「書かれた辻沢 3」

文字数 2,112文字

 なんであたしは床の上に寝ころんでるんだろ。しかも裸で。

たしかクロエの行動記録を野帳から写し終わって、シャワーを浴びたはずだったのに。

悪寒がひどい。本格的に風邪をひいたみたいだ。

どんどん。

ってドアをノックされても、出られないよ。

「はーい」

 一応返事はしてみるけど、声ならぬ声。
 
どんどん。
 
まただ。管理人さんかな。

ゴミ出しには気を付けてるけどな。

たしか月金が燃えるゴミの日、木曜が燃えないゴミの日でプラスチックゴミはお持ち帰りくださいだっけ。

というか、寒い。震える。

 ドアを蹴破って誰か入ってきた。

ちょっと待って、あたし裸だよ。

「ミユキ。しっかり!」

 なんでクロエがここに?

だけどクロエはミユキって呼ばないよな。

 もう一人の人があたしの首筋に触れて、

「傷はなさそうですが」

 と言った後、お姫様だっこしれくれた。

すっごく恥ずかしいけど、あなたとならって思うくらい綺麗な人。

まるで夢のようだ。なんだかあたしが記憶の閾にいるみたい。

気が遠くなってきた。おやすみなさい。

 

 薬指から伸びた赤い糸が気になって仕方なかった。

あたしはこれまでずっとこの赤い糸だけは読むことができないでいた。

何度も指先で触れてみたけれど糸は何も語ってはくれなかった。

ふと、手繰り寄せたらどうだろうと思いつく。

それは、いままで一度も試したことがなかったことだ。

やってはいけないことのような気がしたから。

でも、その時はそれをした。

一回引くと手ごたえがあった。

二回引くともっと手ごたえがあった。

あたしは、夢中で手繰り寄せた。

何回も何回も。

遠くにいるという半身の君を引き寄せるために、限りなくそれを繰り返した。

糸の先で半身の君が引っ張られているのを想像して胸が熱くなってきた。

ところが突然、糸の先に反発が感じられなくなった。

急に手ごたえがなくなったのだ。

しまった引っ張りすぎたかと思った。

もしかしたら向こうの糸が抜けてしまった?

でもこれで止めるわけにはいかない。

あたしは焦る気持ちで最後まで糸を手繰り寄せた。

赤い糸の終わりが近づいてきた。

もうそこに半身の君は繋がれていなかった。

するすると糸口があたしの足元に来た。

そこに何かが付いていた。

糸を持ち上げてみる。

それは指だった。

切断面が真っ赤な肉色をしていた。



 目を開けると、ベッドの端にさっきの綺麗な人が腰かけて、あたしのことを見下ろしていた。

「夜野まひるといいます。ご気分はいかがですか?」

「頭が重いです。それと……」

 と言いかけると、夜野まひると名乗った人はサイドテーブルのコップを取ってあたしの頭をささえると、それを口に充ててくれた。

その甘くてなんだか不思議な味のする飲み物で喉を潤してから、あたしは、

「喉が渇きました」

 と半歩遅れで言ってしまったのだった。

そういえばクロエがいたはずだが……。

すると夜野まひるさんが、

「シャワーしていらっしゃいますよ」

 と言う。

シャワー? クロエが?。

 あたしの意識がまだ薄ぼんやりとしているせいで会話がへんだ。

「クロエですか?」

 と聞くと、

「クロエ様と言う方は存じ上げませんが、ユウ様ならシャワー室にいらっしゃいますよ」

 と言った。

そうか。あれはユウさんだったんだ。どうりでミユキなわけだ。

あらためて、クロエとユウさんが激似なことを思い知る。

 ということは、扉を蹴破って入ってきたのはユウさんと夜野まひるさんで、床の上に全裸で倒れていたあたしを助けてくれたということか。

体に掛かったタオルケットの中を覗いてみる。

タンクトップとショーツを着させてもらっていた。

その時の様子を想像して顔が熱くなる。

 部屋の奥からシャワー室のドアが開く音がした。

あたしが寝ているベッドからは見えないので、足音が近づいて来るのを待つ。

「ミユキ。起きたか?」

 ベッドの横に引き締まった腹筋が現れた。

見上げるとユウさんで、まっ裸だった。

ユウさんはそんなことお構いなしで、バスタオルで頭を拭きながら、

「こいつの牛乳飲んだか? クソまずいだろ。でも、すぐ回復するからな」

と言ったのだった。

「あの、着るものは?」

 目のやりどころに困って言うと、ユウさんが自分の体を見返して、

「あ、忘れてた」

 とまたシャワー室に戻って行った。

 少ししてあたしのスエット上下を着ながらユウさんが再び現れた。

そして急くように、

「読んでもらいたい場所があるんだ」

 と言った。

ユウさんは、あたしが場所の記憶を読むことをミユウから聞いて知っているのだろう。

それで、わざわざここに尋ねて来たということらしかった。

そう言えばミユウは? 今回の潮時はユウさんと一緒のはずだけど、いないの?

 ユウさんは椅子の背に掛かっていた汚れたパーカーを取ると、そのポケットをまさぐり出した。

「あった、これなんだけど」

 と何かを取り出そうとしたところ、夜野まひるさんがそれを手で制して、

「説明を先にして差し上げたほうが」

 と言った。

 ユウさんは一旦出しかけた手を止めて話し出した。

「実はミユウがいなくなったんだ。これを残して」

 と言って差し出したのは、夢で見たあの指だった。

心の中の何かがはじけた。

あたしはそのまま漆黒の暗闇の中に吸い込まれて行ったのだった。
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