「書かれた辻沢 15」

文字数 1,929文字

 紫子さんは、ミユウのことは鞠野先生からも聞いているから無理して報告しなくていいと言ってくれた。

けれど紫子さんへの報告はミユウの願いでもあるような気がするから、きちんと聞いてもらった。

 あたしが語り終わると紫子さんは、何も言わず涙を流したのだった。

 その後お茶をしながら紫子さんのところでのミユウの様子を聞かせて貰った。

 朝早くに調査に出かけて、夕方遅くに帰って来ると部屋に籠って作業をして、いつも深夜に寝床についていたそうだ。

 鬼子神社の実測調査。

図面好きが高じて建築家を目指したミユウらしい取り組みだった。

きっとミユウのことだから完璧な記録を残しているだろう。

「ミユウちゃんの部屋を見てあげて」

 と、紫子さんに言ってもらったので鞠野先生と奥の和室に行ってみた。

部屋に入ると圧倒された。

壁全体に建築図面が貼られていたからだ。

ほとんどが鬼子神社のものだったが、中には凄すぎてあたしには直視できない図面もあった。

「鞠野先生これとか、大丈夫ですか?」

隙間もないほどびっしりごろた石が描かれた図面だった。

「僕は平気だよ。石畳の図面か。しかし、とんでもない執念を感じるね。さすが
変……、コミヤくん」

 並んで貼ってある拡大図面を見ると、石の一個一個の苔の生え方までが分かる精緻さだった。

「やっぱりそうか。君たちこそ、辻沢のアルゴノーツだ」

 鞠野先生が、正面のひときわ大きな図面を見上げて言った。

『辻沢のアルゴノーツ』というのは確か論文の名前だ。

四宮浩太郎の秘められたエスノグラフィーで、鞠野先生に一度だけゼミ室で見せてもらったことがある。

そこには辻沢ヴァンパイアの歴史が綴られてあったはずだけど。

「あの論文がどうしたんですか?」

「論文? いや、そうでなく、辻沢の海洋航海者は君たちだと言ったんだよ。見てごらん、これを」

 鞠野先生が指した図面には、巨大な和船の断面図が描かれてあった。

でもその船の位置が少し変だった。

太い点線で示されたレベルが船の喫水線ではなく甲板のさらに上にあったからだ。

「先生この船、沈下してませんか?」

「沈下? そうか、レベルをウォーターラインと見たのか。そうでなく、これは地面だよ」

 そう言うと鞠野先生は、机の上の大判のノートを一冊取って、そのレベルの下方に押し当てた。

「何に見える?」

 あたしにもその屋形の形状に見覚えがあった。

「鬼子神社の社殿です」

 この時ようやくユウさんの言っていた、

「鬼子神社の土中に埋まった船型の社殿を曳いて行き、青墓の丘の中腹に据える」

 という言葉が脳内で結像した。

ミユウの力作に圧倒されて部屋を出る。

 ミユウの荷物をあたしが引き取りたいと紫子さんにお願いすると、

「それが一番いいわね」

 と言ってもらえた。

 しかし中型の段ボールにして3つ分はある。結構な分量だ。

こんな時バモスくんがあればと思ったが詮無いことだと諦める。

 再び応接に戻って、今度はクロエの話をした。

「クロエはどうですか?」

 と聞くと、紫子さんは

「真面目に取り組んでるよ、でもね」

 といって少し考えてから、

「いきなり辻女から四ツ辻を調査したがってる学生がいるって連絡もらってびっくりした」

 クロエが辻沢に来るというのは鞠野先生から聞いていたけれど、まさか真っ直ぐ四ツ辻に来るとは思わなかったそうだ。

「鞠野先生が勧めたんですよね」

そもそも辻沢をクロエのフィールドに推したのは鞠野先生だった。

「いや。僕は知らないよ。いずれはエニシに惹かれて来るだろうとは思っていたけれど」

 と心当たりがない様子だ。

「教頭先生がご指導されたのかと。四ツ辻にあたしたちがいるのを知ってるのは鞠野くんと教頭先生だけだし」

 紫子さんは鞠野先生のことを鞠野くんと呼ぶ。

「そうかなー。でもノタくんは教頭先生とは一度も会ってないはずだよ。挨拶に来た時はすれ違いで会えなかったし」

 やはりクロエの鬼子としての宿世がこの四ツ辻に引き寄せられたと考えた方がよいようだ。

 お昼は紫子さんとご一緒させていただいた。

山椒尽くしの料理はいつ頂いてもとってもおいしい。

 ご飯を頂きながら、ミユウの記憶の糸で気になることがあると紫子さんに言ってみた。

「何?」

と言われたのでいくつかあるうちの一番の疑問をぶつけてみる。

それはやはりパジャマの少女の存在で、どうしてミユウは狙われたのかということだ。

「どうしてミユウは……」

 と言いかけたら、鞠野先生が割って入って、

「コミヤくんは

池をけちんぼ池と聞き間違えているんでしょう? 皆さんもそのようですが」

 最初は聞き流したけど、紫子さんの表情が変わったのであたしも鞠野先生の言い間違いに気が付いた。

 先生、それ違います。

間違ったのはパジャマの少女のほうです。
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