「書かれた辻沢 49」

文字数 2,716文字

 今夜、クロエは潮時だ。

だけど今回はクロエと一緒にお酒を飲んで、そのままオールといういつものパターンができない。

飲みの誘いを断られてしまったからだ。

 昨日のクロエの行動は、駅近くのスーパーヤオマンで買い物をしてからずっと調邸に籠もるというものだった。

スーパーヤオマンに行ったのは、食べ物を買い出しに行ったのではない。

調邸は賄い付きだからだ。

洋服買い出たとも考えたが、あそこはクロエの趣味に合うようなものは売ってなかったはず。

ならば何をしに行ったか。

あたしが『スレイヤー・R』参戦前にサキに連れられて行った隠しサバイバルショップ。

あそこに行ったとしたら『スレイヤー・R』?

潮時にリアルサバゲーに興味を持つはずもないし。

結局あたしには何も分からないのだった。

 夜になった。

クロエはそれでも調邸を動かなかった。鞠野先生とあたしは、なるべくクロエの近くにいることにしようとなって移動した。

 調邸の近くまで行って待機する。

調邸は辻沢の中でもお屋敷ばかりが並ぶ西廓にあって、どこも塀が高く路上駐車していればバモスくんでなくても目立ってしまう。

「いいところがある」

 鞠野先生が言ったところは、あるお屋敷の駐車スペースで、そこからだとバモスくんを隠しながら丁度調邸の出入り口を遠目に見ることが出来た。

「ここって停めてていいところですか?」

 門の真ん前だった。

「ここは女バス失踪事件の犠牲者の家でね。事件後、母親が自殺して父親は行方知れず。今では空き家なんだ」

 思わず背後の屋敷を振り仰いだ。

暗がりの中に洋館がそそり立ち、そこに真っ黒い窓が並んでいるのが見えた。

その窓の一つから何かがこちらを見ているような気がしてくる。

「幽霊の噂とか?」

「はは、ないことはない」

 あるんだ。

 女バス失踪事件。辻女のバスケ部員3人が次々に失踪した3年前に起きた事件だ。

たしか辻川町長のお嬢さんも犠牲者の一人だと聞いた。

今だに一人も見つかっていなくて、早く出てくればいいと思うが、辻沢だからもう生きてはいないだろうと言われている。

ヴァンパイアにやられたのだ。

 その犠牲者の家がここだという。

あたしなら捜査に協力できるかもしれないなと思いつつ、今はクロエを見張ることに集中することにした。

 深夜、クロエが動いた。

気付くと既に位置情報が調邸の外を示していた。

出入り口はずっと見ていたのに、どうやら見えない側の塀を乗り越えたらしい。

「アクセル全開で行きましょう」

 鞠野先生がバモスくんを発進させた。

 遅い。この子、これ以上スピード出ないんだっけ。

のろのろと調邸の前を通過してさらに坂道を降りて行くと、前方にパーカー姿の人影が見えた。

クロエはユウさんに会ってからというもの、ユウさんと同じ白いパーカーばかりを着ている。

「いました」

 クロエはすでに発現しているだろう。

こうして後ろ姿だけ見たら普通の格好なのだが、前に回って顔を見たら土気色で金色の目をし、銀牙を剥き出しているはずだった。

 そのクロエが高い塀の角でうつむいてじっとしていた。

手を下に差し伸べて何かに触れるような仕草をしている。

「これは?」

「きっと、あそこに記憶の糸の結節点があります」

 クロエは潮時になると、誰彼なく追いかけては何事かをささやいて、満足するとまた別のターゲットに移動して行くというパターンを繰り返す。

でも、たまに誰もいないところに立ち止まって何やら独り言をしゃべる時があるのだった。

そしてあたしがその跡を調べると、沢山の記憶の糸がそこで絡まり合っていた。

ではクロエはあそこで何をしているか?

 ある潮時の後、同じようにしていた場所を一緒に通ったことがあった。

クロエが突然そこを指して、

「あそこに人がしゃがんでるように見えるんだけど、フジミユは見える?」

 と言ったのだった。

近づけば記憶の糸が見えたろうが、そこからはあたしには何も見えなかった。

つまり、あたしにとっては結節点がクロエには人がいるように見えているらしいのだ。

普通の言い方をすればクロエは地縛霊と話をしている。怖すぎる。

 クロエが動き出した。駅の方に向かっている。

「アクセル全開で行きましょう」

 はいはい。

 バモスくんはマイペースでのろのろとバス通りを走る。

クロエはかなり先を足早に進む。その様子はまるで放れワンコのようだった。

鎖が外れて勝手に散歩をしている放れワンコというのは飼い主がいなくてもいつものお散歩コースをひたむきに進んでいくものだ。

今のクロエはまさにそれだった。

「どこに行くんでしょう?」

 鞠野先生の答えを期待したわけではなかったが口について出てきた。

「まあ、ついてゆくしかないな」

 そうなのだ。

あたしはクロエの鬼子使いであるはずなのに、その意図すら汲むことできない。

だからただひたすら付いて行く。

あぶなっかしい足取りをおろおろしながら追いかける。

それしか方法がないのだった。

もしクロエが本当にあたしの半身で赤い糸で繋がっているのなら、もっとしっかりお世話できるのじゃないか。

そんなことまで考えてしまう。

 クロエはその後、ラブホ街に入って行って人に話しかけたり追いかけ回したりして、結局コンビニの店員さんに手ひどく追い払われてしまって最後は行く当てがなくなったのか駅裏の公園に入って行った。

その姿はまさに放れワンコなのだった。

 公園の茂みに隠れながらクロエを探す。

 鞠野先生が落とした声で

「何でこんな時間に子どもが?」

 と言った。

 公園の中央には街灯が灯っていて、その下にベンチがありクロエが座っている。

そしてその横に座る小さな影。

それはあのパジャマの少女だった。

 クロエは片方の腕を取られる形での横にいる。

パジャマの少女はその腕をかえして口元に当てている。

クロエの血をすすっているのだ。

全身に怖気が走る。

「助けないと」

 と駆け寄ろうとしたら鞠野先生がそれを制して、

「ノタくんから情報を受け取っているんだろう。殺しはしない」

 辻沢以外のヴァンパイアの中には吸引した血から情報を得たり情報主に擬態する者までいる。

ミユウもそれでやられたのだった。

 あたしは、異常があったら直ぐ飛び出す格好でクロエが解放されるのを待った。

その気味の悪い光景を見るのはとても辛かった。

 長い時間が経った気がした。

ようやくパジャマの少女が立ち上がりクロエの元を放れた。

 もしあたしがユウさんやまひるさんのように強かったなら、クロエを助けてミユウの仇も討ってやれた。

でもそうでないあたしは、友達がむざむざ血を吸われるのを見ているしかなかった。

自分の弱さが身にしみた。

今のあたしは歩み去るパジャマの少女の後ろ姿を、恨めしく睨み付けることしかできないのだった。

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