「書かれた辻沢 94」
文字数 1,775文字
「この渦の中へ?」
とあたしが口に出すと、ユウさんが、
「いや、そうは聞いてない」
と言った。
「由美様は社殿の船に乗ったまますり鉢を出ると仰いました」
ユウさんとまひるさんは大阪の病院で、サノクミさんの半身の由美さんにけちんぼ池のことを聞いて来たのだった。
けちんぼ池は5人で行かねばならないこと。
5人が欠けたら夕霧にお願いしてエニシの切り替えをすること。
その5人が鬼子神社で五芒星を形作れば地獄の蓋が開くこと。
すべて由美さんの夢見によって語られたことだ。
それはこれまでほぼその通りになった。
そして今度は、ミユウの船に乗ってこのすり鉢を出なければならないという。
あのまま血の海が溢れればそれも可能だったかもしれない。
しかし状況は変わってしまった。
もうこの社殿の船はあの大きな渦に吞み込まれようとしている。
帆柱はあっても張るべき帆がない。櫓を漕ごうにも棒一つ用意して来なかった。
流されるしかないこんな状況で渦巻く激流に抗うことなど到底、
「無理です」
すり鉢の縁も遠ざかりつつあるのだ。
ところがユウさんはそれに答えず社殿の戸を開くと、
「曳く!」
と言ったのだった。
開け放たれた社殿の中は夕霧物語の額絵が床に落ち、散乱していた。
一番奥の主のいない祭壇前にアレクセイが凭れている。
いくらなんでも今の彼はダメだろう。
と思っていると、右手奥の床面が持ち上がった。
ちょうど階段があるあたりだ。そこの床が持ち上げっては沈み、また持ち上がるを繰り返していた。
一枚の床板がはじけ飛んで天井に突き刺さると、それを機に次々に床板がはじけ飛び、ついにはそこらの床板が全部抜けてしまった。
そしてそこから出てきたのは、ひだるさまの枝切りバサミだった。
ついにひだるさまが船底を破って侵入したきたのだ。
あたしはすかさず黒木刀を構えて攻撃に備えた。クロエも同じように身構える。
ひだるさまが枝切りばさみの腕を支えに階上に顔を出す。
目は金色をしていた。銀牙をむき出しにして血泡を吹いていた。まさにひだるさまの顔だった。
そのひだるさまがさらに胸まで出したとき、あたしはむき出しにした闘争心を一旦収めることにした。
その胸の傷に見覚えがあったからだ。
それはユウさんが青墓で木杭で止めを刺した人の胸の傷と同じだった。
「まめぞうさん?」
「そう。お願いした」
顔かたちはひだるさまだったが、その巨体や細部の醸し出す雰囲気はまさに、お天道様の油つぎのまめぞうその人だった。
そして、その反対の階段から出てきたひだるさまもまた、さだきちさんに違いなかった。
まめぞうさんとさだきちさん。夕霧の土車を曳いて青墓へ導いた優しい大食人たち。
今再び、あたしたち鬼子を導くためにこの船を曳きに出てきてくれたのだった。
まめぞうさんとさだきちさんはあたしたちには目もくれず社殿の階ま出てき来て前方を凝視している。
あたしの横に並んだ見上げるほどの背には、ゴン太の荒縄で巨大な黒鋼の碇が括りつけてあった。
「頼んだ」
ユウさんの言葉にまめぞうさんたちがピクリと反応した。
そして甲板へ降りてゆくと、舳先を飛び越えて逆巻く血潮の中に二人同時に消えたのだった。
まめぞうさんたちに繋がった荒縄が見る見るうちに血の海に呑み込まれてゆくのを見送る。
ユウさんとまひるさんがそれぞれの荒縄を掴んで横ずれを止めている。
クロエとあたしもそのあとについて荒縄を支えた。
しばらく社殿は渦に引きずられるままだった。
社殿の船が斜面の石階段を横切った時、突然衝撃が走って船体の動きが止まった。
その勢いで振り落とされたあたしは、片手でかろうじて勾欄にぶら下がって助かった。
気づけば船の向きが前後反対になっていた。
舳先に血の波が激しく当たり社殿の上までしぶきを上げていた。
階を見上げると落ちずに無事だったクロエやユウさんたちも血汚泥を全身に浴びてしまっている。
「あそこにまめぞうさんたちが!」
クロエが顔に付いた血をぬぐい斜面を指さした。
勾欄に掴まったままそちらに目をやると、黒鋼の碇を背負ったまめぞうさんとさだきちさんが見えた。
二人は斜面に取りすがってそこをよじ登り始めていた。
あたしの目の前には血の海をまたいでまめぞうさんたちへ結ばれたの荒縄がある。
それはギシギシと悲鳴を上げながらも、あたしたち鬼子の行く末に望みを繋げてくれているのだった。
とあたしが口に出すと、ユウさんが、
「いや、そうは聞いてない」
と言った。
「由美様は社殿の船に乗ったまますり鉢を出ると仰いました」
ユウさんとまひるさんは大阪の病院で、サノクミさんの半身の由美さんにけちんぼ池のことを聞いて来たのだった。
けちんぼ池は5人で行かねばならないこと。
5人が欠けたら夕霧にお願いしてエニシの切り替えをすること。
その5人が鬼子神社で五芒星を形作れば地獄の蓋が開くこと。
すべて由美さんの夢見によって語られたことだ。
それはこれまでほぼその通りになった。
そして今度は、ミユウの船に乗ってこのすり鉢を出なければならないという。
あのまま血の海が溢れればそれも可能だったかもしれない。
しかし状況は変わってしまった。
もうこの社殿の船はあの大きな渦に吞み込まれようとしている。
帆柱はあっても張るべき帆がない。櫓を漕ごうにも棒一つ用意して来なかった。
流されるしかないこんな状況で渦巻く激流に抗うことなど到底、
「無理です」
すり鉢の縁も遠ざかりつつあるのだ。
ところがユウさんはそれに答えず社殿の戸を開くと、
「曳く!」
と言ったのだった。
開け放たれた社殿の中は夕霧物語の額絵が床に落ち、散乱していた。
一番奥の主のいない祭壇前にアレクセイが凭れている。
いくらなんでも今の彼はダメだろう。
と思っていると、右手奥の床面が持ち上がった。
ちょうど階段があるあたりだ。そこの床が持ち上げっては沈み、また持ち上がるを繰り返していた。
一枚の床板がはじけ飛んで天井に突き刺さると、それを機に次々に床板がはじけ飛び、ついにはそこらの床板が全部抜けてしまった。
そしてそこから出てきたのは、ひだるさまの枝切りバサミだった。
ついにひだるさまが船底を破って侵入したきたのだ。
あたしはすかさず黒木刀を構えて攻撃に備えた。クロエも同じように身構える。
ひだるさまが枝切りばさみの腕を支えに階上に顔を出す。
目は金色をしていた。銀牙をむき出しにして血泡を吹いていた。まさにひだるさまの顔だった。
そのひだるさまがさらに胸まで出したとき、あたしはむき出しにした闘争心を一旦収めることにした。
その胸の傷に見覚えがあったからだ。
それはユウさんが青墓で木杭で止めを刺した人の胸の傷と同じだった。
「まめぞうさん?」
「そう。お願いした」
顔かたちはひだるさまだったが、その巨体や細部の醸し出す雰囲気はまさに、お天道様の油つぎのまめぞうその人だった。
そして、その反対の階段から出てきたひだるさまもまた、さだきちさんに違いなかった。
まめぞうさんとさだきちさん。夕霧の土車を曳いて青墓へ導いた優しい大食人たち。
今再び、あたしたち鬼子を導くためにこの船を曳きに出てきてくれたのだった。
まめぞうさんとさだきちさんはあたしたちには目もくれず社殿の階ま出てき来て前方を凝視している。
あたしの横に並んだ見上げるほどの背には、ゴン太の荒縄で巨大な黒鋼の碇が括りつけてあった。
「頼んだ」
ユウさんの言葉にまめぞうさんたちがピクリと反応した。
そして甲板へ降りてゆくと、舳先を飛び越えて逆巻く血潮の中に二人同時に消えたのだった。
まめぞうさんたちに繋がった荒縄が見る見るうちに血の海に呑み込まれてゆくのを見送る。
ユウさんとまひるさんがそれぞれの荒縄を掴んで横ずれを止めている。
クロエとあたしもそのあとについて荒縄を支えた。
しばらく社殿は渦に引きずられるままだった。
社殿の船が斜面の石階段を横切った時、突然衝撃が走って船体の動きが止まった。
その勢いで振り落とされたあたしは、片手でかろうじて勾欄にぶら下がって助かった。
気づけば船の向きが前後反対になっていた。
舳先に血の波が激しく当たり社殿の上までしぶきを上げていた。
階を見上げると落ちずに無事だったクロエやユウさんたちも血汚泥を全身に浴びてしまっている。
「あそこにまめぞうさんたちが!」
クロエが顔に付いた血をぬぐい斜面を指さした。
勾欄に掴まったままそちらに目をやると、黒鋼の碇を背負ったまめぞうさんとさだきちさんが見えた。
二人は斜面に取りすがってそこをよじ登り始めていた。
あたしの目の前には血の海をまたいでまめぞうさんたちへ結ばれたの荒縄がある。
それはギシギシと悲鳴を上げながらも、あたしたち鬼子の行く末に望みを繋げてくれているのだった。