「書かれた辻沢 93」
文字数 1,812文字
まひるさんが、すっかり潮垂れてしまったアレクセイのもとに歩み寄った。
そして難なく肩に担ぐと、そのままあたしたちのいる階の上まで飛び上がってきた。
社殿の戸を開けアレクセイを中に転がしてから、
「ここから出さないようにお願いします」
と言って戸を閉じると再びユウさんの元へ戻っていった。
甲板の上は相変わらず混戦状態で、ユウさんは黒木刀を振るいながら乗船してくるひだるさまを押し返していた。
まひるさんも長ドスの鞘を捨てて畳みかかるひだるさまをなで斬りにしているけれども、その量の多さに防戦を強いられているように見える。
あたしはといえば、社殿に上って来るひだるさまを黒木刀で突いては血汚泥に差し戻しているが、その切りのなさにいやけがさし始めてもいた。
次のひだるさまが攻め上がって来る間に、もとは境内だった血溜まりを見渡してみた。
するとちょうどひだるさまが血の海から現れる瞬間を目にすることができた。
ひだるさまは血の底から浮かび上がってくるものとばかり思っていたけれど、よく見るとそうではないようだ。
まず血面に小さな泡が立つ。
じきにそこが凝固しはじめて血面から隆起し頭の形になる。
ついで首から下に凝固物が寄せてきて形となり腰まで現れ出ると、枝切りばさみの手を掲げてこちらに向かって動き出す。
そしてあたしのいる社殿の上まで攻め寄せてきては喉元を突かれ、ふたたび血汚泥となって流れてしまうのだった。
血汚泥が固まり動き出して再び血汚泥に帰る。
ひだるさまとはこの血汚泥そのものなのだった。
それはこの血の海がなくならない限り、ひだるさまはあたしたちを攻め続けるということなのだ。
隣のクロエが、ひだるさまを黒木刀の柄で殴り倒しながら、
「なんかバイトの作業してるみたいだよ」
と言い出した。
「何言ってるの?」
この必死の状況でさすがにそれはないと思ったのだったが、
「だって、ひだるさまたち、あたしにやられに上がってくる感じするから」
たしかに、来ては倒し来ては倒しを続けていると、どこか作業めいてはいた。
ユウさんがあんなに恐れていたひだるさまをクロエとあたしだけで押し戻せているのも不思議だった。
改めて甲板のユウさんとまひるさんを見ると、先ほどと変わらずひだるさま相手に獅子奮迅しているのだけれど、どこか倦み疲れているように見えなくもなかった。
「ユウさん、これいつまで続きますか?」
思わず声をかけてしまった。
するとユウさんは金色の目をこちらに向けて、
「月が雲に隠れるまでだ。がんばれ!」
と応えてくれた。
夜空を見上げても、重たい赤い月を隠すだけの雲は出ていなかった。
でも、ユウさんの言葉は再びあたしを奮い立たせてくれた。
あたしなんかが気を抜くなど1億年早いのだ。ひだるさまがどういうつもりだろうと目の前の敵を押し戻す。
それが今のあたしに与えられた使命なのだ。
そう思ってあたしは再び黒木刀を大上段に構えて、ひだるさまが階まで上がってくるのを待ち構えた。
何体ものひだるさまがあたしの黒木刀の餌食になった。
ひだるさまの喉元を突くたび、あたしを上目遣いに見る血走った眼にもだんだん慣れてきた。
そうするうち、血なまぐさい匂いだけだった中に杉の香りのする風が吹きつけてきた。
「あと少しだ!」
黒木刀でひだるさまの首を刎ねたユウさんがその勢いのまま叫んだ。
その声に空を仰ぐと、いままさに赤い月が厚い雲の陰に隠れようとしていた。
鬼子神社の底が暗く陰った。
やがて血の海のひだるさまがすり鉢の底を一つ向きに回り始めた。
ひだるさまが一斉に血汚泥を蹴立てながら歩き出している。
それは次第に速度を早め、やがて風が巻き血の波が社殿に強くあたり出すほどになった。
そして屋形の船が大きく前後に揺らいだかと思うと、ひだるさまとともに船体が動き始めたのだった。
社殿の上は激しく揺れた。
クロエもあたしも勾欄や柱にしがみついて船外に放り出されないように身構える。
甲板にいたひだるさまもほかのものに同期するように血の海の降りてゆく。
ユウさんとまひるさんもそれを見てこちらによじ登ってきた。
そしてあたしたちと並んで、ひだるさまが作り出した血潮の波間を見下ろした。
「なんで阿波の鳴門屋か分かった気がする」
とクロエがつぶやいた。
夕霧と伊左衛門の、炎上した置屋のことだ。
眼下に出来た巨大な血汚泥の渦巻を見て、ちょうどあたしも同じことを考えたところだった。
そして難なく肩に担ぐと、そのままあたしたちのいる階の上まで飛び上がってきた。
社殿の戸を開けアレクセイを中に転がしてから、
「ここから出さないようにお願いします」
と言って戸を閉じると再びユウさんの元へ戻っていった。
甲板の上は相変わらず混戦状態で、ユウさんは黒木刀を振るいながら乗船してくるひだるさまを押し返していた。
まひるさんも長ドスの鞘を捨てて畳みかかるひだるさまをなで斬りにしているけれども、その量の多さに防戦を強いられているように見える。
あたしはといえば、社殿に上って来るひだるさまを黒木刀で突いては血汚泥に差し戻しているが、その切りのなさにいやけがさし始めてもいた。
次のひだるさまが攻め上がって来る間に、もとは境内だった血溜まりを見渡してみた。
するとちょうどひだるさまが血の海から現れる瞬間を目にすることができた。
ひだるさまは血の底から浮かび上がってくるものとばかり思っていたけれど、よく見るとそうではないようだ。
まず血面に小さな泡が立つ。
じきにそこが凝固しはじめて血面から隆起し頭の形になる。
ついで首から下に凝固物が寄せてきて形となり腰まで現れ出ると、枝切りばさみの手を掲げてこちらに向かって動き出す。
そしてあたしのいる社殿の上まで攻め寄せてきては喉元を突かれ、ふたたび血汚泥となって流れてしまうのだった。
血汚泥が固まり動き出して再び血汚泥に帰る。
ひだるさまとはこの血汚泥そのものなのだった。
それはこの血の海がなくならない限り、ひだるさまはあたしたちを攻め続けるということなのだ。
隣のクロエが、ひだるさまを黒木刀の柄で殴り倒しながら、
「なんかバイトの作業してるみたいだよ」
と言い出した。
「何言ってるの?」
この必死の状況でさすがにそれはないと思ったのだったが、
「だって、ひだるさまたち、あたしにやられに上がってくる感じするから」
たしかに、来ては倒し来ては倒しを続けていると、どこか作業めいてはいた。
ユウさんがあんなに恐れていたひだるさまをクロエとあたしだけで押し戻せているのも不思議だった。
改めて甲板のユウさんとまひるさんを見ると、先ほどと変わらずひだるさま相手に獅子奮迅しているのだけれど、どこか倦み疲れているように見えなくもなかった。
「ユウさん、これいつまで続きますか?」
思わず声をかけてしまった。
するとユウさんは金色の目をこちらに向けて、
「月が雲に隠れるまでだ。がんばれ!」
と応えてくれた。
夜空を見上げても、重たい赤い月を隠すだけの雲は出ていなかった。
でも、ユウさんの言葉は再びあたしを奮い立たせてくれた。
あたしなんかが気を抜くなど1億年早いのだ。ひだるさまがどういうつもりだろうと目の前の敵を押し戻す。
それが今のあたしに与えられた使命なのだ。
そう思ってあたしは再び黒木刀を大上段に構えて、ひだるさまが階まで上がってくるのを待ち構えた。
何体ものひだるさまがあたしの黒木刀の餌食になった。
ひだるさまの喉元を突くたび、あたしを上目遣いに見る血走った眼にもだんだん慣れてきた。
そうするうち、血なまぐさい匂いだけだった中に杉の香りのする風が吹きつけてきた。
「あと少しだ!」
黒木刀でひだるさまの首を刎ねたユウさんがその勢いのまま叫んだ。
その声に空を仰ぐと、いままさに赤い月が厚い雲の陰に隠れようとしていた。
鬼子神社の底が暗く陰った。
やがて血の海のひだるさまがすり鉢の底を一つ向きに回り始めた。
ひだるさまが一斉に血汚泥を蹴立てながら歩き出している。
それは次第に速度を早め、やがて風が巻き血の波が社殿に強くあたり出すほどになった。
そして屋形の船が大きく前後に揺らいだかと思うと、ひだるさまとともに船体が動き始めたのだった。
社殿の上は激しく揺れた。
クロエもあたしも勾欄や柱にしがみついて船外に放り出されないように身構える。
甲板にいたひだるさまもほかのものに同期するように血の海の降りてゆく。
ユウさんとまひるさんもそれを見てこちらによじ登ってきた。
そしてあたしたちと並んで、ひだるさまが作り出した血潮の波間を見下ろした。
「なんで阿波の鳴門屋か分かった気がする」
とクロエがつぶやいた。
夕霧と伊左衛門の、炎上した置屋のことだ。
眼下に出来た巨大な血汚泥の渦巻を見て、ちょうどあたしも同じことを考えたところだった。