「辻沢ノーツ 55」

文字数 1,354文字

【鬼子】
「牙が生えた赤子を鬼子という。その子は成長すると親を食い殺すと言われ、生まれてすぐ山奥や道辻に捨てられる。そのまま死ぬか、人に拾われ遊行の宿命を負う」

ネットで調べたらこんな感じだった。

でもどの文献も読み方が「おにご」って濁るから、あたしが調べたいのとは違うのかもしれない。

Nさんの話の中で夕霧太夫も「おにこ」って清んで言ってたし。

四ツ辻のバスのアナウンスでも、「わがちをふふめおにこらや」だった。

いま目の前にある遊女宮木野像のこのレリーフも「おにこ」だ。

 町役場は夜間窓口があって夜の間も開いてると思って見に来ちゃった。

宮木野さんの像は鬼子のこと当然知ってるだろうけど、目をつむったままで何も教えてくれない。

「フィールドワーカーさん?」

顔を上げると、スーツ姿の女の人が立っていた。

ガラスの天井から射す月の光に顔が青白く浮き上がっている。

町長室秘書のエリさんだった。

「こんばんは。ごぶさたしていました」

「何かご用でしたか?」

笑顔の中で、小ぶりだが真っ赤な唇が際立って見える。

「この像を見に来たんです」

「それはわざわざ。お疲れ様です」

それにしても、きれいな人。

ゴリゴリカードのあのモデルはエリさんだよ。絶対。

「上で、お菓子でもでいかがです?」

展望エレベーターに乗って最上階まで。秘書室にでも連れて行ってもらえるのかと思ったら、

「町長室、入ってもいいんですか?」

「ご遠慮なさらずどうぞ。町長は外出中ですから」

「夜もご公務ですか?」

「ええ。リソースが不足だとかで、飛んで出かけました」

町役場で不足しているリソースって何?

 エリさんがお茶とお菓子をお盆に乗せて持って来てくれた。

紅茶に銀座吉岡屋のマカロン。

あたしこれ前から食べてみたかった。

「調査はいかがですか?」

「しばらくは順調だったんですけど、今行き詰ってまして」

何を言っちゃってんだろう、あたし。

「お手伝いできることがあれば何なりと」

社交辞令だと分かってるけど、迷惑承知であのことだけ、

「鬼子について調べてるんですが、よく分からなくて」

「鬼子ですか? 私もよくは存じませんが」

急に言われても困りますよね。

「四ツ辻は行かれましたか?」

「はい。何度も」

遊女の時といい、あたしは四ツ辻を推されまくるんだな。

「そうですか? では、オニコ神社へも?」

「オニコ神社? 四ツ辻神社のことですか?」

四ツ辻であたしが知ってる神社は一つしかない。

初日にKさんの案内で四ツ辻を見て回った時に参拝した村はずれの小さな神社。

「いいえ、四ツ辻から山に入ったところにあったはずですが。奥宮ともいったかと」

知らなかった。

そういえば、四ツ辻内は一通り回ったけど、山の中までは行ってみてなかった。

 いろいろ辻沢のことを話して、そろそろと言って促されて町長室を出た。

別れ際展望エレベーターのところまで送っていただいた。

「それでは、お気をつけて」

「ありがとうございました」

(ゴリゴリーン)

それにしてもエリさん忙しいんだな。いつ家に帰るんだろう。

ロビーに下りると、しんと静まり返ってて不気味だった。

遊女宮木野像の傍を通るとき、突然バッと起き上がったらなんて想像して一人でゾッとしてしまった。

夜間窓口に女の人いる。

こんな時間に一人で怖くないのかな。

あ、手振ってくれた。

「オツカレサマでーす」(小声)
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