「書かれた辻沢 29」

文字数 2,064文字

 山椒の古木は数本の幹が縒り合わさり一本の太い幹となっていた。

それが捩じれながら落ち葉の海の中へ伸びて行き、その中へ数百という樹枝を広げていた。

「ここから行けるかも」

 幹の太さは、あたしが登っても折れなさそうだった。

 山椒の幹に近づいてみる。

ざらざらした樹皮に年経た瘤ができている。

さらに棘がないか探す。山椒の原種は棘を持つ。

山椒は品種改良されて棘がないものもあるが辻沢のはヴァンパイア避けのため有棘種のままだ。

不用意に取りついたら棘が刺さって血だらけになってしまう。

見たところこの古木は無棘種のようで棘は見当たらなかった。これなら普通に登れるだろう。

 あたしは最初のとっかかりになりそうな、目の前の瘤に触れた。

ガサガサとした樹皮の感覚が掌に伝わってくる。

手に力を入れて幹に足を掛けようとした時、瘤から掌に脈動が返ってきた。

一旦足を戻して手を離し瘤をよく見てみる。

瘤には微細な裂け目が幾つも出来ていて、そこから微かな白い光が漏れ出ていた。

 手をかざしてみた。光が少し強くなった。

またかざしてみた。さらに光が脈動した。

あたしの薬指の根元に締め付けられるような感覚があった。

あたしは瘤から手を離し、自分の指を目の前にかざしてみた。

薬指に赤い糸が結ばれてあるのがはっきりと見えた。

赤い糸が瘤の脈動につれて、あたしの指を締め付けていた。

そしてあたしの指から伸びたその赤い糸の先は、瘤の光の中に吸い込まれようとしていた。

「ダメ。そっちはあたしの半身じゃない」

 咄嗟にそう言って手を引っ張ったけれど、赤い糸は勢いを増すばかり。

手首を持ち後ずさりながら抵抗しても、まるで瘤の中から誰かが糸を引っ張っているかのよう。

あたしは山椒の瘤へと引き寄せられていく。

 ついにあたしは力尽き、赤い糸は瘤の中へ吸い込まれ、あたしの掌は山椒の古木の虜となってしまったのだった。

 それでも瘤の光の脈動は治まらず、幹を伝い数百の枝へと広がり、終いには落ち葉の海全体を振動させていく。

 その振動に合わせて、あたしの薬指に記憶がなだれ込んでくる。

すべての土地の全ての記憶がその光の中に刻まれてあるのがあたしには見えた。

 そのもっとも古い記憶の糸を辿る。

それは娘の宮木野の記憶だった。

そこから枝分かれしているのは彼女の子孫のヴァンパイたちの記憶の糸だった。

 もう一つ古い記憶の糸があった。

それは志野婦のものだ。

志野婦は宮木野の双子の妹と言われているが、その実は与一という男の子だった。

幼い頃から女装して男であることを隠して育てられていた。

その姿は絶世といえるほど美しかったが、その記憶の糸は孤独だった。

後に続く記憶の糸はなく、姉の宮木野だけが志野婦に寄り添っていた。

 光の脈動はあたしの読みにことごとく答えてくれた。

あたしが読みたいと思ったものを光の糸にして渡してくれた。

読みたいものはいくらでもあったが、それは今この場では読み切れないほど分厚い層をなして目の前にあった。

あたしは薬指を光の瘤から離して読むのを一旦休止した。

「わがちをふふめおにこらや」

 どうして母宮城野は「おにこら」、鬼子たちと言ったのか。

それはヴァンパイアも鬼子も母宮木野にとって同じ子供だったからだ。

鬼子の夕霧とヴァンパイアの双子は姉妹だった。

あたしたちは同じ母から命を授かった子供だったのだ。

ようやくあたしはそのことに気が付いた。

 あたしの赤い糸と宮木野と志野婦の光の糸が重なった時、あたしは初めてヴァンパイアの記憶の糸を読むことができた。

今まで別のものと思っていたから見えなかった。

それを理解した。

 その時だった。脈動していた山椒の幹に大きなひびが走った。

すぐにそれは全枝に伝搬してゆき、やがてそのひびというひびから光が漏れだしたかと思うと全ての樹皮が一斉にはじけ飛んだ。

樹皮を飛び散らしたその光は落ち葉の海を照らしてその全貌を光の中に晒し、次いで頭上に満ちる落ち葉を一斉に地面にたたき落とし始めた。

降り注ぐ大量の落ち葉。

あたしは落ち葉の豪雨の中、溺れまいと藻掻きに藻掻いて上昇する。

その圧力は鉄の板が次々のしかかってくるようだ。

それでも、これで挫けたらミユウに会いに行けないと思って、必死に手を掻いて上昇する。

少しずつだけどそれはあたしを引き上げていて、落ち葉の向こうに太陽の光がチラチラと見え隠れしている。

あすこまで行けばここから出られる。

あたしは必死になって落ち葉を腕で掻いて登り続けたのだった。

 数分なのか数時間なのか。

溺れる者の時間感覚など当てにならないが、とてつもない間藻掻き続けて、ようやくあたしは固い地面の上にたどり着いた。

落ち葉の海から這い出ることが出来たのだ。

その場に立ち上がって辺りを見回す。

すでに青墓の杜の中は朝日が差し込んでほの明るく、斜面にそって木々がそそり立っていて、その涸沢の底にあたしはひとりでいたのだった。

「フジノジョシー」

 声がした方に振り返る。

そこに木肌が苔色になった杉の木があって、根元にへたり込んだサキが泣きながらこっちに手を差し伸べていたのだった。
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