執筆経緯、インスパイアされた書籍、新作について、謝辞(2022/12/26改訂)

文字数 4,498文字

『辻沢のアルゴノーツ』~鬼子のえにしは地獄染め~を読んで頂きありがとうございました。クロエ、ミヤミユ、フジミユはじめ、ユウ、夜野まひる、鞠野先生、紫子さんら、鬼子さんたちの冒険に最後までお付き合いくださり感謝します。

●執筆経緯
 『辻沢のアルゴノーツ』を書き始めたのは2017年1月です。それから2018年6月に第一部を書き上げますが、第二部を書き出して2か月経った8月で1年間中断します。ミヤミユが鬼子神社の調査を開始する場面で筆が停まってしまったのです。鬼子神社を実測するって一人でどうやるの? ということが解決できなかったです。はじめは鞠野フスキとフジミユに手伝わせようとしたのですが、なんか違ったのです。それで筆がすすまなくなっての放置でした。
 そして一年後の2019年11月に再開します。鬼子神社の調査をユウに手伝わせるというアイディアが降って来たためでした。やっぱり困ったときは主人公(語り手であるクロエ、ミヤミユ、フジミユの三人は各部の主人公ですが、物語全体を通しての主人公はユウです。ユウが夕霧になるまでの物語なのです)だなって思った瞬間でした。
 そしてその時、具体的な実測方法も思いつきます。とにかく自分が好きなもの全部ぶっこんじゃえと思ったのがよかったです。それが作中でも言及した『建築と庭』西澤文隆「実測図」集(建築資料研究社)です。こんな美しい本はないという思いを作品に反映させるため、ミヤミユに手書きで実測してもらうことにしました。ただ、小説を書いているとキャラが作者を超えてゆくことがあります。ミヤミユの変態図面はこっちの思惑そっちのけで出来上がったものでした。
 こうして執筆は再開されたのですが、やはり遅々としてすすまない。こうなったらもう無理くりでも執筆の時間を持つようにしよう。という思いでWEB公開に踏み切りました。それが2020年11月24日でした。3月末までは既存の箇所を予約公開していればよかったので苦労はなかったのですが、それが無くなり書き足したストックも尽きた6月ころからは毎日が書き下ろしでした。今から思うとほんとよく物語が破綻しないですんだと思っています。プロットを作ってから書く人には信じられないかもしれないですが、毎日アイディアを絞り出して2000字を目途に書き続けていました。そんなで仕上がった第二部でしたが、自分で言うのもなんですが、奇跡的なラストになったと思います。
 第三部に入って一番苦労したのは、どうやってけちんぼ池に行くかという方法でした。地獄への道なんて分からないですから。サノクミという人物を登場させ、サキのおばさんとの交換日記、そして五芒星のアイディアを思いつかなければフジミユは今でも辻沢をさ迷い歩いてたんじゃないでしょうか。
 そしてこの作品を完結させられた一番の要因はフジミユの「場所の記憶を読む能力」でした。これ冷静に考えると、一人称小説という、パースペクティブに限界がある設定での反則技と言ってもいいかもしれない。だって、話者が知らないことが糸を読むことで分かってしまう。いわば神の視点ですから。でも、これのおかげで、第三部のテーマである「探査と問題の解決」が可能になったと言えます。だからオッケーとしましょう。
 最後の青墓でも停滞しました。ミヤミユがどこにいてどうしているのかが分からなかったからです。最初の想定は、ひだるさまになっていて戦っているうちに出会うというものだったのですが、青墓に着いてみると、どうも違う。そうじゃないという思いが消せなくなってしまいました。それで、必要以上にフジミユたちは青墓をさ迷うのですが、あー、これってバトロワ(ゲームジャンルのバトルロワイヤルシューターのことです)なんだなって思ったとき、「人生は最適解の上に成り立っている」(人生の選択肢はたくさんあるけれど人が選べるのは一つだけ、ならばそれがどんな結果になっていようとも、いつだって最適解だったのだ)という思いとともに解決策を思いつきました。結果は読んでいただいたとおりです。今振り返っても綱渡り続きの連載期間でした。

●インスパイアされた二つの書籍(長くなりますので興味ある方だけどうぞ)
★上間陽子氏『裸足で逃げる』(太田出版 2017)
 皆様も記憶されていると思いますが、数年前読書界では生活史ブームというのがあって、岸政彦氏の著作を筆頭にフィールドワークの面白い書籍がたくさん出版されていました。そのブームに乗って何冊かの本を読んで一番興味深かったのが『裸足で逃げる』でした。この本は沖縄に生まれた上間氏が自分が成長する中で、否応なしに風俗のような劣悪な環境に身を置かざるをえなくなる仲間を見て来た経験を原点に、そういった女性たちの生きざまを活写した素晴らしいエスノグラフィーです。
 その書籍の前書きに上間氏自身が体験したことが述べてあります。そしてそれは「atプラス」(28号)という雑誌で岸氏が執筆した「タバコとココア」というエッセーの中のインタビューと同じ内容でした。その二つの文章には、前者は著者としてエスノグラファーとして理性的な文言で、後者は沖縄の女性としてインタビュイーとして口語的な言い回しという違いがありました。それら二つの文章を読み比べて、インタビューされる側がインタビューする側になるエスノグラファーの誕生を見た気になったのでした。そしてそれは一人のフィールドワーカーが自分の目の前に出現し、クロエというキャラクターが結実した瞬間でした。(クロエのモデルが上間氏だとは言っていません。念のため)
 その頃、『辻女レイカーズ』という辻沢を舞台にしたヴァンパイア小説を書き上げたばかりでした。けれども舞台として突然目の前に広がった辻沢はまだまだ未知の世界でした。青墓の杜で主人公のレイカが聞いた「わがちをふふめおにこらや」という問いかけの謎が未解決のままだったりしていたのです。それは執筆時に突然頭に思い浮かんだ言葉を記しただけだったので「おにこ」って何? という疑問として残っていました。
 それで次の作品は辻沢の「おにこ」についての話にしようと思っていた矢先に、上間氏の著書です。フィールドワーカーこそ「おにこ」が息づく辻沢を探求するにうってつけの語り手だと思ったのでした。カフカの『城』の測量士みたいじゃんって思いました。こうしで最初の語り手がフィールドワーカーを目指す女子大生のクロエに決定しました。
★今福龍太氏『クレオール主義』(ちくま学芸文庫) 
「ワイエスの村―場所論2」で今福氏はこう語ります。
「ドライビング・シートに体を沈めて車を運転しながら都市のうえに描くトランジットの軌跡そのものが、わたしたちにとっての都市経験を語るエクリチュールへと近づいてゆく。あるいはまた、景勝の地をバスやレンタカーを利用して周遊しながら見て回る観光行為そのものが、一種の「土地の記憶」の新しいモードとして成立してゆくこととなる」
 何を言ってるのか分からんという方のために翻訳しますと、「エスノグラフィーというのはこれまではエスノグラファーが対象世界を『書く』ものだったけれど、ドライブや観光といった行為そのものが、()()()()()すでにエスノグラフィーなんだよ」と言っています。これを受けて、今福氏は「オート・ライティング」という言葉で、「現代社会が自己言及を行ってゆく無意識のシステムのこと」と定義します。
 これを読んだとき「何を言ってるの?」と混乱しました。なぜなら自分がエスノグラフィーとして理解していたものとはまったく違ったからです。だって、誰かが書かなければ、そのオート・ライティングされたものは、その人の記憶の中だけのものでしかないじゃないですか。心の中にしかないものをどうやって他人は「読む」ことが出来るの? って思ったからです。
 フジミユの「場所の記憶を読む能力」とは、この今福氏のポストモダンな言説に対して、真毒丸タケルが精いっぱい頭をひねって出したファンタジー寄りなアンサーでした。そのため、第三部のタイトルは「書かれた辻沢」なのです。今福氏のこのエッセーで引用されているジョン・ドースト『書かれた郊外』を真似ています。この著書自体は翻訳がないのでまだ読めていないのですが…。
 このように真毒丸タケルが小説を書くことは、日々の読書の疑問や感動のアンサーとしての側面もあります。それが論文でなくファンタジーになるのは、専門家や研究者のように体系的に考えたり先行論文をトレースする能力がないからです。
 もう一つ影響を受けた本がありました。最初の講義の場面で鞠野先生が言う「レビ・ストロースはジーパン屋さんじゃない」っていう寒いギャグの出所です。これは橋爪大三郎氏『はじめての構造主義』(講談社現代新書)にまったく同じことが書いてあります。きっと鞠野先生は若いころに構造主義を勉強なさったのでしょう。
 一点、申し上げなければいけないのは、鞠野先生がフィールドワークについて言っていることは鵜呑みにしないでほしいということです。彼には鬼子さんたちを地獄に送る役目があるから、ああいう物言いになっています。特に「俎板の鯉になれ」は絶対にダメです。
 この作品でフィールドワークに興味を持たれた方は、ご自分で図書館や本屋さんの社会学や文化人類学のコナーにある書籍に当たって勉強して欲しいと思います。実践の本も面白い(岸氏の本は若い優秀なフィールドワーカーの著作を紹介してくれています)ですが、本気でフィールドワークしたい方は、入門レベルの概説書から読まれるのがいいかと思います。

●新作について
 現在、辻沢もの(シリーズ名「辻沢オープンワールド」)の新作に取り組んでいます。
タイトルは『ボクらは庭師になりたかった』、舞台は辻沢です。『辻沢のアルゴノーツ』から10数年経っていて、主人公は藤野家(フジミユの養家)の養女となっている二人の女子高生です。当然、藤野ミユキは二人のお養母さんとして出てきますし、ヤオマンHDの伊礼魁()()も登場します。クロエやユウや夜野まひるたちも登場するかもです。
 話の大筋は、数十年前に起こった辻沢町舎倒壊事故と同時期の辻沢町有力者連続殺人事件とのつながりを二人の女子高生が調べるうち、それらの背後に存在した陰謀に巻き込まれて行くというものです。
どうかご期待ください。

●謝辞
 読者の皆様をはじめ、連載中にTwitterなどで応援下さった方々には本当に感謝しています。特に最初にファンレターを下さり、更新の度にリアクションツイートをして下さった不二原光菓様にはここでお礼を申し上げたいと思います。このサイトに居場所ができたのは不二原様のおかげと思っています。本当にありがとうございました。

 以上、『辻沢のアルゴノーツ』~鬼子のえにしは地獄染め~を読んでくださり本当にありがとうございました。
それでは皆様、また辻沢のどこかでお会いしましょう。

真毒丸タケルでした。 (2022年12月26日改)
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