発言だか分からなかったくらい。
「だとしたら、早く電話して救急車を呼ばないと」
電話を持っているであろう実朝さんに、森君が急かすように言った。
「いやいや、急病とかそう言うんじゃあないんだ」
片手を大きく振って否定した実朝さんは、続けて何やら思い出すかのように斜め上に視線を向けたかと思うと、やおら話し始めた。
「何というか、訳が分からない事態でね。このままだと、自分一人が疑われかねない」
「疑われる?」
私達三人の声が揃った。疑われるって、どういうこと?
「はい」
靴を脱ぎ、右方向へ廊下を行く実朝さん。「伯父さん、どこです?」という声が聞こえた。それだけ広い家だ。
「何か思っていた以上にお金持ちみたい」
大人がいなくなるとずけずけ言う朱美ちゃんに、思わず苦笑いをしてしまう。
「家は大きいし、わざわざこんな、ちょっと不便な場所に建てたみたいだし、絵や花瓶も高そう」
最後のフレーズは何の話かと思ったら、壁に掛かる小ぶりな絵や、履き物入れ(多分)の棚の上に飾られた一輪挿しのことね。絵は水彩画で、高いかどうかなんて分からないけれども、瑪瑙色をした花瓶の方は縦長の三角錐を捻ったようなデザインが素敵で、欲しくなる。
「そうか? 金持ちなら花は本物を使うんじゃねえの?」
後ろに立つ森君が少し背伸びして、花瓶の方に目を凝らしてから言った。彼の言った通り、挿してある花自体は造花だった。どことはなしに手作り感のある、ぼてっとした色合いをしている。
「そこはほら、掃除が苦手な人だから、花を取り替えるのも面倒ってことで、造花で済ませてるんだよ、きっと」
朱美ちゃんの解釈も納得できる。裕福な家庭でも、毎日生花を一輪だけ届けさせるなんて、さすがにしないだろう。第一、土間に並ぶ履き物から判断すると、このお家に女の人はいないみたいだし。LGBTQどうこうという話はさておき、男所帯で花一輪というのは、あんまりイメージにないかな。
「花のことはともかく……遅いな」
森君は前に進み出たかと思うと、板張りの廊下に両手を突き、奥を見通す格好をした。「ったく、どんだけ広い家なんだ?」
人影は見当たらなかったらしく、首を傾げて身体を起こす森君。
「ひょっとして、外じゃね?」
「えー? 私達が来ると分かっているのに?」
「じゃなくて。ほら、さっき金田さんが見付けた蔵に入っているとかさ」
「あ、そうか」
ないとは言い切れない。実朝さんはその可能性に気付いているんだろうか。
「私、見て来よっかな」
朱美ちゃんが玄関戸へ振り向き、今にも飛び出しそうな口調で言う。
「勝手に覗くのはよくないと思うわ。桂崎さんが蔵にいるいないとは関係なしに」
「だよね、失礼か」
「失礼って意味では、こうして呼び付けた客を長々と待たせるのも、失礼だぜ」
森君は腰に手を当て、片足のつま先で土間をぱたぱたと叩いた。いらいらし始めたわ。もう、二人とも落ち着いてよ。万が一、迷惑を掛けてしまったら、この話を持って来てくれたシュウさんに合わせる顔がなくなる。
「あと百数えて実朝さんも桂崎さんも姿を見せなかったら、佐倉さんがちょっと上がって様子を見に来てくれよ」
「私が?」
思わず自分を指差す。
「だって、三人で上がり込むのはどうかと思うし、誰か一人行くとしたら、代表者だろ、やっぱ」
「それはそうかもしれないけど」
あーん、早く来てくれないかなあ。さっき森君がしたみたいに、私も首を伸ばして廊下の奥を見てみた。
と、その途端に。
「うわっ」
低いがしっかりとした声――叫び声が聞こえた。恐らく、実朝さんのものだけど、叫び声って。もやもやした不安が脳裏に広がる。
何かが起きた? 何かって何? 想像が付かないまま、駆け戻ってくる足音の響きを感じた。程なくして、右手廊下の突き当たりに、実朝さんが姿を現した。急ブレーキを掛けて角を曲がり、こっちに走ってくる。
「ど、どうしたんですか」と言ったつもりだっけど、実際には声にならなかったみたい。それだけ、迫ってくる実朝さんの表情が普通じゃなかった。緊張感と驚きと焦りが一緒くたになったような、そう、動転した顔だ。
「き、君達。――もうちょっと待ってくれるか」
私達三人の前に立った実朝さんは、やや息を切らし気味に言った。何が起きたかを話そうとして、寸前でやめた風に見える。
「待つのはいいんですが、何があったんですか」
「実は――いや、やはり、まだ小さい君らに見せるのは」
言おうか言うまいか、ためらっているのが傍から見ていてもよく分かる。ドラマや映画なんかではともかく、大人がここまで狼狽えているのを目の当たりにするのは初めてだ。
「もしかして急病ですか」
森君が不意に言った。いつもじゃない丁寧語だったから、一瞬、誰の発言だか分からなかったくらい。
「だとしたら、早く電話して救急車を呼ばないと」
電話を持っているであろう実朝さんに、森君が急かすように言った。
「いやいや、急病とかそう言うんじゃあないんだ」
片手を大きく振って否定した実朝さんは、続けて何やら思い出すかのように斜め上に視線を向けたかと思うと、やおら話し始めた。
「何というか、訳が分からない事態でね。このままだと、自分一人が疑われかねない」
「疑われる?」
私達三人の声が揃った。疑われるって、どういうこと?