「書かれた辻沢 118」

文字数 2,388文字

 最初の攻撃はあやうく左手で受けたが次が来たら防ぎようがなかった。

右手はミユウのものになっていて動かすことが出来ないからだ。

あたしにのしかかったひだるさまは絶対優位はずなのに自身なさげな顔をしていた。

それはまさにあたし自身だった。

あたしがあたしにまたがってあたしをじっと見下ろしていた。

左腕を上げて攻撃すれば終わりなのにいつまでたっても攻撃してこない。

ただ金色の眼で見つめるばかりなのだ。

あたしはそのひだるさまの左腕に目をやった。

それは力なくだらりと垂れて地面についていた。鎌爪の数も右よりも少ないような。

もしかして向こうも同じようにミユウと半身が入れ替わりつつある?

見れば見るほどあたしに似ていた。

まるで鏡を見ているような気がした。これは鏡に映ったあたしなのではないか?

 ミユウが屍人になってから、あたしを映した鏡の中に何度もミユウを見た。

そのたびにあたしは鏡の中のミユウに語りかけてきた。

「きっとけちぼん池に連れてゆくから」

 その時ミユウはなにも答えてはくれなかった。けれどそれはあたしを嫌ってではなかったはずだ。

 あたしは目の前の鏡に向かって聞いてみた。

「ミユウ、どこにいるの?」

 すると鏡に映ったミユウの口が動いた。

「「分からない。薄暗いところだよ」」

 鏡の向こうからミユウの声がした。その声は二重に響いていた。

ひだるさまの半身のミユウとあたしの半身のミユウが同時に答えているのかもしれない。

「どんなところか教えて」

「「なんか、ぞわぞわするところ」」

 体が冷えるということだろうか、それとも身の毛がよだつということだろうか?

「寒いの? 怖いの?」

 ミユウは思案していたのか、しばしの間があって、

「「どっちでもない」」

 と言った。続けて、

「「髪の毛が逆立つ感じ」」

 そういわれて、思い当たる場所があった。

母宮木野の墓所だ。

あの石室に入った時、あたしは髪の毛が逆立つような感覚に襲われた。そしてそこは異様な場所だった。

水が地面から天井に向けて滴り上がっていたのだ。

「水滴が下から上に垂れてない?」

 鏡の向こうのミユウの声が少し弾んだように感じた。

「「そうなの。なんかへんなんだけど」」

 やっぱりそうだ。ミユウは母宮木野の墓所にいるんじゃないか。

「そこは石壁の狭いドーム状の部屋?」

 と聞くと、あたりを見回したのだろう、鏡の向こうのミユウは少しの間を置いてから、

「「ううん。広いよ。とっても広い空間みたい。見えるのはあたしの周りだけだから、どれくらいかはわからないけど」」

 と答えた。

 墓所ではないらしい。

「「ヤッホーって言うと木霊がするから閉じた空間みたいだけど」」

 青墓のどこかに巨大な墓所でもあるのか?

 鏡の中のミユウが沈黙した。

鏡は再び、ひだるさまの顔に戻ってしまったていた。

 今の会話はひだるさまにも聞こえたようだった。

それはそうだ。

あたしの半身のミユウとひだるさまの半身のミユウが一緒に会話しているのだから。

「あなたにはミユウを渡さない」

 そう言葉にしたけれど、ひだるさまも同じことを言いたそうだった。

 あたしは動かないミユウの右手を必死に使おうとした。それはおそらくひだるさまも一緒だった。

 皺だらけの眉間にさらに皺を寄せて左腕を必死で動かそうとしていた。

「「ミユキはどうして自分ひとりでしようとするの?」」

 突然、ミユウの声がした。

「どういうこと?」

「「ミユキって、何でも自分だけでしちゃうじゃない?」

 好きで一人でやってるわけじゃない。

あたしは要領が悪いからいつもみんなの足を引っ張ってしまう。追いつくのに精一杯なだけだ。

「「ほらまた一人よがりな考え。悪い癖だよ」」

 怒られてイラっとした。

「「ミユキ、こういう時どうすればいいかちゃんと考えて」」

 こういう時って、命が危ない時っていう意味なら、

「助けてくれてもいいじゃん!」

 あたしは叫んだ!

ひだるさまが一瞬面食らったような顔をした。
 
そうだよ。見てないで助けてほしい。

「ミユウ! 助けて!!」

 すると、それまで氷のように動かなかった右腕に温かさが戻ってきた。

その右手はゆっくりと動き出し、やがて目の前のひだるさま首を掴んで捩じり上げ出した。

ひだるさまの顔面に血管が浮き出て、みるみる赤黒く充血してゆく。

やがて目尻、鼻孔、口から鮮血が流れ出ると、力なくうなだれて動かなくなった。

そして、あたしだったひだるさまは全身から血汚泥を噴き出したかと思うと、唐突に消えてしまった。

あたしは自信なさげなあたしを、やっと退けることが出来たのだ。

 みんなもそれそれの自分自身に始末をつけて戻ってきた。

「ミユキ。よくやった。これでボクたちが青墓唯一の存在だ」

 ユウさんはそう言うと、あたしの手を引いて立たせてくれた。

あたしの右手を見た。薬指があった。

全身の感覚も戻っていた。

あたしの体からミユウの体は離れてしまっていた。

「ミユウさんはまた行方不明になっていましましたか?」

 まひるさんが聞いた。

「いいえ。ミユウはちゃんとあたしに居場所を伝えてくれました」

 ミユウは、それを読むだろうあたしのことを見越して記憶の糸に自分の気持ちを刷り込み伝えようとした。

きっとミユウのことだから、すべての時代、すべての次元で何千回も何万回も青墓のこの道を歩いて記憶の糸を積み重ねていたのだろう。

あたしはまんまとその罠にはまってミユウの気持ちを我がこととして読み取ることが出来た。

説教付きだとは思わなかったけれど。

ちょっと面倒くさい方法だったけれど、それがミユウの精一杯の意志の伝え方だったのだ。

「ミヤミユはどこにいるの?」

 クロエが聞いて来た。

足下を倒したひだるさまの血汚泥が山の頂に向かって流れ行く。

その先の斜面の途中に、血汚泥が地中に吸い込まれる場所があった。

「この山の中」

 あたしは初めて、自信を持って行き先を示すことが出来たのだった。
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