「辻沢日記 36」
文字数 1,878文字
午後からの実測は外面を行う。
日差しも強くなって来て申し訳なかったけど、屋根上の実測はあたしより身軽なユウにお願いした。
スケッチブックに屋根伏図を急いで書いてそれをユウに渡してお願いすると、
「いいよ。高いとこ好きだから」
と一つ返事で引き受けてくれた。一応、測り方も言っておくと、
「檜皮の枚数とか数えてね」
「全部?」
ユウのスケッチブックに書き込みながら、
「こんな風に。どこが何列とか。あと檜皮の縦横も測ってくれると助かる。あ、それはポイントポイントだけでいいから」
「わかったよ。この変態が」
というなり軽くひとジャンプして屋根に飛び乗った。
ユウが屋根上にいてくれるおかげで、社殿の立面を図るのも捗ってありがたかった。
夏の演習を建築実測に決めてから、これこそ一人で実測するときの課題だと思ってたから。
どうやって図るんだろう、コンベックスを下から当てることなんてできないし。
屋根に登ったとしても、正確に測るとなるともう一工夫いりそうだった。それにいちいち登ったり降りてとかしてたらどれだけ時間かかるんだ。
などと悩んでたら、『図集』に竿を用意するとあった。
竿にメジャーを張り付けて図るのだそうだ。
物干しざおのようなものでもよいらしいので、鬼子神社近辺の竹林から枯れ竹でも拾ってこようと思っていた。
ユウがいてくれたおかげでその必要もなくなったのだった。
時々休憩をはさみながらも、上と下との共同作業で予定以上に進んだ。
いつのまにか陽も西に傾き、窪地の底は暗がりが支配し始めていた。
ヒグラシの鳴く声が周囲の木立から聞こえてくる。
あたしがユウのスケッチブックをチェックしていると、
「ミユウさ。あの子知ってる?」
ユウが言った。
「誰?」
「ほれ、あすこの参道のとこでこっち見てる」
ユウが指さした方を見上げてみると、すり鉢の縁の杉並木が切れた所に少女が立っていて、こっちを見下ろしていた。
そんな遠目でなんで少女だってわかったかと言うと、バス停のあの子だったから。
こんなところでパジャマ姿。
「知ってるっていうか。多分ヤバい子」
「だろうね。あんな寒気のする視線向けてれば。で、どうする?」
ここには降りて来れないだろうけど(だからあんなところに立ってるんだろう)、帰りに待ち伏せされたらどうしようもない。
あたしの足で1時間半の山道を逃げ切れるとは思えなかった。
あたしは先に社殿の中に入って、あとからついて来たユウに、
「今晩はここに泊まろうかな」
と言った。
ユウは入口の戸を閉めながら、
「いいよ」
と言ってくれた。
でも、待って。この空腹はどうすれば。
一日動いて夕飯抜きはきつい。
近くにコンビニないし、その前にあの子があそこに居座ってる現状、ここを動く事も出来ない。
お風呂は~?
「食べるものないよね。あたしお昼のおにぎりだけだった。それとシャワーとかないよね」
「食べ物ないよ。でも気にすんな。シャワーは手水鉢の水被ればいいだろ」
そりゃユウはどこでも裸になれる系女子かもしれないけど、あたしは外で裸は嫌だ。
今晩は濡れタオルで我慢するとして、
「お腹すいてないの?」
ユウは結構動くのに昔から小食だった。
「なんとかなるよ」
どうなんとかなるのか詮索するのも馬鹿らしかった。
どうせ社殿の脇に生えてるイチジクでも食べてろって言うんだろうけど、あのイチジクは食べてもカスカスでおしくないんだから。
「そんなに腹減ってるなら、裏のイチジクでも食えば?」
ユウが興味なさげに言った。
「マジで?」
「冗談。あれ虫沸いてる」
「虫?」
ウエーっと舌を出したら、
「食べたのか。相変わらずだな」
そもそもあなたがですよ、徘徊している間ずっと追いかけなくちゃならなくてですよ、夜通し追いかけてたらですよ、お腹すくじゃないですか、そうしたらですよ、何か口に入れたくなりますよね。でも、あなたはどんどん進んで行くからですよ、コンビニとかで買い物できないわけで、そしたら塀の上の柿とか道端のスカンポとかむしり採って食べるしかないじゃないですか。それって全部あなたのせいなわけですよ。それをあなたにとがめられたくはないわけで。
「何むくれてんだ? 食べ物のことなら気にすんなって。ほら来た」
「あの、中に入れてくださらないかしら」
戸の外で声がしたと同時に背中に悪寒が走った。
あの子がここまで侵入して来たのかと一瞬思った。
「あんたは入れるだろ」
ユウがぶっきらぼうに言った。
すると開いた戸から人がスッと入ってきた。
暗い社殿のそこだけ光が射したように明るくなった。
「では、お邪魔いたします」
声の主は夜野まひるだった。
日差しも強くなって来て申し訳なかったけど、屋根上の実測はあたしより身軽なユウにお願いした。
スケッチブックに屋根伏図を急いで書いてそれをユウに渡してお願いすると、
「いいよ。高いとこ好きだから」
と一つ返事で引き受けてくれた。一応、測り方も言っておくと、
「檜皮の枚数とか数えてね」
「全部?」
ユウのスケッチブックに書き込みながら、
「こんな風に。どこが何列とか。あと檜皮の縦横も測ってくれると助かる。あ、それはポイントポイントだけでいいから」
「わかったよ。この変態が」
というなり軽くひとジャンプして屋根に飛び乗った。
ユウが屋根上にいてくれるおかげで、社殿の立面を図るのも捗ってありがたかった。
夏の演習を建築実測に決めてから、これこそ一人で実測するときの課題だと思ってたから。
どうやって図るんだろう、コンベックスを下から当てることなんてできないし。
屋根に登ったとしても、正確に測るとなるともう一工夫いりそうだった。それにいちいち登ったり降りてとかしてたらどれだけ時間かかるんだ。
などと悩んでたら、『図集』に竿を用意するとあった。
竿にメジャーを張り付けて図るのだそうだ。
物干しざおのようなものでもよいらしいので、鬼子神社近辺の竹林から枯れ竹でも拾ってこようと思っていた。
ユウがいてくれたおかげでその必要もなくなったのだった。
時々休憩をはさみながらも、上と下との共同作業で予定以上に進んだ。
いつのまにか陽も西に傾き、窪地の底は暗がりが支配し始めていた。
ヒグラシの鳴く声が周囲の木立から聞こえてくる。
あたしがユウのスケッチブックをチェックしていると、
「ミユウさ。あの子知ってる?」
ユウが言った。
「誰?」
「ほれ、あすこの参道のとこでこっち見てる」
ユウが指さした方を見上げてみると、すり鉢の縁の杉並木が切れた所に少女が立っていて、こっちを見下ろしていた。
そんな遠目でなんで少女だってわかったかと言うと、バス停のあの子だったから。
こんなところでパジャマ姿。
「知ってるっていうか。多分ヤバい子」
「だろうね。あんな寒気のする視線向けてれば。で、どうする?」
ここには降りて来れないだろうけど(だからあんなところに立ってるんだろう)、帰りに待ち伏せされたらどうしようもない。
あたしの足で1時間半の山道を逃げ切れるとは思えなかった。
あたしは先に社殿の中に入って、あとからついて来たユウに、
「今晩はここに泊まろうかな」
と言った。
ユウは入口の戸を閉めながら、
「いいよ」
と言ってくれた。
でも、待って。この空腹はどうすれば。
一日動いて夕飯抜きはきつい。
近くにコンビニないし、その前にあの子があそこに居座ってる現状、ここを動く事も出来ない。
お風呂は~?
「食べるものないよね。あたしお昼のおにぎりだけだった。それとシャワーとかないよね」
「食べ物ないよ。でも気にすんな。シャワーは手水鉢の水被ればいいだろ」
そりゃユウはどこでも裸になれる系女子かもしれないけど、あたしは外で裸は嫌だ。
今晩は濡れタオルで我慢するとして、
「お腹すいてないの?」
ユウは結構動くのに昔から小食だった。
「なんとかなるよ」
どうなんとかなるのか詮索するのも馬鹿らしかった。
どうせ社殿の脇に生えてるイチジクでも食べてろって言うんだろうけど、あのイチジクは食べてもカスカスでおしくないんだから。
「そんなに腹減ってるなら、裏のイチジクでも食えば?」
ユウが興味なさげに言った。
「マジで?」
「冗談。あれ虫沸いてる」
「虫?」
ウエーっと舌を出したら、
「食べたのか。相変わらずだな」
そもそもあなたがですよ、徘徊している間ずっと追いかけなくちゃならなくてですよ、夜通し追いかけてたらですよ、お腹すくじゃないですか、そうしたらですよ、何か口に入れたくなりますよね。でも、あなたはどんどん進んで行くからですよ、コンビニとかで買い物できないわけで、そしたら塀の上の柿とか道端のスカンポとかむしり採って食べるしかないじゃないですか。それって全部あなたのせいなわけですよ。それをあなたにとがめられたくはないわけで。
「何むくれてんだ? 食べ物のことなら気にすんなって。ほら来た」
「あの、中に入れてくださらないかしら」
戸の外で声がしたと同時に背中に悪寒が走った。
あの子がここまで侵入して来たのかと一瞬思った。
「あんたは入れるだろ」
ユウがぶっきらぼうに言った。
すると開いた戸から人がスッと入ってきた。
暗い社殿のそこだけ光が射したように明るくなった。
「では、お邪魔いたします」
声の主は夜野まひるだった。