「夕霧物語」辻沢遊里
文字数 1,379文字
森を抜けると、こんな山奥なのに大きな街が広がっていた。
幾つもの大きな道が交差して、道行く人たちはどの人も裕福そうで、みな瀟洒な格好をしている。
いったいどこからこれだけの人が集まるのか。
そのきらびやかな街の様子はまるで桃源郷に迷い込んだようだった。
その人たちは、夕霧太夫やあたしたちのこと見て驚いたり騒いだりすることはなかった。
道行く人にここは青墓かと聞くと、ここは辻沢という遊里だと言う。
加えて青墓ではないが、青墓はすぐそこだということだった。
何か月ぶりかで宿に泊まることにした。道中に投げられた銭はかなりの額になっていたので銭に不足はなかったけれど、夕霧太夫の様を見た宿の主が嫌がり、粗末な下人部屋に泊まることになった。
その夜は車曳きの3人に銭を持たせ街に出したため、宿では夕霧太夫とあたしの2人になった。
あたしは、様子を見に来た下僕にお湯を張った桶を用意してもらって、板間の上で横になった夕霧太夫の衣を脱がし布で体を拭った。
夕霧太夫の体は、とうに血膿は収まり、引き攣れてはいるけれど皮膚は乾いてつるっとしている。
焼け跡から救いだした時は生きていることが奇跡で、まるで焼けぼっくいに手足がついたかのようだったのによくぞここまでと感心する。
とはいうものの、あんなに美しかった顔の変わり果てた貌を見ていると、自然と涙がこみ上げて来るのだった。
乾いた布で体を拭い終わると、新しく用意した襦袢を着せた。
まめぞう達はいないので、あたしがしとねまで運ばなければならない。
片足の身では持ち上げられないので、申し訳けなかったけれど床の上を転がして移動させた。
あたしはこれでかなり疲れてしまって、しばらくの間、夕霧太夫の傍に横たわったまま外の音を聞いていた。
窓の下の通りの賑わいが聞こえて来る。
阿波の鳴門屋にいたころを思い出し、懐かしくさえ感じたのだった。
風に乗って爽やかな香りが漂ってきた。
宿の人がここが山椒の里だと言っていたのを思い出す。
そして、夕霧太夫の印の簪が木の芽を象っていたことも。
その簪はいつもは手に握らせていて、身の回りのお世話でそれを使うこともあった。
それは、すぐに塞がりそうになる口の裂け目を開く用だった。
いまも夕霧太夫は口の所をもごもごさせてそれを促している。
あたしは、かたく握った簪を右の手から引き抜くと、口の辺りに開いた小さな空気穴に充てて、薄皮が張った辺りを切り裂いた。
「かは」
という音とともに夕霧太夫の口が開き、口中からするどく尖った歯列が覗いた。
この時はいつも紙を指に巻いてその歯を磨くことにしている。
そうしている間、夕霧太夫は口を大きめに開いてされるがままでいるのだったが、しばらくするとすっと口を閉じてあたしの差し入れた指を優しく舐り、そしてちいさく噛んだ。
痛みが指先に走ったけれど、その指をそのままにしていると、しばらくして指をはなす。
あたしは夕霧太夫の口の中に残った紙を取り除くと、自分の指を布で結わえて止血した。
夕霧太夫のありようが、あたりまえでないことはずっと前から分かっていた。
火災に遭って焼けぼっくいのようになりながら生き続けた事、びっくりするほどの回復力、何も食べないこと、時にこうしてあたしの指から血をすすること。
でも、そのすべてが夕霧太夫だった。そして、それをありのままに受け入れて来たのがこの道行だった。
幾つもの大きな道が交差して、道行く人たちはどの人も裕福そうで、みな瀟洒な格好をしている。
いったいどこからこれだけの人が集まるのか。
そのきらびやかな街の様子はまるで桃源郷に迷い込んだようだった。
その人たちは、夕霧太夫やあたしたちのこと見て驚いたり騒いだりすることはなかった。
道行く人にここは青墓かと聞くと、ここは辻沢という遊里だと言う。
加えて青墓ではないが、青墓はすぐそこだということだった。
何か月ぶりかで宿に泊まることにした。道中に投げられた銭はかなりの額になっていたので銭に不足はなかったけれど、夕霧太夫の様を見た宿の主が嫌がり、粗末な下人部屋に泊まることになった。
その夜は車曳きの3人に銭を持たせ街に出したため、宿では夕霧太夫とあたしの2人になった。
あたしは、様子を見に来た下僕にお湯を張った桶を用意してもらって、板間の上で横になった夕霧太夫の衣を脱がし布で体を拭った。
夕霧太夫の体は、とうに血膿は収まり、引き攣れてはいるけれど皮膚は乾いてつるっとしている。
焼け跡から救いだした時は生きていることが奇跡で、まるで焼けぼっくいに手足がついたかのようだったのによくぞここまでと感心する。
とはいうものの、あんなに美しかった顔の変わり果てた貌を見ていると、自然と涙がこみ上げて来るのだった。
乾いた布で体を拭い終わると、新しく用意した襦袢を着せた。
まめぞう達はいないので、あたしがしとねまで運ばなければならない。
片足の身では持ち上げられないので、申し訳けなかったけれど床の上を転がして移動させた。
あたしはこれでかなり疲れてしまって、しばらくの間、夕霧太夫の傍に横たわったまま外の音を聞いていた。
窓の下の通りの賑わいが聞こえて来る。
阿波の鳴門屋にいたころを思い出し、懐かしくさえ感じたのだった。
風に乗って爽やかな香りが漂ってきた。
宿の人がここが山椒の里だと言っていたのを思い出す。
そして、夕霧太夫の印の簪が木の芽を象っていたことも。
その簪はいつもは手に握らせていて、身の回りのお世話でそれを使うこともあった。
それは、すぐに塞がりそうになる口の裂け目を開く用だった。
いまも夕霧太夫は口の所をもごもごさせてそれを促している。
あたしは、かたく握った簪を右の手から引き抜くと、口の辺りに開いた小さな空気穴に充てて、薄皮が張った辺りを切り裂いた。
「かは」
という音とともに夕霧太夫の口が開き、口中からするどく尖った歯列が覗いた。
この時はいつも紙を指に巻いてその歯を磨くことにしている。
そうしている間、夕霧太夫は口を大きめに開いてされるがままでいるのだったが、しばらくするとすっと口を閉じてあたしの差し入れた指を優しく舐り、そしてちいさく噛んだ。
痛みが指先に走ったけれど、その指をそのままにしていると、しばらくして指をはなす。
あたしは夕霧太夫の口の中に残った紙を取り除くと、自分の指を布で結わえて止血した。
夕霧太夫のありようが、あたりまえでないことはずっと前から分かっていた。
火災に遭って焼けぼっくいのようになりながら生き続けた事、びっくりするほどの回復力、何も食べないこと、時にこうしてあたしの指から血をすすること。
でも、そのすべてが夕霧太夫だった。そして、それをありのままに受け入れて来たのがこの道行だった。