「辻沢日記 62」

文字数 1,665文字

 沢山の金色の目がユウとあたしをねめつけている。

全部が襲って来たらおそらく今のユウに押し返す力はないだろう。

かといって雄蛇ヶ池に飛び込もうにも、向こう岸に辿り着く体力も残っていない。

「腕があがらないや」

 ユウが初めて弱音を吐いた。

ユウはとうに限界に来ていたのだった。

「貸して」

 あたしは咄嗟にユウの手から黒木刀を取って振り上げた。

「ユウ、あと少し頑張って。お願い」

 あたしはユウの手を引いて立たせると、

「行く!」

 と砂浜を前進した。

あとすこし頑張れば、ユウの望みが叶う。

でもどうやって戦えば?

伊左衛門の最後の死闘を思い浮かべようとしたが駄目だった。

伊左衛門はそれを語らずじまいだったのだ。

ならば、自分の力でなんとかするしかない。

 あたしとユウは水が引く前の岸辺へ近づいて行く。

少し高くなった砂浜の際に赤襦袢と半纏が待ち構えている。

あたしは黒木刀を下段から、最前の赤襦袢の脇腹目がけて逆袈裟に切り上げる。

ものすごい風切り音がした次の刹那、赤襦袢は真っ二つになってその場に昏倒した。

何? この黒木刀。やばすぎる。

次いで半纏がユウに襲い掛かった。

ユウは歩くのがやっとで首を傾げてしまっていた。

その細い首に半纏が牙を剥いてきたのだ。

「させるか、クソが」

黒木刀がうなりを上げて半纏のそっ首を叩き落とす。

血汚泥が白い砂を染めて見る間に吸い込まれていった。

次は2体同時。

赤襦袢と半纏セットだ。

真正面から襲って来る。

黒木刀を横薙ぎに二つ胴を立ち割ってやった。

「なめんな!」

それまで我先にとひしめき寄せていたひだるさまが、あたしとユウから距離を取り出した。

ここでやっと砂地から岸辺に上がる。

「ユウ。大丈夫?」

返事がなかった。

 黒木刀が大活躍してくれたおかげで、なんとかここまで耐えられたけれど、これがいつまでも続くとは思えなかった。

いずれあたしの体力も尽きる。

その時はユウとあたしはまめぞうたちのように切り株となるのだ。

 ユウを見るともう意識がないのか、あたしの右腕に掴まったまま体をもたせ掛けて来ていた。

ユウの手を強く握る。

「絶対あたしが守るから」

そう言うと返事をするかのように、ユウの左手から何か温かいものがあたしの右の腕に伝わってきた。

そしてその温かいものはあたしの胸をあったかくして、そして左腕に伝わって行く。

上腕が熱くなり、前腕に力が漲って、最後に手の甲がビシと音を立てて黒木刀を握りしめた。

これまでひだるさまを切り倒せていたのは黒木刀のせいだと思っていた。

でもそうじゃなかったのだ。

ユウがあたしに力をくれていたからだった。

あたしは目の前に壁となって立ち塞がるひだるさまを睨みつける。

「一緒に生きる!」

そう叫ぶとあたしはひだるさまの列に向かって奔り出した。

 畳みかけてくるひだるさまの攻撃。

あたしは黒木刀を振り回し、活路を開くために前進を諦めない。

いくつか鈎爪で傷を負ったがそんなものは平気だ。

今のあたしは強い。

だってユウが力をくれているから。

 違和感があった。

右手を見た。

ユウの手が繋がれていなかった。

振り返る。

もといた岸辺にひだるさまの小山が出来ていた。

あたしはユウを置いてけぼりにしたのか?

いやそうじゃない。

ユウが最後の力をくれてあたしだけ生かそうとしたのだ。

そんなのダメでしょ。

「ユウ!」

あたしは取って返して、ひだるさまの山を崩しにかかる。

少しの隙間から中が見える。

その中心に横たわるユウは、生まれたての天使のように無垢そのものだった。

ひだるさまはそんなユウに手を束ねていたようだ。

けれど必死にその背後を切り開くあたしに気付くと、すべての銀の牙、すべての鈎爪を一斉にあたしに振り向けて来た。

十数のひだるさまがあたし目掛けて飛び掛かって来る。

あたしは黒木刀を振り回してそれを防御する。

一手一手を返してひだるさまを退け続ける。

しかし、ついにあたしは足を絡らませ尻もちをついてしまった。

巨大な鈎爪が目の前に迫る。

終わった。

もう黒木刀を振り上げる暇もなかった。

「もう少しだったのに、ユウごめんね」

あたしは身を固くして目をつぶったのだった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み