「夕霧物語」夕霧塚の塚荒らし

文字数 1,876文字

 あたしは夕霧太夫の所在を訪ねて回った。

でも、誰一人火事の後に夕霧太夫のことを見た人はいなかった。

顔が分かる骸ばかりでなく煤となったり赤黒くなって見分けがつかなくなった骸も見て回った。

その中にも夕霧太夫はいなかった。

やっぱりひいらぎが言うように夕霧太夫はこの大きな黒山の下敷きになったのだ。

そう思わないわけにはいかなかった。

明けて、店主も夕霧太夫を諦めて他の太夫や禿たちとともに法師らをよんでお弔いを行った。

阿波の鳴門屋が終焉を迎えたのだった。

その後、店主は火を出した罪により家財没収の上追放。

火を放った八百萬屋の徳衛門一味に御咎めはなかった。

役人に賄賂を送って籠絡したと噂が立った。

 阿波の鳴門屋で生き残った者たちは、故郷に帰る者、また他所へ流れて行く者それぞれだった。

ひいらぎも他所へ流れて行く方々の中にいた。

「伊左衛門さん。あたしと一緒に行かないかい?」

そう親切に誘ってくれたけれどあたしは断った。

あたしにはまだここでやることがあったから。

 こうして遊里一の揚屋、阿波の鳴門屋の後には巨大な黒い焼け山だけが残された。

宿場の人たちは、使えそうな木材を持ち去ったあと土をかぶせて塚とした。

どこかのえらい法師様が亡くなられた方々の数だけ卒塔婆を立ててゆかれた。

誰言うともなくそこを夕霧塚と呼ぶようになった。



 夕霧塚は気味が悪いと言って人は全く寄り付かなかった。

風が吹くと卒塔婆がびょうびょうと音を立てて鳴り、まるで地獄の鬼がすすり泣いているように聞こえたからだ。

そんな夕霧塚にあたしは夜中一人で出かけてゆく。

纏わりつく煤や炭で体中が真っ黒になりながら、黒こげの太い柱や欄間、巨大な屋根材をどかすのだ。

非力なあたしでは長い時間がかかるけれど、一つ一つ根気よく夜通しかけて崩してゆく。

雨の日も風の日も、それこそ雪の日も通い続けた。

「夕霧太夫も静かにしてもらいたかろうに」

「あんなに夕霧太夫にお世話になっといて」

「あさましい女だよ。伊左衛門は」

人はあたしのことを夕霧塚の塚荒らしと蔑んだ。

でも、あたしの想いは一途だ。

夕霧太夫のお美しさに地獄の閻魔様も黄泉からお戻しになるに違いない。

だから夕霧太夫はこの塚のどこかで生きていらっしゃる。

あたしはそのことを信じて疑わなかった。

探す手を休める時、あたしは必ず懐からゆびきりを出して見る。

それは今も夕霧太夫の御手にあった時のようにしなやかで美しいままだ。

これが夕霧太夫が生きておられる何よりの証拠。

これをよすがにきっと夕霧太夫を見付けて見せる。

人から塚荒らしと蔑まれても気にはしない。

だってあたしには夕霧太夫と交わしたお約束があるのだから。

そして、ゆびきりを額に押し頂いて心に固く誓う。

必ず夕霧太夫を見つけ出して青墓の杜にお連れすると。



 体の芯まで凍えるような寒い夜。

煤まみれだが見覚えのある欄間の下をほじっていた時だった。

欄間の虎の貫絵のその下に、(かんざし)があるのに気が付いた。

それは、夕霧太夫が身に着けていた印の簪、木の芽に象った赤いサンゴの簪だった。

夕霧太夫が病に伏せておられた頃、どんなにお体の具合が悪くてもこの簪を刺すと見違えるように生気を取り戻されたのを思い出した。

あたしが手を伸ばそうとすると簪の木の芽がきらっと光った。

暗いはずなのにと思って振り仰ぐと、いつのまにか鬼子神社で見たのと同じ月が昇っていた。

阿波の鳴門屋が焼き討ちされて、ちょうどひと月が経ったのだ。

光ったのはその月明りが反射したからだった。

簪に手を伸ばすと、不思議にそのあたりの地面だけが柔らかい。

これまでほじってもほじっても爪が割れるほど硬い煤の堆積に苦労していたのに、そこだけ緩い感触があって容易に掘り進められそうだった。

そのまま夢中でその場所をほじっていると、か細い木切れが現れた。

それは、はやく取り上げなければ消えてなくなりそうな儚い木切れに見えた。

あたしは欄間の隙間におそるおそる手を伸ばしてその木切れに触れた。

すると、その木切れはぴくりと動いたのだ。

微かだが、ほんの少しだけ、ぴくりと動いた。

さらにそっと握ると、その木切れにはかすかだが脈があった。

懐のゆびきりに手を添えてみる。

ゆびきりが木切れに呼応するかのように微かに脈を打っていた。

これではっきりとした。

木切れと見えたのは夕霧太夫の御腕だ。

その時あたしは、夕霧太夫との約束を果たすことが出来ると確信したのだった。



※20201225「たゆう」の表記を大夫から太夫に変更しました。
     「ひいらぎ」の呼称揺れを、地の文では「ひいらぎ」会話の中では「ひいらぎさん」に整序しました。
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