「辻沢ノーツ 26」 

文字数 1,027文字

 改めて、あたしが来た目的をお話すると、教頭先生がすでに細かに説明をしてくださっていたらしく、すぐにご理解いただけた。

けれど、皆さん、農作業の合間の休憩時間を割いてくださってお集まりいただいているそうで、時間は小一時間くらいしかないという。

多くは聞けなさそうなので、今日はお一人に絞ってお話を伺いたいと提案すると、一人の方が手を挙げてくださった。

最初に応対に出てくださったKさんだ。

皆さんも、今後自分がインタビューされるときのために様子を見ておきたいということで、Kさんにご了承いただけたので、最初だけ皆さんが立ち会うことになった。

Kさんを前にこちらのほうが緊張してしまう。

気を落ち着けて、まずこのインタビューは学術論文や研究レポートという形で人目につくことを説明した上で、何時でも中止していいし、いやなことは話さなくていいということをお伝えした。

そしてメモ、写真、録音の許可を頂いてICレコーダーとビデオカメラをセットすると、いよいよ調査開始だ。

「これまでどのような人生でしたか?」

アバウトすぎて言ったこっちも可笑しくなるけど、鞠野先生の演習で教わった最初の質問の仕方。

インタビュイーにこの質問を傾けて、ご自分の人生を主体的に意味づけ振り返っていただく。

こちらの聞きたいことと一切関係なくてもそれを聞き続ける。

調査テーマや自分の理論の糧にするために、発言者の話を曲げることは厳禁。

だったかな。

「アハハ。可笑しい。人生だって、Kちゃんにそんな大層なもんあったのかい?」

「あるわけないよ。あんただってそうじゃないか」

「そうだ、そうだ。あるわけない。あたしらなんかに」

「そうだね、アハハ」

皆さん、大笑いしながら囃し立ててる。

演習の時にも経験したけど、普通に生活されてる方々にとって、人生だの恋愛だのっていうのは、別世界の、それこそお芝居のセリフで言うようなことで、いざ自分ごとになると笑うしかないみたいだ。

Kさんも赤い顔をして話しにくそうにしてる。

あたしも少し顔が火照って来た。

 それでも、Kさんは辻沢に来てから今までのことをとつとつと話してくださった。

Kさんにとってこれまでの人生は、普通に旦那さんと結婚して、普通に子育てをして、普通に農業を営んで、普通に旦那さんを見送ったという認識のようだった。

そこにはあたしのテーマの遊女に関する情報は一切なかったものの、Kさんが率直にお話くださる様子を見て、これからの調査にコミュ障のあたしにも希望が持てた気がした。

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