「書かれた辻沢 38」

文字数 2,625文字

 ロビーの母宮木野像と山椒の模造樹の前に立つ。

背丈ほどの墓石で出来た塚に遊女宮木野像が寝そべっていて、顔をよく見るとあたしが会った母宮木野そのままだった。

山椒の大木は繁茂した枝がガラス天井に達しそこで切断されていた。

それは枯れ葉の海に枝が伸びていたのを準えているように見える。

見れば見るほどあたしが見た墓所と同じだった。

この像の作者もきっと、あたしと同じ体験をしたに違いない。

 展望エレベーターからは、辻沢の郊外が見渡せていた。

上昇するにつれさらに遠くの街の灯が見えて来た。

方角からするとあれはN市だろう。

 藤野の家にしばらく帰っていないな。

養父が亡くなってから、あの家に一人でいる養母はあたしが帰ればとても喜んでくれるはずだ。

でも帰ってない。帰るのが嫌なのではない。

それまでに積み重ねた記憶の糸に触れるのが面はゆくて足が向かない。

わがままを尽くして、それを全部許して貰っていたのに、いっぱしに一人で大人になったつもりだった。

大人になりきれていないと言われるようで帰りずらいのだ。

でも、このことが終わったらきっとあたしも少しは成長するだろう。

そうしたら一番に養母に会いに帰ろう。え? 何のフラグ、これ。

「こちらへ」

 展望エレベーターを降りると、ロビーになっていて正面に重厚な観音扉、その両側が議事堂のエントランスだった。

その真ん中の扉を押し開いてエリさんが請じ入れてくれる。

 中に入ると高い壁の間を長いスロープがのびていた。

おそらく議事堂の円盤の上に出る仕組みなのだろう。

スロープを上りきると天井がドームになった近未来的な構造の部屋になっていた。

円盤の操縦室といった感じだ。

「おかけください」

 勧められるまま応接用のソファーに腰を下ろすと、横の重厚な机の上に名札が見えた。

「町長 辻川雄一郎」とある。

ここは町長室なのだ。

部屋の設えと言えば近未来とはほど遠かった。

 机の向こうの椅子は王様が座るような巨大な背もたれだ。

床には今時こんなのどこで売ってるの的な、大口開けた顔が付いた虎皮の敷物。

正面の壁には金の額縁に代紋、でなく辻沢の町章。

近くの飾り棚には木刀が飾ってあって、見たことあると思ったらスーパーヤオマンの隠しショップにあった黒木刀だった。

まるで反社の事務所のような部屋だ。

「町長はヤクザだったんですよ。都会の組織で破門になってふらついてるところをヤオマンの会長に拾われたそうです」

 いつの間にかエリさんがお盆を手にあたしの横に立っていた。

そんなことあたしに言ってしまっていいのだろうか?

「こちら薫草堂のカモミールティーと銀座吉岡屋のマカロンです」

 それらをテーブルの上に並べると正面に腰をかけた。

これ、まひるさんのところで頂いたのと同じ物。

「こちらは特別なお客様にしかお出ししません。どうぞお召し上がりください」

 とエリさんが言った。

「特別?」

「そうです。フジノミユキ様は当辻沢町にとって特別な方だからお出ししました」

 あたしが辻沢で特別? と戸惑っているとエリさんは、

「お入りください」

 と奥の通用口に向かって声をかけた。

 扉がゆっくりと開いて、そに現れたのは真っ白いスーツ姿の女性だった。

驚いた。

見惚れるほどの超絶美人というのもそうだが、この人はクロエがお世話になってる調(しらべ)家の主人。

つまり宮木野流本家のご当主ということになる。

「辻沢ノート」の記録者、四宮浩太郎の奥様でもあるが、今はそっちよりヴァンパイアの方が気になる。

「こんばんは。調(しらべ)由香里(ゆかり)と申します。何度か(たく)でお目にかかったかと」

 潮時の時に玄関を開けて貰ったり、クロエの様子をこっそり見に行った時に挨拶したり。

「はい。ノタクロエがいつもお世話になっています」

 クロエのことでこの人に言っておかなければならないことがあるのを思いだした。

「あの、実は……」

 と言いかけると、

「まず、あのたのお聞きになりたかったことから」

 と調由香里さんが話しを始めた。

「女子高校に入学してすぐ、あたしは青墓を彷徨っていました」

 理由は言わなかったけれど、口ぶりからそれが後ろ向きな行動であったことがうかがい知れた。

「散々歩き回って夜になり、杜が深黒の闇に包まれると得体の知れない存在が後を付いてくるのに気がつきました。どうにでもなれと踏み入った青墓でしたが、いざそうなると命が惜しくなったのでしょう、必死で逃げ惑ってさらにさらに青墓の奥へと迷い込んでしまいます」

 そこで耳にしたのが、

「わがちをふふめおにこらや」

 だったそうだ。

その声は調由香里さんには救いの導きに聞こえたという。

声にすがって更に歩き続けると突然水に落ちた。

まるで誰かがわざと落とし穴を開けていて、そこから地下の水たまりに落ちたようだったそうだ。

「あたしは水泳をしていたので水に浮くことはできたのですが、もがけばもがくほど水の底へと沈んでいきました」

 しかし、まったく苦しくない。

水の中にいる感覚はあったのに息苦しくなかった。

あたしの時は枯れ葉だったから息が出来ても普通に思えたが、水ならば混乱したのじゃないか。

「気付くと砂地の上に寝ていました。辺りはほの明るく、目の前に小さな塚がありました」

 そして、その塚の中に入り母宮木野と双子の姉妹を見たと言った。

しかし見たのはそれだけのようだった。

「夕霧は見なかったのですか?」

「あなたは見たのですか?」

「はい」

 そう言うと、調由香里さんとエリさんは顔を見合って頷いたのだった。

「下のオブジェは調さんが?」

 ロビーのオブジェは、調由香里さんから話を聞いた当時町長だったお父様が、この庁舎の竣工に合わせてN市在住の有名な彫刻家に作らせたものだそうだ。

当初は金色に塗る予定だったけれど、調由香里さんがお父様に頼み込んで取りやめにさせた。

1980年代バブル真っ盛りのことだったらしい。

因みにロビーのガラス天井は調由香里さんの意見を取り入れてのことだそうだ。

 庁舎の仰々しさやオブジェの巨大さなど、まさにバブルの真骨頂なのだろうけれど、当時高校生だった調由香里さんは、もうそろ40代ということになる。

四宮浩太郎の奥さんだから鞠野先生と同世代。

全然見えないんだけど。

「あたしはあの墓所に呼ばれたのにその本当の意味を解そうとはしなかった」

それを言った調由香里さんはとても後悔しているように見えた。

「何かあったのですか?」

 と聞くと、今度はエリさんが、

「お友達が亡くなりました。四ツ辻で」

 と言ったのだった。

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