「書かれた辻沢 99」

文字数 1,701文字

 鳥居の横棒ってなんていうんだろう。ミユウならきっとすぐに教えてくれるだろうな。

「上が笠木、下が貫っていうそうです」

 まひるさんが教えてくれた。まひるさんをSiriみたく使うあたしって。

 その貫のほうがあたしたちのすぐ目の前に来ていた。

 さっきから、すべてがゆっくりと進行していた。

 バモスくんは、鳥居の隙間をぎりぎりで通り抜けていったようだ。

そのまま行くと正面は森。

鞠野先生はきっと必死の形相でハンドルを握っているだろう。

りすけさんが後部座席に立ってこちらを見上げている。何か叫んでるけど全然聞こえなかった。

 社殿の船は、その勢いにもかかわらずバモスくんを追ってはいかない。

舳先から中柱に激突してから急激に速度を落としたからだ。

 苔の生えた中柱はまるで意思があるかのように頑としてそこを動かない。

そのせいで社殿はその中心線に中柱を受け入れなければならなかった。

舳先、帆柱、甲板。階から、手をつないだ真ん中のクロエ、屋形、後部甲板、船尾と中柱はそこに居続けた。

まるで船全体がその場で折りたたまれ、へしゃげていくようだった。

あたしも船の素材のすべてと一緒になった感じがした。

同時に世界が真っ暗になった。

 どれくらい時間がたったかはわからない。その間ずっと周囲は暗黒の世界のままだった。

静かだ。暗闇のなかで波間を揺蕩っている感じがした。

みんなどうしたろうか。あの激突で散り散りになってしまったんだろうか。

「クロエ」

 名前を呼んでみた。すると、すぐ横で返事があった。

「いるよ」

 中柱に押しつぶされたように見えたけど、

「クロエ、ケガは?」

「平気なんだけど」

 無事そうだった。

「みんないるか?」

 ユウさんの声がした。

「はい。すぐ近くに」

 まひるさんがそれに答えた。

「いるよ」
「います」

 あたしとクロエが同時に答えると、

「僕もいる」

 とアレクセイが続いた。

 暗闇がいつまで続くのか心配だったので、

「この後どうなるんでしょう?」

 と聞くと、

「わからない。この先は夢に見てないって」

 とユウさんが言った。けれどもその声は不安そうではなかった。

なんとかなるということだろう。あたしもそう思うことにする。

 暗闇が続く間に何度かうとうとしたらしかった。

暗いから目をつぶっているかも分からないけれど、夢を見たから多分そう。

 その夢にお養母さんが出てきた。

あたしが藤野の家に帰るとマリーゴールドが咲く庭で出迎えてくれた。

「アプリコットパイを焼いて待ってたのよ」

 と言って嬉しそうに家の中に招じ入れてくれた。

お姉さんのマリちゃんが食卓にいて、

「待てなくて、先に食べちゃった」

 と言って、一切れ欠けたアプリコットパイを指して笑った。

 目が覚めてから、

「帰りたい」

 と思ったら涙が出てきた。声を押しこらえて泣いていると、

「きっと、帰れますよ」

 まひるさんの声が聞こえた。

 こんな時まであたしの心に寄り添ってくれるまひるさんだった。

 やがて波が荒れだした。

暗闇は相変わらず続いていたけれど周囲の様子が変わったことが感じ取れた。

あたしは大揺れのせいでその場で転がりまわる始末だ。

遂には上下左右前後あらゆる方向に揺れるものだから、体がねじれるのではないかと思うくらいになった。

そしてすっと落ちる感覚があった。

エアポケットで数百メートルを落下したような感じだった。

そして、突然あたしたちは明るい場所に放り出された。

光になれた目で前方を見ると紫色の空が広がっていた。

あたしたちの船は空中にあってゆっくりと下降しているようだった。

「戻ったの?」

 クロエが言った。

「いや、違う。下を見てみろ」

 ユウさんが下方を指さしていた。

 あたしたちは勾欄から身を乗り出して下を眺めた。

下界に広がる世界は辻沢の西山によく似ていた。

ところが、その山肌は真っ赤に染まり血汚泥が溶岩のように流れ落ち、平地には深紅の海が広がっていた。

うねうねと曲がりくねったワインディングロード。

その先に島のように浮かぶ漆黒は、おそらく青墓だ。

「これが地獄か!」 

 アレクセイがつぶやいた。

本当はロシア語なので分からないけれど、そんなこと言ったのだと思う。

「正解です」

とは、まひるさん。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み