「辻沢ノーツ 4」

文字数 1,347文字

 寒いし、うるさいし、おしり痛い。

なんなのこの車。運転席の前に一枚板がついてるだけで覆いがないトラックって。
ねぼけたコアラみたいとか言ってる場合じゃなかった。

ドアまでなくてパイプの手すりだけって、落ちるでしょ、いつか。これでちゃんと目的地に着けるの? 

この吹きさらしじゃその前に凍死するよ。ミヤミユは助手席で寒そうにしてるし、隣のサキったらクチビル紫色にして震えながらスマホしてる。

 出発前、鞠野先生に6月だって言ってもまだ気温は低めだから、幌なしですか? て聞いたら、このホンダ・バモスTN360型は強力なヒーター付いてるから大丈夫って。

けど、もう無理。耐えらんない。

それにちゃんとした格好して来てねって言われたから、みんな入学式以来の薄い春用スーツだし。悪目立ちしてないか? あたしたち。

「先生。やっぱ寒いです」

声も風圧で飛んでいきそう。

「あー、そうか。後ろは風が直に来るから寒かったか。次のコンビニで幌かけるよ」

 あたしたちは鞠野先生の提案を受けて、3人一緒に調査に行くことになった。

3人になったのはサキが結局決まらなくて、あたしたちに便乗ってことになったから。

フィールドは辻沢。例のヴァンパイア祭の町。

 これからインフォーマー=調査協力者にご挨拶ついでに事前調査ってところ。

最初は一緒に行ってあげるからって、鞠野先生のバモスくんに乗せてもらってるけど、あたしらは完全にドナドナ気分。


 
 コンビニに着いたら、こんな時期におでんが売ってて、鞠野先生が珍しーねーって言って買ってくれた。

イートインで食べながら待っていると、幌を掛け終えて鞠野先生が店に入って来て、あたしの隣の席に腰かけた。

「不安かい?」

実際不安しかない。最初は誰でも不安、フィールドに入ったら案外何とかなるっていうのなら、ゼミの歓送会で先輩からさんざん聞かされてますけど。

「分かるよ。僕もそうだった」

「先生が?」

「ああ、僕も最初はフィールドが決められなくってね。同期のヤツと一緒にフィールドに入った口さ」

「同期の方とですか?」

「四宮浩太郎っていう」

あ、その名前知ってる。

基本文献の『辻沢ノート』書いた人。

先生の最初のフィールドって、

「辻沢だよ。初めは辻沢なんて知らなくて、指導教官に半ば強制的に連れてゆかれた。入ったはいいけど、初めのうちは何から手を付けたらいいかまったく分からなかったよね。見えないって言うのかな。そんな感じだった」

そうなんだ。

その時の鞠野先生のメンタルが今のあたしと同じだったとは思えないけど、なんかほっとする。

「今日お会いするのはその時僕たちがお世話になった方なんだよ。だから心配しなくていい。とてもよくしてくれる」

その方というのは辻沢女子高等学校の教頭先生で、郷土史家でもあって、『辻沢ノート』の歴史のパートはこの方の協力があったのだそう。

 それを聞いて、あたしは『辻沢ノート』の「辻沢は江戸の初期から遊里として栄え、多くの遊女、芸妓らの記憶を刻んできた土地である」という一節を思い出した。

あたしは遊里のことは全然知らなかったけど、報告はとても興味深かく読んだ。

だって、「あなたの御先祖様には遊女さんがいるのよ」って、おばあちゃんが教えてくれたことがあったから。

去年の11月に亡くなったおばあちゃんが。
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