「書かれた辻沢 60」
文字数 2,134文字
外階段を上り9階で館内へ。
非常扉は鍵が壊れていて簡単に中に入れたのだった。
赤い絨毯の廊下を行き、ミユウの905号室の扉の前に立つ。
中にクロエがいると思うとノックの手が止まってしまった。
あたしは初めて鬼子使いとしてクロエに会う。
それをきっとクロエは待っている。
クロエは何て言うだろう。あたしを半身と認めてくれるかな。
カレー☆パンマンのパーカーを着て来たのはちょっとばつが悪いな。
物音がした。耳を当てようと扉に手を掛けたら中に向かって少し動いた。
そのまま扉を押して一歩入ってみる。
部屋の中は夕陽が差し込んで壁が真っ赤に染まっていた。
ベッドの脇に黄色いパーカーの背中が見えた。
その向こうに白いパーカーのクロエが立っていた。
一瞬めまいがした。
「クロエ、あたしたち友だちだよね?」
それは地の底からのような恐ろしい響きだったが、ミユウの声に違いなかった。
クロエがあたしを待っていたように、屍人のミユウはここでクロエを待っていたのだ。
声を掛けられたクロエは焦点の定まらない目でミユウを見ていた。
「クロエ。返事をしてくれないの?」
クロエがミユウに一歩近づいた。
クロエが口をもごもごさせている。
返事をするつもりなのかもしれない。
屍人は返事をすると襲ってくる。クロエもそれを知らないのだ。
「返事しちゃダメ!」
あたしは思わず叫んでいた。
屍人のミユウがこっちを振り向くと、身の毛もよだつような咆哮を上げた。
ミユウが金色の瞳であたしをねめつける。
皮膚を突き破って飛び出す上下4本の銀牙、口から血泡を吹いているのはこの間と同じだ。
「クロエ逃げて!」
クロエはもう一人ミユウが突然現れたことに驚いた様子だ。
とにかくクロエをミユウから遠ざけなければ。あたしはミユウに向かって体当たりを敢行した。
めっちゃ固い。
はね飛ばせるかと思ったけれど、ミユウはその場に蹲っただけだった。
逆にあたしは反動ではじかれ、壁に叩きつけられた。
ミユウはゆっくりと立ち上がって近づいて来る。
そして銀牙の並んだ口を大きく開けると再び叫び声を上げた。
生臭い息が鼻を刺激する。
あたしはそれにひるまず、ミユウに向かって、
「見なさい! あたしがミユウ。あたしがミユウ」
と叫び返す。この間はこれでひるんだった。
するとミユウは長く伸びた爪で頭をかきむしりながら反対側の壁に突っ伏した。
そして体を壁にこすりつけながら部屋の奥へと移動していく。
その懊悩が壁に染みついて赤黒い跡を残す。
ミユウが苦しむのを見るのは辛かったが、今はクロエを助けなければならない。
さらに追い打ちを掛ける。
「あたしがミユウ。あたしがミユウ。あなたはシビト!」
その言葉で部屋の隅に追い詰められたミユウは行き所がなくなって蹲ってしまった。
あたしはそれを見て、
「行くよ」
とクロエを急かして部屋の外に出た。
廊下を外階段に向かう途中、背後の部屋の中から悲壮な叫び声が聞こえてきた。
きっとミユウは悲しいのだ。
情念に駆られてクロエやユウさんを探して彷徨い、挙げ句は訳も分からず追い立てられる。
酷い仕打ちだと思う。
必ず探し出してけちんぼ池に連れて行くから。
あたしはそう念じて下で待つバモスくんの所に向かったのだった。
コテージに戻ってから、鞠野先生が入れてくれたホット・ココアをすすりながら話をした。
連れ帰った直後のクロエは疑心暗鬼の塊だった。
無理もないこと。
ミユウがいないことを半月以上も隠した上にずっとなりすましていたのだから。
「鬼子使い?」
クロエが聞いてきた。
「鬼子のお世話する人」
そう言うとクロエはすぐに得心したようで、
「じゃあ、あたしが飲んだくれたのを家に連れ帰ってくれたのも?」
「そう」
クロエは下を向いたまましばらく黙っていた。
それを友情と思っていたクロエが裏切られたと思うのは仕方ないことだ。
しばらくしてクロエが顔を上げると、改まった感じで
「ありがとう。これまで大変だったね」
と言った。
「全然だよ。あたしはクロエの鬼子使いで良かったって思ってるんだよ」
それは本当の気持ちだった。
一度だってクロエのお世話が面倒くさいとか嫌だとか思ったことはなかった。
義務とか使命とかを超えてあたしはクロエのお世話がしたかった。
それをうまく伝えたいけれどありきたりの言葉しか思いつかなかった。
あたしがそれ以上言葉が継げないでいると、クロエがあたしに向かって言った。
「ずっとね。お礼が言いたかったんだ。そうか、鬼子使いか。おばあちゃんはダメだったけど、フジミユには言えて良かったよ」
まるでこれが最後みたいな言い方だった。
「あたしたちはずっとこのままなんだよ」
鬼子と鬼子使いは互いが死んでもずっと一緒だ。
「ひょっとして、これのせい?」
クロエが左手を挙げてぶらぶらさせた。
その薬指に赤い糸が結ばれて床に垂れていた。
あたしもクロエに倣って右手を挙げてみる。
するとあたしの糸はいつも以上に真っ赤な色をして床に垂れていたが、やがてするすると短くなってゆき、最後はクロエの薬指とあたしの薬指の間でピンと張り詰めたのだった。
「エニシの糸だよ。絶対切れない」
「ふーん」
と言うと、張り詰めた赤い糸にもう一方の掌を持っていってひらひらさせたのだった。
非常扉は鍵が壊れていて簡単に中に入れたのだった。
赤い絨毯の廊下を行き、ミユウの905号室の扉の前に立つ。
中にクロエがいると思うとノックの手が止まってしまった。
あたしは初めて鬼子使いとしてクロエに会う。
それをきっとクロエは待っている。
クロエは何て言うだろう。あたしを半身と認めてくれるかな。
カレー☆パンマンのパーカーを着て来たのはちょっとばつが悪いな。
物音がした。耳を当てようと扉に手を掛けたら中に向かって少し動いた。
そのまま扉を押して一歩入ってみる。
部屋の中は夕陽が差し込んで壁が真っ赤に染まっていた。
ベッドの脇に黄色いパーカーの背中が見えた。
その向こうに白いパーカーのクロエが立っていた。
一瞬めまいがした。
「クロエ、あたしたち友だちだよね?」
それは地の底からのような恐ろしい響きだったが、ミユウの声に違いなかった。
クロエがあたしを待っていたように、屍人のミユウはここでクロエを待っていたのだ。
声を掛けられたクロエは焦点の定まらない目でミユウを見ていた。
「クロエ。返事をしてくれないの?」
クロエがミユウに一歩近づいた。
クロエが口をもごもごさせている。
返事をするつもりなのかもしれない。
屍人は返事をすると襲ってくる。クロエもそれを知らないのだ。
「返事しちゃダメ!」
あたしは思わず叫んでいた。
屍人のミユウがこっちを振り向くと、身の毛もよだつような咆哮を上げた。
ミユウが金色の瞳であたしをねめつける。
皮膚を突き破って飛び出す上下4本の銀牙、口から血泡を吹いているのはこの間と同じだ。
「クロエ逃げて!」
クロエはもう一人ミユウが突然現れたことに驚いた様子だ。
とにかくクロエをミユウから遠ざけなければ。あたしはミユウに向かって体当たりを敢行した。
めっちゃ固い。
はね飛ばせるかと思ったけれど、ミユウはその場に蹲っただけだった。
逆にあたしは反動ではじかれ、壁に叩きつけられた。
ミユウはゆっくりと立ち上がって近づいて来る。
そして銀牙の並んだ口を大きく開けると再び叫び声を上げた。
生臭い息が鼻を刺激する。
あたしはそれにひるまず、ミユウに向かって、
「見なさい! あたしがミユウ。あたしがミユウ」
と叫び返す。この間はこれでひるんだった。
するとミユウは長く伸びた爪で頭をかきむしりながら反対側の壁に突っ伏した。
そして体を壁にこすりつけながら部屋の奥へと移動していく。
その懊悩が壁に染みついて赤黒い跡を残す。
ミユウが苦しむのを見るのは辛かったが、今はクロエを助けなければならない。
さらに追い打ちを掛ける。
「あたしがミユウ。あたしがミユウ。あなたはシビト!」
その言葉で部屋の隅に追い詰められたミユウは行き所がなくなって蹲ってしまった。
あたしはそれを見て、
「行くよ」
とクロエを急かして部屋の外に出た。
廊下を外階段に向かう途中、背後の部屋の中から悲壮な叫び声が聞こえてきた。
きっとミユウは悲しいのだ。
情念に駆られてクロエやユウさんを探して彷徨い、挙げ句は訳も分からず追い立てられる。
酷い仕打ちだと思う。
必ず探し出してけちんぼ池に連れて行くから。
あたしはそう念じて下で待つバモスくんの所に向かったのだった。
コテージに戻ってから、鞠野先生が入れてくれたホット・ココアをすすりながら話をした。
連れ帰った直後のクロエは疑心暗鬼の塊だった。
無理もないこと。
ミユウがいないことを半月以上も隠した上にずっとなりすましていたのだから。
「鬼子使い?」
クロエが聞いてきた。
「鬼子のお世話する人」
そう言うとクロエはすぐに得心したようで、
「じゃあ、あたしが飲んだくれたのを家に連れ帰ってくれたのも?」
「そう」
クロエは下を向いたまましばらく黙っていた。
それを友情と思っていたクロエが裏切られたと思うのは仕方ないことだ。
しばらくしてクロエが顔を上げると、改まった感じで
「ありがとう。これまで大変だったね」
と言った。
「全然だよ。あたしはクロエの鬼子使いで良かったって思ってるんだよ」
それは本当の気持ちだった。
一度だってクロエのお世話が面倒くさいとか嫌だとか思ったことはなかった。
義務とか使命とかを超えてあたしはクロエのお世話がしたかった。
それをうまく伝えたいけれどありきたりの言葉しか思いつかなかった。
あたしがそれ以上言葉が継げないでいると、クロエがあたしに向かって言った。
「ずっとね。お礼が言いたかったんだ。そうか、鬼子使いか。おばあちゃんはダメだったけど、フジミユには言えて良かったよ」
まるでこれが最後みたいな言い方だった。
「あたしたちはずっとこのままなんだよ」
鬼子と鬼子使いは互いが死んでもずっと一緒だ。
「ひょっとして、これのせい?」
クロエが左手を挙げてぶらぶらさせた。
その薬指に赤い糸が結ばれて床に垂れていた。
あたしもクロエに倣って右手を挙げてみる。
するとあたしの糸はいつも以上に真っ赤な色をして床に垂れていたが、やがてするすると短くなってゆき、最後はクロエの薬指とあたしの薬指の間でピンと張り詰めたのだった。
「エニシの糸だよ。絶対切れない」
「ふーん」
と言うと、張り詰めた赤い糸にもう一方の掌を持っていってひらひらさせたのだった。