「書かれた辻沢 66」
文字数 1,833文字
あたしはひとまずコテージに帰って荷物をまとめることにした。
鞠野先生には申し訳なかったけれど、もう一日辻沢にいて引っ越しの手伝いをしてくれるようにお願いした。
調邸においとまをして、門前に停めてあったバモスくんに乗り込むと、後からユウさんに声を掛けられた。
「ボクたちも帰るから」
まひるさんも一緒だった。
「今度はいつお目にかかれますか?」
とあたしが聞くと、
「次のスレイヤー・Rの定例かな」
と赤いフェラーリに乗り込みながらユウさんが言った。
「どうしてスレイヤー・Rに?」
と聞こうとしたらフェラーリのドアはもう閉じていて、すぐに猛烈なスピードで走り去ってしまったのだった。
次にするのは夕霧に会ってエニシの切り替えをしてもらうことだとばかり思っていた。
ユウさんはどういうつもりなのだろうか?
それじゃなくない?
という思いが沸いてきたが、ユウさんが決めることには必ず意味があるから、おとなしく次の定例を待つことにする。
大門総合スポーツ公園の駐車場に着くと鞠野先生が、
「それじゃあ、僕は駅前のホテルに行くよ」
とバモスくんで引き返そうとするので、
「今夜はどうぞ、コテージのベッドで寝てください」
と言ってみた。
きっと由香里さんのことでそうとう神経を使ったのだろう、鞠野先生の顔は憔悴しきっているように見えたからだ。
すると鞠野先生は、
「いや、また何で怒られるか分からないから」
とバモスくんのハンドルを返そうとしたが、すぐにエンジンを止めて、
「そうさせてもらうよ」
と言ったのだった。
コテージに入って、鞠野先生にシャワーを浴びてきて貰う間に、荷物の整理をした。
あたしの荷物はスーツケース一つに治まる量だし、ミユウの調査資料や図面も段ボール箱2個分だから、バモスくんで一度運べば済む量だっだ。
問題はミユウが収集した鉢植えだ。部屋に所狭しと置かれた十数本の苗木を調邸に持っていくわけにも行かない。
どうするか思案した結果、大門総合スポーツ公園に植樹できないかと考えた。
しかしここは公共施設だし勝手に植えて帰るわけにはいかない。
そこで鞠野先生が、
「夜が明けたら町長室のエリさんに相談してみよう」
と言ったので、取りあえず夜明けを待つことになった。
それまでの間にあたしもシャワーを浴びて、1時間ほど仮眠を取る。
夜が明けて軽い朝食を鞠野先生と一緒に食べてから、町長室秘書のエリさんに電話をした。
すると即座に寄贈ということで手配しましょうと解決策が返ってきた。
「どなた様からの寄贈にいたしましょうか?」
書類を作る上で必要だからとエリさんが言った。
こういうのはミユウは嫌いだけれど、
「コミヤミユウでお願いします」
と答えたのだった。
管理人室が開くのを待って、植樹の件を伝えに行くと、もうエリさんから指示があったようで、
「ポプラ並木の向こうのスペースを植樹の時に使ってますので」
と話が早かった。
「スコップをお借りできますか?」
と聞こうとしたら、既にあたしと鞠野先生の分が用意されてあった。
「水は炊事場のホースで届きますので」
と言う声を背中に聞いて、あたしと鞠野先生は十数本分の植樹をしに現場に向かったのだった。
大汗を掻いて泥だらけになって2時間半かかってようやく植樹が完了した頃、管理人さんが手に白い札のようなものを持ってやって来た。
「こちら記念植樹用のプレートです」
と言って渡された物には黒いペンキで、
「寄贈 辻沢町 コミヤミユウ殿 20○○年 八月」
と書かれてあった。
それを受け取ると、鞠野先生とあたしでポプラ並木からよく見える所にプレート立てた。
そして白いプレートを前に立ってみてみた。
一列にならんだ様々な山椒の若木の列。
その前にぽつんと立てられた白い札。
あたしはそれを眺めているうち、まるでミユウの墓標のように見えてしまったのだった。
「なんか、やだな」
思わず口について言ってしまった。
「ああ、やだな」
と鞠野先生も同じ事を思ったらしかった。
ミユウの肉体は屍人になってしまった。
魂というものがあるのなら、今だにこの世とあの世の狭間を彷徨ったままだろう。
でもユウさんとあたしは、そのミユウをけちんぼ池に連れて行くと約束したのだ。
だから、ミユウはまだ終わってなんかいない。これは墓標じゃない。
「このプレートのことは、この夏ミユウが辻沢で過ごした記念と思うことにします」
と言うと、鞠野先生も、
「そうだね。僕たちが終わりと思う必要はないよね」
と言ったのだった。
鞠野先生には申し訳なかったけれど、もう一日辻沢にいて引っ越しの手伝いをしてくれるようにお願いした。
調邸においとまをして、門前に停めてあったバモスくんに乗り込むと、後からユウさんに声を掛けられた。
「ボクたちも帰るから」
まひるさんも一緒だった。
「今度はいつお目にかかれますか?」
とあたしが聞くと、
「次のスレイヤー・Rの定例かな」
と赤いフェラーリに乗り込みながらユウさんが言った。
「どうしてスレイヤー・Rに?」
と聞こうとしたらフェラーリのドアはもう閉じていて、すぐに猛烈なスピードで走り去ってしまったのだった。
次にするのは夕霧に会ってエニシの切り替えをしてもらうことだとばかり思っていた。
ユウさんはどういうつもりなのだろうか?
それじゃなくない?
という思いが沸いてきたが、ユウさんが決めることには必ず意味があるから、おとなしく次の定例を待つことにする。
大門総合スポーツ公園の駐車場に着くと鞠野先生が、
「それじゃあ、僕は駅前のホテルに行くよ」
とバモスくんで引き返そうとするので、
「今夜はどうぞ、コテージのベッドで寝てください」
と言ってみた。
きっと由香里さんのことでそうとう神経を使ったのだろう、鞠野先生の顔は憔悴しきっているように見えたからだ。
すると鞠野先生は、
「いや、また何で怒られるか分からないから」
とバモスくんのハンドルを返そうとしたが、すぐにエンジンを止めて、
「そうさせてもらうよ」
と言ったのだった。
コテージに入って、鞠野先生にシャワーを浴びてきて貰う間に、荷物の整理をした。
あたしの荷物はスーツケース一つに治まる量だし、ミユウの調査資料や図面も段ボール箱2個分だから、バモスくんで一度運べば済む量だっだ。
問題はミユウが収集した鉢植えだ。部屋に所狭しと置かれた十数本の苗木を調邸に持っていくわけにも行かない。
どうするか思案した結果、大門総合スポーツ公園に植樹できないかと考えた。
しかしここは公共施設だし勝手に植えて帰るわけにはいかない。
そこで鞠野先生が、
「夜が明けたら町長室のエリさんに相談してみよう」
と言ったので、取りあえず夜明けを待つことになった。
それまでの間にあたしもシャワーを浴びて、1時間ほど仮眠を取る。
夜が明けて軽い朝食を鞠野先生と一緒に食べてから、町長室秘書のエリさんに電話をした。
すると即座に寄贈ということで手配しましょうと解決策が返ってきた。
「どなた様からの寄贈にいたしましょうか?」
書類を作る上で必要だからとエリさんが言った。
こういうのはミユウは嫌いだけれど、
「コミヤミユウでお願いします」
と答えたのだった。
管理人室が開くのを待って、植樹の件を伝えに行くと、もうエリさんから指示があったようで、
「ポプラ並木の向こうのスペースを植樹の時に使ってますので」
と話が早かった。
「スコップをお借りできますか?」
と聞こうとしたら、既にあたしと鞠野先生の分が用意されてあった。
「水は炊事場のホースで届きますので」
と言う声を背中に聞いて、あたしと鞠野先生は十数本分の植樹をしに現場に向かったのだった。
大汗を掻いて泥だらけになって2時間半かかってようやく植樹が完了した頃、管理人さんが手に白い札のようなものを持ってやって来た。
「こちら記念植樹用のプレートです」
と言って渡された物には黒いペンキで、
「寄贈 辻沢町 コミヤミユウ殿 20○○年 八月」
と書かれてあった。
それを受け取ると、鞠野先生とあたしでポプラ並木からよく見える所にプレート立てた。
そして白いプレートを前に立ってみてみた。
一列にならんだ様々な山椒の若木の列。
その前にぽつんと立てられた白い札。
あたしはそれを眺めているうち、まるでミユウの墓標のように見えてしまったのだった。
「なんか、やだな」
思わず口について言ってしまった。
「ああ、やだな」
と鞠野先生も同じ事を思ったらしかった。
ミユウの肉体は屍人になってしまった。
魂というものがあるのなら、今だにこの世とあの世の狭間を彷徨ったままだろう。
でもユウさんとあたしは、そのミユウをけちんぼ池に連れて行くと約束したのだ。
だから、ミユウはまだ終わってなんかいない。これは墓標じゃない。
「このプレートのことは、この夏ミユウが辻沢で過ごした記念と思うことにします」
と言うと、鞠野先生も、
「そうだね。僕たちが終わりと思う必要はないよね」
と言ったのだった。