「書かれた辻沢 17」

文字数 1,824文字

「こんなあたしたちにも若い頃があってね」

 自虐的に話し出した紫子さんだった。

「都会ではリブが流行ってた」

 ウーマンリブのことだ。

「四ツ辻にいたあたしたちにもその熱気は伝わって来てて、何かしなければっていう焦燥感に駆られていた」

 それで、今は紫子さんがやってる仕切り役だったケサさんを問い詰めたり、エニシについてリブ的にどうかと話し合ったりしたそうだ。

「公民館に集まってね。お惣菜とかおにぎり持ち寄って夜中までギロンしてた」

 その時に標的になったのは、やはり「けちぼん池」だった。

制度的差別的だということで排除することになった。

「夕霧物語からどうやって?」

 鞠野先生があたしが聞きたいことを質問した。

「旧弊に頼る上、人道的でないって意見もあったたけど、絵解きを使った」

 紫子さんに連れられて、初めて鬼子神社に行った時のことを思い出す。

 紫子さんは、あたしをほこり臭い社殿の床の上に座らせると鴨居の上の額絵を指しながら夕霧と伊左衛門の話を語ってくれた。

あれが絵解きだ。

「このお話知ってる」

 全部聞き終わってあたしがそう言った時、紫子さんはあらかじめ分かっていたというように大きく頷いたのだった。

「あの絵解きの時『けちんぼ池』にすり替えたの」

 そういえば紫子さんは語り終えた後も、

「けちんぼ池、けちんぼ池だよ。夕霧たちが目指したのは」

 と何度も言っていたように思う。

 つまりは頭の柔らかいうちに誤情報を刷り込んだのだ。良かれと思ってしたことでも褒められた行為ではない。

「ごめんね」

 紫子さんは拝み手をした。

「でも、後になってユウちゃんが『けちんぼ池なんて埋めてやる!』と言ってるのを知って二重に嬉しかった」

 一つは夕霧物語から血盆が消えたこと、もう一つは血盆池そのものを消し去ろうと考えていること。

それは紫子さんたちにも思いつかなかったという。

さすがユウさん。

「自画自賛するわけではないけど、ユウちゃんがそんな発想をするようになったのも、言葉の呪縛がなくなったからって思いたいの」

」と「けちんぼ」。

背景を知らなければどっちも一緒だけど、血盆を知った時の心のザワザワは生理的な何かがあった。

その言葉の重さは、関われば関わるほどレベチになってゆくと思うし、そう言った意味で紫子さんのしたことは、エニシと鬼子との様相に少なからぬ影響をあたえたのは事実だ。

「そもそも、けちんぼ池ってどこにあるんですか?」

 鞠野先生が踏み込んだ質問をした。

 紫子さんが言うようにけちんぼ池が血盆池ならば、それは地獄にあるということになるけれども。

「あるとは言えても、どこにあるかの説明は難しいのじゃないかしら」

 紫子さんは眉間にしわをよせながら、そう答えた。

 そこが地獄かどうかは置くとして、けちんぼ池があるのならば行き方も存在する。

ユウさんやまひるさんのオープンワールド理論からしたら、どんな方法でもたどり着けるはずなのだ。

そしてその行き方こそがどこにあるかの説明になる。

コンビニは大通りの信号を渡って数10メートル右に行くとある、みたいに。

「けちぼん池への行き方をご存じなのでは?」

 すると紫子さんは、

「聞いたことはあるわ。でも人の真似をしても辿り着かないみたい。条件が毎度違うらしいから」

 行き方が人によって違うのか。

「エニシから手順を踏めと言われているように感じる」

 ユウさんはそう言った。それはエニシから条件を示されているということだ。

ということは、ユウさんはけちぼん池へのルートを確実に辿っていることになる。

どこまで来ているのか、あとどんな条件を満たさないとならないのか。

全然わからないけど、あたしはユウさんの側でそれを見届けなければいけない。

 鞠野先生が質問する。

「けちんぼ池って埋めたりできるものなんですか?」

「実際にある池だというからには。でもユンボとか運べるのかしら」

 ミユウの仮説で社殿の船が運べるなら、重機の一つや二つ……。

「ユンボは冗談だけど」

 冗談なんですね。

 紫子さんに泊まって行けばと言われたけれど、鞠野先生が今日中に東京に帰るというのであたしも一緒においとました。

 帰り際紫子さんに、話に出て来たケサさんについて気になることがあると伝えた。

前回もそうだったが四ツ辻に来てケサさんの記憶の糸に触れた時、そこにヒダルの影が見えたのだ。

 すると紫子さんは、

「教えてくれてありがとう。でもしかたがないね。悲しいことだけれど」

 と言ったのだった。
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