「書かれた辻沢 27」

文字数 2,659文字

 あたしは落ち葉溜りの中へダイブした。

スクーバダイビングの要領で手足を掻いて深く深く潜るのだ。

手に当たる落ち葉をひたすら藻掻いて下へと潜っていく。

だんだんとあの声が近づいて来るのが分かる。きっとこの下に何かある。

 ヘッドライトの光は目の前の落ち葉を照らすばかりで先は見えない。

鼻にかび臭い匂い、口に落ち葉がまとわりついて息をするのもやっとだ。

時折、気味の悪い虫たちがヘッドライトに誘われ目の前に現れる。

叫びたいけどそこは我慢。

目を瞑って落ち葉をもうひと掻きして見なかったことにして進む。

 そうして落ち葉を掻き続けていると、やがて手に当たる葉っぱが疎らになってきた。

あたしの周りに落ち葉の隙間が出来、水もないのにその間をあたしは泳いでいたのだった。

 行く手に光が見えてきた。おぼろげな光だ

その光を見やすくするためヘッドライトを消した。

すると今度はその光に照らされた緑の地面が見えた。

あたしはさらに手を掻いてそちらに向かって行った。

 ついに周りに落ち葉がなくなった。

そして澄んだ空気のなかにあたしはゆっくりと着地した。

 上から緑に見えたのは、背丈を少し超えるくらいの小塚だった。

塚には年輪を重ねたろう、一抱えはありそうな山椒が生えていて、その生い茂る枝を今来た落ち葉の海の中に伸ばしていた。

「わがちをふふめおにこらや」

 声はその塚の中から聞こえてくるようだった。

 塚に近づくと、それは様々な形の石材が積み重なって出来たものだとわかった。

 墓石?

 折り重なった沢山の墓石すべてに苔がびっしりと生えていた。

そしての苔が微細な光を放っている。

それが上から見えた光のようだった。

 あたしは、声の出どころを確かめるため、その塚の入り口を探した。

しかし、塚によじ登ったり周囲を見て回ったが入り口らしい場所は見当たらなかった。

再び最初の場所に立った。

すると目の前の石が他のものと違うことに気が付いた。

ちょうど人が屈んだくらいの高さのその石は、苔が生えていなかったのだ。

 試しににその石を押してみた。

すると中に向かって少し動いた。案外簡単だった。

さらに押してみると、そこが石の大きさに穿たれた横坑であるのが分かった。

さらに数メートルほど押した時だった。

急にその石が向こう側に倒れ視界が広がった。

 そこは円形の石室だった。少し狭く人が数人入ればいっぱいになりそうだった。

そこも壁一面が苔で覆われ、それが光っていた。

中に入ると、全身の毛と言う毛が逆立った感じがした。

ぞっとしたというより神聖な場所で身震いした、そんな感じだった。

 あたしは中を見回して声の主を探したが、人はおろか物もなにもなかった。

ただ水が滴る音が室内に響いているだけだった。

 わざわざこんなところに潜り込んで収穫なしか。

我に返ると、あたしは狭いところが苦手ということを思い出した。

TV番組で洞窟探検とかやっているとチャンネルを変える。

落盤して閉じ込められたらと思うと見ていられない。

医療用MRIなんていうのも棺桶に閉じ込められてるみたいだからNG。

とにかくよくここまで入ってこれたなってことで、失礼します。

「わがちをふふめおにこらや」

 たしかに聞えた。すぐそこだった。

やっぱり誰かいる。耳をそばだてる。

水滴が水面を跳ねる音がする。それが韻律を奏でていた。

「わがちをふふめおにこらや」

 やっと分かった。水の滴る音が人の声のように聞こえていたのだった。

 音がする場所、水滴の落ちる瞬間を探した。

しかし、どこにも水溜まりはない。

水滴の出どころを探す。天井を見上げて自分の目を疑った。

 円形の石室だからドーム状と勝手に思っていた天井に、水が逆さに溜まっていたからだ。

そしてその水面に波紋が3つ出来ていて、水滴の音はそこから響いていたのだった。

さらに水滴の出どころを追うと、それは下から上がって来ていた。

つまり、地面からにじみた水滴が天井に向かって落ちているのだ。

いや上がっていたのだった。

水滴が下から上って行くって、間違ってないか?

 あたしは水滴を自分の手に受けてみることにした。

受け方もまた逆で、掌を下にしてかざすのだ。

 数滴を手に受けて鼻の先に持ってきて匂いを嗅ぐ。

どこか懐かしい匂いがする。

「わがちをふふめおにこらや」

 私の血を口にしなさい、鬼子たちよ。意味はそうだ。

 なるほど、ヴァンパイアの宮木野に関する言葉だから「ち」を血なのかと思っていたけれど「ち」は乳なのかもしれないと思った。

といのも手に受けた雫が乳白色をしていたからだった。

舐めてみる。覚えのある味だった。

それはあたしがコテージで意識喪失したときに、まひるさんが飲ませてくれた強力エナジードリンクの味に似ていた。

でもかなり濃い気がする。

 続けて、他の滴りを手に受けて舐めてみた。それぞれ違う味のような気がした。

 その時だった。あたしは背後に気配を感じた。

振り向くと和装の女性が胡坐をかいて座っていた。

両腿に二人の赤子を乗せて抱き、大きく張った胸を開けて左右の乳をその口に含ませていた。

しかし女性の顔は土気色をし薄く開いた目は白濁、口は半開きのまま首を力なくかしげている。

まったく生気を感じられない様子だった。

 あたしは、この屍人のような女性を知っていた。

遊女宮木野。

町役場のエントランスで像になっている女性だ。

この女性こそが、死してまで辻沢の始祖の双子に乳をやって育てたという母宮木野だった。

もしかしたら、ここは遊女宮木野の墓所なのかもしれない。

 二人の赤子とは、母の名を継いだ娘の宮木野と、その弟の与一つまり志野婦に違いなかった。

この二人が辻沢のヴァンパイアの始祖であることは、四宮浩太郎の『辻沢のアルゴノーツ』に詳しい。

 あたしが見ている間に、二人の赤子はどんどん大きくなっていく。

そして一人で立ち上がれるようになると母親の胸元をはなれ、この石室から出て行った。

 二人が歩き去ったその後を目で追いかけた。

すると、そこにあたしが今まで見えなかったものがあった。

記憶の糸だ。

あたしは二人の記憶の糸が見えたのだ。

これまでそこにあることは分かっても見えなかったヴァンパイアの記憶の糸が、そのとき初めて見えたのだった。

 あたしは急いでその記憶の糸を読もうと近づいた。

もしやすぐに消えてしまうのではと思ったからだ。するとまた、

「わがちをふふめおにこらや」

 と背後から聞こえてきた。

 振り返ると今度は和装の女性が、逆さになって天井の水辺に立っていた。

まるで、こっちが本編だと言うようにあたしに顔を向け、そして、

泣いていた。
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