「辻沢日記 65」

文字数 2,467文字

  雄蛇ヶ池の小道に入る所まで来た。

 砂利道に足を踏み入れたとき、後ろから黙って付いてきていたクロエが突然、

「ねえ、ミヤミユさ。これからあたしにそっくりな人に会いに行くんでしょ? あたしも会いたいな」

 と言った。

あたしは思わず振り向いてクロエの顔を見た。

なんであんたがユウを知っている。

こっちに来て会ったのか?

それともミユキに聞いたのか?

それならミユキはあたしに言ってくれるはずだ。

 頭がおかしくなりそうだった。

あたしの方が意識の閾にいるんじゃないかと疑いたくなるぐらいだ。

「ちがうよ」

 咄嗟に嘘をついた。

なにかよくない感じがしたからだ。

「嘘。いっつも一緒にいるじゃない」

 あたしと一緒にいるところを見たということか。

名前を言わないのも知らないからか。

 クロエの顔をじっと見た。

クロエもあたしのことを見返してくる。

「どうしたの?」

 あたしはその顔の中に真実を探った。

でもなにも分からなかった。

「なんでもない」

 そう言って再び歩き出す。

「なんかミヤミユ変だよ」

 たしかにあたしは変だ。

でもクロエ、お前はもっと変だぞ。

 その時、首筋がチクチクしていることに気がついた。

何で? と思って手をやるとそこにタグが付いていた。

これって買ったばかりのやつ。

あたしのカレー☆パンマンと違う。

お前、クロエじゃないな。

 目の前に三叉路があった。

左へ行けば、すぐそこにユウが雄蛇ヶ池のほとりで待っている。

真っ直ぐ行けば大曲大橋に出る池端の小道だった。

 あたしは、左の道を見ないで真っ直ぐ前に向かって歩を進めたのだった。
 
何者かわからない。

でもこいつは必ずユウに危害を加えるに違いない。

でも今のユウとあたしには抗う力など残ってはいないのだ。

だからあたしはなるべくこいつを遠くに連れて行き、まひるさんがユウの所に来てくれるまでの時間を稼ぐ。

 そう思ったせいで少し足が速くなってしまっていた。

「何でそんなに急ぐの? 

池の行き方でもわかった?」

 背筋が凍るとはこのことだった。

そこまで知っててユウに会いたがるとは。

ますますユウに会わすわけにはいかなかった。

 そもそも、

って何だよ。けちんぼだからな。

クロエは鬼子だ。言い間違えなんてするわけがない。

タグと言い、

池といい、偽物バレバレだ。

あたしたちを攻めるんならもちっと用意周到にやれっての。

雑すぎんだろが。

 池端の小道が上り坂に変わった。

もう少し行けば大曲大橋の袂に着くはずだった。

 そう言えば、辻沢に調査に入ったころ、あそこのバス停まで山椒農家の蘇芳さんに軽トラで送って貰ったな。

いっつも山椒の苗木持たしてくれて。

あれ全部ホテルに置きっぱだった。

こいつをうまくやり過ごせたら、今度水やりに行かなきゃ。

 ずいぶんと歩いた。

あれから30分は立ったのじゃ無いか。

偽物クロエは日陰に依って付いてきていた。

「おねえちゃん。ウチのこと騙したでしょ」

と背後から声を掛けてきた。

それはもうクロエの声ではなかった。

あたしは後ろを向くのも億劫だった。

それがどうした。お前なんかにユウの居場所教えるわけないだろ。

 ものすごい力で腕をつかまれ後ろに引き倒された。

その拍子に砂利道に尻餅をついてしまった。

目を上げると、そこに見覚えのあるパジャマがあった。

あのパジャマの少女があたしの目の前に立って金色の目で見下ろしていた。

山椒農家のバス停で乗車拒否された子。

鬼子神社のすり鉢の縁であたし達を見下ろしていた子だ。

「教えてくれなくてもいいもん。ウチらは血を吸えば分かるから」

 ゼミ室に現れた畑中Vを思い出す。

あの時鞠野フスキは、敵が血液情報からその人に擬態すると言っていたのだった。

どういう経緯でクロエの血液情報を得たのかは知らない。

唯一の救いはクロエがユウのことをまだ知らなかったらしいことだった。

そのためにこのパジャマの少女はあたしにつきまとって、その機会を伺っていたのだろう。

本当の目的はユウだったのだ。

 パジャマの少女はあたしの肩を押さえつけて動けなくして、

「おねえちゃん。なんでこの山吹色のパーカーばかり着るの?」

 と唐突に聞いてきた。

「おねえちゃんも山吹の花が好きなの?」

 パジャマの少女が笑ったように見えた。

でもそれは口が少し開いて銀色の歯列が覗いたからだった。

肩に乗った掌は小さかったけれど、万力のような握力で押さえつけてきていた。

周囲に強い匂いが立ちこめて来る。

田んぼのところでも匂っていたが、それがいや増していた。

思い出した。松脂だ。青墓であのリクス女がまとっていた匂い。

 あたしはもう逃げられそうに無かった。

あたしの血からユウの居場所が知れたとしても、もうまひるさんが来ているころだ。

まひるさんならユウのことを守ってくれる。

ただ、あたしには一つ気がかりあった。

ユウとあたしのえにしだ。

やっと見出した赤い糸。

ここからユウのことを探られるのだけは避けたかった。

 カハ! 

パジャマの少女があたしの首筋に銀牙を立てて来た。

あたしはそこに隙を見出す。

パジャマの少女の目があたしの背後にあるうちに、しなければならないことをした。

あたしは右手の薬指を口に含むと、最後の力を込めて噛みちぎった。

ツーーーーー! 痛いよ! 痛すぎる!

マジで夕霧はよく平気だったな。

口の中に血が吹き出してくる。

 掌に吐き出すと、血に染まった薬指にはちゃんと赤い糸がついていた。

あたしは薬指を力を振り絞って雄蛇ヶ池に向かって放り投げる。

土手のブッシュの向こうで水がはねる音がした。

これでいい。
 
 耳元で少女の喉が鳴る音がしている。

こめかみがすうっと涼しくなった。

手足ももう言うことを聞いてくれない。

あたしは死ぬのだ。

行く先は屍人の世界。血を求めて彷徨い永劫濁世にとどまる宿命。

……やだな。

ユウと一緒にあたしの建てた家に住みたかったな。

ごめんね。ユウ。

最後のお願いです。

屍人のあたしをきっと見つけて、ユウの手でけちんぼ池に沈めて欲しい。

でも、あんまり無理しないでね。

さようなら。

大好きだよ。ユウ。

               <第二部 完>
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