「書かれた辻沢 125」

文字数 2,237文字

 ミユウは上向きで水面すれすれに浮いたまま、あたしたちを待っていた。

「移動しよう」

 ユウさんは、ミユウの体に付いた5本の赤い糸を引いて岸辺近くまで運んでゆく。

足が立つところまで来ると、みんなに向かって、

「始めようか」

 と言ってから、ミユウの脇に立った。そしてミユウの顔を見つめてから、

「ミユウ、水につけるよ」

 と言って体の下に両腕を差し入れた。するとミユウの体はそれを理解したかのように、すとんと落ちてユウさんの腕に収まったのだった。

 ユウさんはミユウを水に浸して浮かせると、首のところに腕を回し、もう片方の手で池の水をかけてゆく。

 胸のあたりに水をかけると土気色の肌がだんだんと赤みをさしてゆくのが分かる。

アレクセイが付けた首の牙の跡も拭い去ったようにきれいになくなってゆく。

長い間地下道を彷徨ってぼろぼろになったカレー☆パンマンのパーカーも、新品のような鮮やかな黄色に戻って行った。

 あたしは固唾を飲んでそれを見守るだけなのに、なんだか涙が出てきて止まらなくなった。

どうやらクロエもそうで、鼻をすすり上げている。

 ユウさんはミユウの体を清め終わると、今度はミユウの顔に水を掛け始めた。

 最初に突き出た銀色の牙がなくなり、牙のせいで穴の開いた唇がもとにもどり、じっと中空をにらみつけていた金色の眼も、粘り強くて優しいあのミユウの瞳に戻ってから瞼を閉じたのだった。

 しかし、ミユウはまだ呼吸をしていない。

「ミユウ。わかるか? 息をしろ」

 ユウさんが語り掛ける。

「ミユウ様、息をして下さい」

「ミヤミユ。生き返って」

「ミユウ。みんなで会いに来たんだよ」

「……」

 アレクセイは遠慮したのか少し離れたところにいて、それでも心配そうにこちらを見ていた。

「ミユウ、しっかり」

 ユウさんがミユウの頬をぴしゃぴしゃと叩きながら呼びかける。あたしたちも必死でミユウの名前を呼び続けた。それでもミユウは息を吹き返さない。

「ミユウ。頼む息をしてくれ」

 何度かそれを繰り返していたらミユウが突然反身になった。

みんなは変化を期待したけれどミユウはすぐに元の状態に戻って動かなくなった。

「息をしろ、ミユウ」

 さらにユウさんが頬を叩こうとすると、その手をミユウの手が掴んで遮った。

「ユウ。痛いよ」

 とミユウは吐息を吐くように言うと、あらん限りの深呼吸をしたのだった。

「「「「ミユウ」」」」

 みんながミユウにすがりつく。

 ミユウは瞼を開けた。そして、みんなの顔をゆっくりと見回してから、

「ありがとう。来てくれたんだね」

 と言ったのだった。

 ミユウがユウさんを見た。ミユウはそのままの態勢で腕ををユウさんの首に回すと強く抱き合ったのだった。

永遠と思えるような長い長い抱擁が、二人のエニシの強さを物語っていた。

二人の目に涙が光っている。つられてまひるさんも泣いていたし、あたしはもちろんクロエも、アレクセイまで泣いていたのだった。

 抱擁をとくと、今度はユウさんがミユウの右手を取った。

そしてパーカーのポケットから何かを取り出すと、それをミユウの掌にあてた。

「それ抑えてて」

 と言うと、もう一つ取り出して自分の左の掌に充てた。

それは二人が嚙みちぎった薬指だった。エニシの赤い糸が付いた二人の薬指だ。

「痛い?」

 ユウさんがミユウに聞くと、

「ううん。全然」

「水に浸したらくっつくんじゃないかと」

 ユウさんが照れくさそうに言った。

「ほんとだ。くっついて来た」

 ミユウが楽しそうに答える。

 これってどこかで見たシチュだなと思っていると、クロエが面白そうに、

「結婚式の指輪交換みたい」

 と言った。

 そうそう。あたしもそれが言いたかったのよ。



 岸に上がろうとしたら、アレクセイが水の中から出て来ようとしなかった。

「何してる?」

 とユウさんが聞くと、アレクセイは、

「用済みになったな」

 とひねくれ顔で言った。

「いいから水から揚がれ」

「殺すのか?」

「なわけ。お前は十分ボクたちを助けてくれた」

 とユウさんは呆れ気味の様子。

「そもそも、利用しようと連れてきたんじゃない」

「じゃあ、なぜ」

「家族だからだよ」

「僕になんの資格があって家族になんか?」

 アレクセイは憮然としている。

 そのときミユウが、

「あの子は?」

 とあたしに聞いたので、

「パジャマの少女だよ。ミユウを屍人にした。今は少年だけど」

 と教えてあげた。

 するとミユウは、ユウさんの横顔をじっと見つめた後、アレクセイに向き直ると言った。

「それは君がひとりぼっちだからだよ」

 アレクセイはミユウに対して、

「僕がひとりぼっちのはずないじゃないか。ずっと一族を率いてきたのに」

 と反論した。ミユウはそれでも、

「いいえ。君はずっと寂しそうだった。バス停で会ったときも、鬼子神社であたしたちを見ていたときも、雄蛇ガ池であたしにつきまとったときも。ずっと一人だった。ユウはそんなぼっちを放っておけないんだよ。ユウもずっと一人だったから。一人でエニシに抗って生きてきたから」

「そういうこと。一人ぼっち。それが家族の資格」

 まひるさんはアレクセイが立っている水の中に行って、

「あたしたちはみんな一人です。だから強い絆で繋がれるのです」

 とアレクセイの手を取った。

ミユウのまっすぐな表情を見て、ぼっちのエニシにとって遺恨や復讐なんてなんの意味も無いことだと改めて思った。

 まひるさんに手を引かれて岸に上がったアレクセイは、泣くまいとしているようだったが、そんなの我慢できるはずなどないのだった。
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