サイドストーリー:火と水の邂逅 その1
文字数 2,351文字
率直な感想を述べるとするならば、彼女――不知火遥さんを最初に見た第一印象はあまりよくなかった。
美人なのは認める。だが、冷たい感じがして、近寄りがたい雰囲気を纏っていた。
その後、新学期の小学校生活が始まって、彼女の言動をいくつか目にしたけれども、最初のイメージを覆すには至らなかった。
とにかく無口で、必要最小限のことしか話さない。壁を作られている感じ。
ただ、私に対してだけでなく、周りの人全員に対して同じだったから、それ以上は気にしなかった。
そんな彼女が、次に私の心に引っ掛かってきたのは、図書室でのこと。
私は推理小説が大好きで、昔から――といってもそんなに何年も前じゃないけれど――よく読んできた。小学校の図書の時間ではその手の物ばかり借りて、3,4年生向けのコーナーにある推理物の本を読み尽くすと、今度は5,6年生向けコーナーにある作品に手を出すようになった。
一方、彼女もまたよく本を読んでいた。私のように偏ったジャンルではなく、様々な分野を満遍なく読んでいる、まさに本好き、本の虫というイメージだ。教室でも静かに一人で本を開いている姿を見たのは、数え切れない。もちろん小説だって読む。五年生になってまだ間もないある日、教室で彼女の座る横を通ったとき、その手にしている本のページがたまたま目に留まって、「あ、『鏡地獄』」と小さな声だったけど思わず言ってしまった。
ちょっと、いや、結構恥ずかしかったし、本を覗いていたのを咎められるかもしれないと思い、私は足早に立ち去った。だから彼女がどんな反応を見せていたかは知らない。
そのとき以降、初めて図書館で彼女と会った。書架の林の間、やや狭めの通路で、お互いにこのまま進んですれ違うとしたら、身体を横に向けないといけない。そんな空気だった。
私はしかしすれ違う前に、目指す書架に辿り着いた。推理小説や推理漫画のトリックを集めた本があると知って、それを探していたのだ。よく利用する小説とは異なる一角にあったので、少々手間取ってしまった。
目当ての本を見付け、斜め上に手を伸ばそうとした刹那、隣に人の気配が。
彼女が私のすぐ横に立って、同じように本を眺め始めたのだ。そして同じように手を伸ばし――同じ本に触れた。
あ。
声に出したのは私だけだったかもしれない。もしかすると、どちらも何も言わなかったのかもしれない。私と彼女が言葉を交わすことがなかったのは確か。
びっくりして動きの止まった私に対して、彼女は全てをすぐに察したかのように手を引っ込め、そして口を形だけ動かした。
どうぞ。
それだけ言って、いや言ってない、伝えてきて、彼女はきびすを返すと、元来た方へ戻っていった。
私は一瞬、お目当ての本を抜き取るのも忘れ、彼女を追い掛けようとしていた。どうして譲ってくれた? 私の方が先に来ていたのは間違いないけど、本に触れたのは多分同時だった。と、そんな小さな疑問が浮かんでいた。
私は貸出カウンターに本を持っていき、手続きを済ませると、図書室の中を見て回った。
彼女の姿はなかった。
ううん、見付けた。図書室の隣接する小部屋、司書室の方にいた。学校司書の先生と話をしている。音はもちろん聞こえない。ただ、これまで教室で見掛けてきた彼女と違って、とても表情豊かによく喋っている風に見えた。
五年生になると、クラブ活動をするようになる。
私は迷うことなく、文芸部に入った。推理小説好きが高じて、書いてみたいと思い始め、実際にもう書いてもいた。全然形にはなっていなかったけれども。
どこのクラブも本格的な活動開始は五月になってからだけど、時間が空いていれば、割り当てられた部室で集まって、自由に活動できる。当然、私も足繁く通った。
ただ、最初のわくわくとした期待感や高揚感は、程なくしてしぼんでいった。
思っていたのとどこか違う。
顧問の先生は作文の延長みたいな指導をして、それでおしまい。あとは黙々と書いて、たまに先生に見てもらって、長所や短所を指摘してもらう。
児童同士でも見せ合うことはあるのだけれど、感想の交換はあんまりなかった。ジャンルが違って話が噛み合わなくなるのと、ともすれば喧嘩に発展する恐れがあるかららしい。実際、何年か前に取っ組み合いの喧嘩になった人達がいて、その煽りで今も子供達の間での感想は控えられているとのことだった。
それならそれで先生がもっと積極的にしてくれればいいのに。
でも、活動する内にそれは無理だという気がしてきた。大人の先生からしたら、私達の書いた作品は、所詮、子供のごっこ遊びのような物なんだろう。大人の書いた作品に対するのと同じ物差しで測るのはない。かといって、子供用の物差しを持てるかというと、残念だけどそれは凄く難しいことなんだと思う。
私が、登場人物が殺されるような話を書いていくと、先生はあからさまに眉を顰めた。
「もっと明るいお話にできないかな? うん、探偵物が好きなのは分かるんだけどね。不健全というか、あなたの年頃ではちょっと早い気がするのよね。だから、探偵物がいけないんじゃなくて、少年探偵団的なのでいいんじゃないのかな。私が知っているのでも、人が死ななくても探偵が活躍するお話はいっぱいあったわ。クイズみたいな暗号とか、人が忽然と消えてしまうとか、五十円玉二十枚を定期的に両替に来る人とか」
ええ、私も知っています。だけど、今書きたいのは殺人事件のあるミステリ。
学校では先生に合わせて、推理小説は家で自由に書けば済む話なのだけれど、それじゃあクラブに入った意味がなくなる。私は早々に後悔を覚えていた。
つづく
美人なのは認める。だが、冷たい感じがして、近寄りがたい雰囲気を纏っていた。
その後、新学期の小学校生活が始まって、彼女の言動をいくつか目にしたけれども、最初のイメージを覆すには至らなかった。
とにかく無口で、必要最小限のことしか話さない。壁を作られている感じ。
ただ、私に対してだけでなく、周りの人全員に対して同じだったから、それ以上は気にしなかった。
そんな彼女が、次に私の心に引っ掛かってきたのは、図書室でのこと。
私は推理小説が大好きで、昔から――といってもそんなに何年も前じゃないけれど――よく読んできた。小学校の図書の時間ではその手の物ばかり借りて、3,4年生向けのコーナーにある推理物の本を読み尽くすと、今度は5,6年生向けコーナーにある作品に手を出すようになった。
一方、彼女もまたよく本を読んでいた。私のように偏ったジャンルではなく、様々な分野を満遍なく読んでいる、まさに本好き、本の虫というイメージだ。教室でも静かに一人で本を開いている姿を見たのは、数え切れない。もちろん小説だって読む。五年生になってまだ間もないある日、教室で彼女の座る横を通ったとき、その手にしている本のページがたまたま目に留まって、「あ、『鏡地獄』」と小さな声だったけど思わず言ってしまった。
ちょっと、いや、結構恥ずかしかったし、本を覗いていたのを咎められるかもしれないと思い、私は足早に立ち去った。だから彼女がどんな反応を見せていたかは知らない。
そのとき以降、初めて図書館で彼女と会った。書架の林の間、やや狭めの通路で、お互いにこのまま進んですれ違うとしたら、身体を横に向けないといけない。そんな空気だった。
私はしかしすれ違う前に、目指す書架に辿り着いた。推理小説や推理漫画のトリックを集めた本があると知って、それを探していたのだ。よく利用する小説とは異なる一角にあったので、少々手間取ってしまった。
目当ての本を見付け、斜め上に手を伸ばそうとした刹那、隣に人の気配が。
彼女が私のすぐ横に立って、同じように本を眺め始めたのだ。そして同じように手を伸ばし――同じ本に触れた。
あ。
声に出したのは私だけだったかもしれない。もしかすると、どちらも何も言わなかったのかもしれない。私と彼女が言葉を交わすことがなかったのは確か。
びっくりして動きの止まった私に対して、彼女は全てをすぐに察したかのように手を引っ込め、そして口を形だけ動かした。
どうぞ。
それだけ言って、いや言ってない、伝えてきて、彼女はきびすを返すと、元来た方へ戻っていった。
私は一瞬、お目当ての本を抜き取るのも忘れ、彼女を追い掛けようとしていた。どうして譲ってくれた? 私の方が先に来ていたのは間違いないけど、本に触れたのは多分同時だった。と、そんな小さな疑問が浮かんでいた。
私は貸出カウンターに本を持っていき、手続きを済ませると、図書室の中を見て回った。
彼女の姿はなかった。
ううん、見付けた。図書室の隣接する小部屋、司書室の方にいた。学校司書の先生と話をしている。音はもちろん聞こえない。ただ、これまで教室で見掛けてきた彼女と違って、とても表情豊かによく喋っている風に見えた。
五年生になると、クラブ活動をするようになる。
私は迷うことなく、文芸部に入った。推理小説好きが高じて、書いてみたいと思い始め、実際にもう書いてもいた。全然形にはなっていなかったけれども。
どこのクラブも本格的な活動開始は五月になってからだけど、時間が空いていれば、割り当てられた部室で集まって、自由に活動できる。当然、私も足繁く通った。
ただ、最初のわくわくとした期待感や高揚感は、程なくしてしぼんでいった。
思っていたのとどこか違う。
顧問の先生は作文の延長みたいな指導をして、それでおしまい。あとは黙々と書いて、たまに先生に見てもらって、長所や短所を指摘してもらう。
児童同士でも見せ合うことはあるのだけれど、感想の交換はあんまりなかった。ジャンルが違って話が噛み合わなくなるのと、ともすれば喧嘩に発展する恐れがあるかららしい。実際、何年か前に取っ組み合いの喧嘩になった人達がいて、その煽りで今も子供達の間での感想は控えられているとのことだった。
それならそれで先生がもっと積極的にしてくれればいいのに。
でも、活動する内にそれは無理だという気がしてきた。大人の先生からしたら、私達の書いた作品は、所詮、子供のごっこ遊びのような物なんだろう。大人の書いた作品に対するのと同じ物差しで測るのはない。かといって、子供用の物差しを持てるかというと、残念だけどそれは凄く難しいことなんだと思う。
私が、登場人物が殺されるような話を書いていくと、先生はあからさまに眉を顰めた。
「もっと明るいお話にできないかな? うん、探偵物が好きなのは分かるんだけどね。不健全というか、あなたの年頃ではちょっと早い気がするのよね。だから、探偵物がいけないんじゃなくて、少年探偵団的なのでいいんじゃないのかな。私が知っているのでも、人が死ななくても探偵が活躍するお話はいっぱいあったわ。クイズみたいな暗号とか、人が忽然と消えてしまうとか、五十円玉二十枚を定期的に両替に来る人とか」
ええ、私も知っています。だけど、今書きたいのは殺人事件のあるミステリ。
学校では先生に合わせて、推理小説は家で自由に書けば済む話なのだけれど、それじゃあクラブに入った意味がなくなる。私は早々に後悔を覚えていた。
つづく