「辻沢ノーツ 49」

文字数 1,963文字

「友だちに電話をしたいんですけど、お電話お借りできますか?」

ヤオマンホテル・バイパス店に電話を掛けた。

「905号につないでください」

「905号ですか? どちらさまでしょうか?」

「友だちで、ノタクロエと言います」

しばらく電話の向こうでざわつく気配があってから、

「ノタクロエ様 すみませんが、こちらに宿泊されている方をご存じならば、そちらからご連絡していただきたいのですが。しばらくの間、お戻りになられない様子なので。いえ、月末までお代はいただいていますので、そちらは問題ないのです。お部屋のお掃除をさせていただきたいと思いまして」

どういうこと?

 あたしはAさんに事情を説明して、ミヤミユのホテルに戻ることにした。

バスはタイミングよく来て、すぐにバイパスを走りだした。

ミヤミユが戻ってないってどういうことだろう。

じゃあ、やっぱり昼にあの部屋にいたのは・・・。 

〈次はバイパス大曲交差点。ヤオマンホテル・バイパス店へお越しの方はこちらでお降りください〉

(ゴリゴリーン)

すでに陽は落ちて辺りは暗くなっていた。

地下道に下りると、昼の時には気付かなかった変な臭いがしている。

地下道が交差する左手から何かが唸るような音がしていてやな感じしかしない。

でも、ここを通らないとミヤミユのホテルに行けないから、怖いけど、そこを走って通り過ぎた。

交差を通り過ぎる一瞬、暗闇の中の何かを目の端に捉えた。

でも、それは見なかったことにして、急ぎ足で出口に向かう。

階段を上りかけたとき、

「クロエ」

背中であたしの名を呼ぶ声がした。

どことなくミヤミユの声のように聞こえた。

「クロエ、あたしたち友だちだよね」

振り向こうとしたけど、どうしてかわからないけど、これは振り向いちゃいけない、このまま立ち去ろらなきゃって思った。

だからダッシュした。

地下道を全速力で駆けて階段を昇り、外の歩道に出た。

声の主が追いかけてくる気配はなかった。

 フロントを通らないで直接905号室に向かった。

エレベーターを降りて赤い絨毯が敷かれた暗い廊下を歩き、ドアをノックした。

返事を待つ間ドキドキした。

なんでドキドキしているか、よく分からなかった。

部屋のドアが開いて中から黄色いパーカーを着たミヤミユが顔を出した。

「どこ行ってた?」

「ごめん」

部屋の中はむっとして暑くて先に立って歩くミヤミユは首筋に汗をかいていた。

部屋の奥の暗がりを見てドキッとした。

何かいると思ったら、山椒の植木だった。

 ミヤミユに電話のことを話すと、

「あー、それね中に木があるの見られたらまずいと思ってさ、掃除入らないようにしてたんだよね。そうしたら、戻ってないって思われちゃってて。さっき説明したら、別のところに置き場所を用意するからそちらにって」

 昼間外出したことを謝った。

それとAさんのお宅に行ったら荷物が戻って来ていて向うに戻ろうって思ってることも。

「よかったじゃん。それじゃあ、ベースキャンプはあっちに? ここじゃ、だめ? 気がねなくてよくない?」

「うん。そうだけど、向うの方も是非にって言ってくださってるから」

「わかった。十分気を付けてね。変なのがうろついてるから」

さっきの地下道のことが喉からでそうになったけど、それは呑み込んだ。

このミヤミユに言うことではない気がした。

 Aさんのお宅に電話して、少し遅くなることと夕食はこっちで摂ることを告げた。

二人でおしゃべりをしながら昼間に残したコンビニごはんを食べた。

それからTVで『ジャイアント・サミット K2』という特番を観た。

世界で2番目に高いK2登山を追ったドキュメントで、クライマーの体にアクションカメラを付けて登攀する映像が中心だった。

それはどの瞬間もすごい迫力だった。

その中でも7600m付近の氷壁で、マイナス60度の吹雪に見舞わた時の映像は、クライマーの絶望感がこちらにも伝わって来て身震いした。

山登りに興味のないはずのミヤミユがくぎ付けになって見入ってるのも無理ないなと思った。

番組が終わったら9時を回ってたので帰ることにした。

バイパスのバス停で時間を過ごすのはいやなので、フロントでタクシーを呼んでもらった。

「じゃあ、ミヤミユも気を付けてね」

「うん。ありがとう。コマメに連絡とろ。そっか、スマホは?」

「ない。サキが知ってないかな?」

「聞いといてあげるよ」

「お願い。それと今度またひさご以外のところで飲もうって言ってたって」

「了解。伝えとく」

 タクシーが来た。

中に乗り込むと山椒フレーバーの消臭剤の匂いがした。

「ミヤミユ、あたしね。さっき」

言いかけてやめた。

ミヤミユにミヤミユに会ったなんて言えなかった。

「何?」

タクシーのドアが閉まった。

「なんでもない」

ミヤミユはタクシーがバイパスに入るまでホテルの入り口で見送っててくれてた。

バイバイ。ミヤミユ。
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