「書かれた辻沢 7」

文字数 1,639文字

 鞠野先生の到着ですこし拍子抜けしてしまった。

 あたしはユウさんと夜野まひるさんにもう一度お願いして手を繋いでもらった。

「僕はここで見てるから」

 と鞠野先生が言う。

他に何か出来るわけもないのにと思いつつ、そういうところが鞠野先生らしくもあるので、

「そうして下さい」

 と答えておく。

 ユウさんと夜野まひるさんの掌を感じながら、お二人を見返して、

「読みます」

 と言ってからミユウの記憶の糸に顔を近づけた。

 すると、記憶の糸はあたしに気付いたかのように糸口をこちらに向けて来た。

それは、ミユウが寮のキッチンでおはようと言ってあたしに体をすり寄せて来るのを思い起こさせた。

そこにミユウの意志が宿っているようにあたしには感られたのだった。

 糸の先を口に含んでみる。

記憶の糸を口で読むなど初めてで、それがどんなものか、やっていいものなのかも知らなかった。

やってみると、案外薬指での場合と変わらず読めそうで驚いた。

ただ、舌に触れれば味はするわけで、紫子さんが言っていた地獄染めとは血染めのことという意味がよく分かった。

 ミユウの記憶の糸を読みつくすために、まずはその端緒を捕まえなければいけない。

途中から読み出すことも可能だが、それだと最後まで読み切ることが出来ずに途中ではじき出されてしまう。

普段ならそこまで端緒を明確にはしない。

それは記憶に絡み取られないよう、あたしの心身と物語との距離を保つためでもある。

でも今回に限ってそれではダメだ。

なぜならミユウの記憶の糸の終端、つまりミユウの最後こそが読むべきことだからだ。

 この記憶の糸はミユウらしさがあって、なかなか本編を見せてはくれなかった。

うわべの物語はあっちから来てここで立ち止まったんだよと言っていた。

しかし何であっちから来たのか、何でここで立ち止まったのか理由は語ってはいなかった。

何かを守って頑なに口を閉ざしているようでもあった。

 あっちから来たというほうに意識を向けてみる。

コンビニの近くまでそれは繋がっていた。

そこに記憶の糸がそこで意味づけられたとおぼしい場所があった。

視覚でいうと、ぼわっと明るくなっている感じだ。

その明かりがどうやら端緒のようだった。明かりの中に踏み込んでみる。

すると一気に視界が開けた気がした。

そこは明らかにうわべの次元とは違う空間だったのだ。

 ミユウとユウさんが一緒にいるのが見えた。

ユウさんがなぜだかカレー☆パンマンのパーカーをミユウに手渡していた。

何か変だと思ってもう一度よく読んでみると、それはユウさんではなかった。

「クロエがいる」

あたしと潮時を一緒にしたはずのクロエだ。

どういうことだろう?

時間ははっきりしないが周りの感じからすると夜明けころだ。

だとすればクロエは意識の閾にいてあたしと調邸に向かっていた頃のはずだ。

鬼子は意識の閾にいるときは体と心が遊離しているという。

その心のほうが別所で実体化した。そんなことがあるのだろうか?

 しかし、そのもやもやは直に溶けた。

ミユウ自身がそのクロエに疑念を持ち始めていたからだ。

それはそうだろう。

けちんぼ池を

池と言い間違えたり、カレー☆パンマンのパーカーに商品タグ付いたままだったり。

ミユウでなくてもクロエではないと容易に気付く。

ならばこれはいったい何者なのだ。

この者がミユウに何かしたのだろうか。

 三叉路に行き当たった。

三叉路の前でミユウは何かを決意していた。

そして一方の道に、大きな心残りを置いて違う道に踏み出していた。

ミユウの心にユウさんの笑顔が映っていた。

 そこからのミユウの歩みは、ひたすら前を向いて後ろを振り返ることはしなかった。

背後にひたひたと付き従うのはクロエのふりをした何か。

ミユウは無言のまま先へ先へと歩を進めていたのだった。

 ミユキの視線の先に、大曲大橋が見えた。

それはちょうどあたしやユウさん、夜野まひるさんがいるこの場所だ。

ミユウは立ち止まり、クロエだった者が本性を現した。

パジャマを着たその少女を、あたしは知っていた。
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