「書かれた辻沢 65」

文字数 2,197文字

 あたしたちはその後もしばらく調邸で今後のことを話し合った。

鞠野先生もあたしたちと一緒に応接のソファーに座って話を聞いていたけれど、ずっと下を向いて居心地悪そうだった。

誰かさんの視線を気にしているのかもしれない。

 話が途切れたとき、鞠野先生が突然立ち上がった。トイレかと思ったら、

「四宮に線香を上げさせて下さい」

 と由香里さんに向かって言ったのだった。

 それまで由香里さんは食卓からあたしたちの話を聞いていたのだったが、

「是非」

 と言って立ち上がり、鞠野先生を案内して奥へと入って行った。

 そういえば何度も調邸に来ていたのに基本の挨拶がまだだったことに気付いて、あたしも急いで二人の後を追った。

 鞠野先生の背中に長い廊下の途中で追いついて、

「先生、あたしも一緒に」

 と言うと、由香里さんは、

「ありがとうございます。こんなに沢山の人に線香を上げてもらえると知ったら浩太郎も喜びます」

 と言ったのだった。

沢山? と思って後ろを振り返ると、ユウさん、まひるさん、クロエも付いてきていた。

「あたしは、最初にちゃんとしたよ」

 クロエが、あたしに小声で言った。

「お世話になるの分かってたろ」

 と言ってやる。

 位牌は奥の20畳ほどの部屋に安置されてあった。

旧家だというからどんだけ立派な仏壇かと思ったけれど、白木のタンスの上にいくつかの写真立てと一緒に飾られた簡素な祭壇だった。

 位牌も、よく見る漆塗りではなく白木で俗名が彫られたものだった。

「戒名でないんですね」

 と、つい調査目線で鞠野先生に言ったつもりが、由香里さんに聞こえてしまい、

「そうです。私たちは戒名をいただけないのです」

 と言わせてしまった。

「成仏できないって言われてるからね」

 とはユウさん。

「女人不成仏を超えて係累不成仏」

 と鞠野先生が言ったあと、由香里さんをチラ見しながら、

「これは四宮の受け売りだ」

 と付け加えた。

すると由香里さんは、にこやかに、

「けれど浩太郎は成仏してると思いますよ。だってあの人はヴァンパイアではありませんもの」

 と返した。

それを聞いてあたしは正直ドキッとした。

由香里さんの口からヴァンパイアという言葉が出たからだ。

それまで曖昧にしてきたことが、現実となって迫ってきたように感じたのだ。

 線香を上げて部屋を辞そうとすると、鞠野先生が再び、

「四宮の書斎を見せて貰えませんか?」

 と言った。

するとクロエが、

「先生、あそこはヤバいから」

 と止めにかかる。それには由香里さんも、

「ノタさん。あの子のことを心配なさっているなら大丈夫。今は長い眠りの時期ですから」

 と宥めるように言った。

 あたしはその焦りようからクロエが何か失態をしたと考えた。

「何かした?」

 クロエに聞いてみる。クロエは小声で、

「勝手に入って追い出された」

 あーね。ヤオマン・イン駅前店追放事件だ。

そこからクロエの放浪が始まったのだった。

2日間だけだったけど、クロエにとってはこの夏一番しんどかったころ。

 階段の踊り場に四宮浩太郎の書斎はあった。

中に入ると4畳半ほどのスペースがあって横長のソファーとモニターが設えられてあり、壁面の書棚にはヴァンパイア関係の資料がびっしりと並んでいた。

 鞠野先生はその壁をぐるりと見回すと、

「少ないな。書斎はここだけですか?」

 と由香里さんに聞いた。

「はい、浩太郎が亡くなった時の火災で、8割方消失していましましたので」

 と答えた。

「家刀自と一緒の」

「そうです」

 詳しくは鞠野先生から聞いたのだが、今の調邸は四宮浩太郎が亡くなった後に越してきた場所で、それまでは辻沢の旧家が集まる六道辻というところに住んでいたのだそうだ。

 なるほど、だからここに四宮浩太郎やサノクミさんの記憶の糸が見当たらなかったのかと合点がいった。

 鞠野先生はしばらく書斎を見て回っていたが、

「ここにはなさそうだな。四宮の調査日記は」

と言った。

すると由香里さんが、

「日記も燃えてしまったんです」

と言ったのだった。

『辻沢ノート』とそれが揃えば『辻沢のアルゴノーツ』が完成されると言われていた『辻沢日記』。

結局それは噂で終わってしまったのだった。

 再びリビングに戻って、これからのクロエの居場所を相談した。

隠れる必要のなくなったあたしはクロエと一緒にいたかった。

ちょうどあたしのコテージはベッドも2つあるし、二人で気楽に生活できると思った。

ミユウに会いに行くまでの間、失った二人の時間を取り戻すとかなんとか言ってみたがクロエは頷かなかった。

「最後までお世話になりたい」

 クロエはそう言った。

「ご飯もおいしいし」

 というのはクロエ独特の照れだが、本心では調由香里さんへの義理立てをしているようだった。

「お二人でどうぞ。部屋は開いてますので」

 と由香里さんに言って貰った。

あたしもその方がいいような気がした。ここなら何があっても安心だから。

「ありがとうございます。クロエ共々お世話になります。身の回りのことも自分たちでさせてください」

 と、クロエと一緒に頭を下げた。

すると由香里さんはそれを制する仕草をして、

「いいえ、お礼が言いたいのは私のほうです。夕霧さんたちへの、せめてもの罪滅ぼしですので」

と言った。

それはサノクミさんたちのことなのか、長い鬼子との確執のことなのか分からなかった。

でも、由香里さんの心は鬼子とともにあると言うことだけははっきりしたのだった。

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