「夕霧物語」月影の夕霧太夫
文字数 1,310文字
あたしは、宿に泊まっている人に片っ端から、青墓のことを聞いて回った。
どの人もここに遊びに来た人たちで大概の場合が酔客であったので、知らないと言われ煙たがれるばかりだった。
しかし、街はずれで会った法師だけはあたしの知りたいことに応えてくれた。
その法師は手にした赤い傘の先で街の南を指しながら、
「青墓にはけちんぼ池がある。そこに入るとどんな病でも完治するが、その者の業が深ければ池に拒まれ成仏できずに永遠に人界を彷徨う」
と言った。
業だの成仏だのと法師の戯言など聞く耳は持たないものの、とにかく夕霧太夫をその池に連れて行けばよいと知れたのはありがたかった。
その晩、月影が窓の格子を透かし部屋の中を照らしていた。
見ると望月 で、あたしが夕霧太夫を瓦礫の中に見出してから5回目の、つまり半年が経ったことを知った。
その光があたしの隣に横たわる夕霧太夫の顔を照らし、あたかも白く美しい顔がもどったかのような感触を覚えた。
明日にはそれも現実となると思うと、このまま寝てしまうのが惜しいような気さえする。
「伊左衛門や」
と、夕霧太夫の声がした。
月の光に白く浮かんだ夕霧太夫の顔を見ると、太夫の片目が開いていてこちらをじっと見ていた。
「明日で別れだ」
確かに声はするのだったが、どこか遠くから響いて来るようで、少し開いた口から出ているようではなかった。
「太夫はきっとよくなります」
「いいや、あたしは沈んで浮かんでこないだろう」
「どうしですか?」
「業が深いから? かもな」
「そんなことはありません。夕霧太夫ほど慈悲深いお方はいません。だってあたしを拾ってくださったじゃないですか?」
「そのことよのう」
月がゆっくりと流れる雲の陰に隠れた。
すると夕霧太夫の声が途絶え部屋の中が沈黙した。
しばらくそうして沈黙が続いた後、再び月が窓に現れると、遠くから聞こえる夕霧太夫の声が再びもどってきた。
「おまえは海苔が嫌いだったね」
「・・・・」
「わかっているさ。なぜなら水脈に落ちた時のあの磯臭さはいつまでもいつまでも体に纏わりついてはなれないからだろ。まるで己が命をもてあそんだことを苛むように」
どうしてそのことを?
「あたしも海の匂いが嫌いだ。だからあの浜でぼろきれのようなお前を放ってはおけなかった」
夕霧太夫も身投げを?
「それで業が深いって、そんなの仏の言い分では?」
「罰当たりなことを言うではないよ」
夕霧太夫の声が優しくたしなめた。
なぜ誰からも受け入れられないのか。
なぜこんなにも生き辛いのか。
なぜ死のうと思っても死ねないのか。
……それはあたしだから。
「鬼子は……」
鬼子。
昔、育ての親からそんなことを言われたのを思い出した。
「鬼子は沈む。そしてまた鬼子として濁世に浮き上がる」
月に雲がかかって部屋の中が暗くなった。
夕霧太夫の声は止み、それ以後、何も語られることはなかった。
喉が渇いていた。
唇がかさかだった。唇に八重歯の先が掛かって裂け、血の味がした。
顔を上げると、Nさんがじっとあたしを見ていた。そのNさんはあたしの目を見るとにっこり笑って言った。
「おかえり鬼子のクロエ」
こうしてNさんが語ってくれたのは、ずっとあたしが夢で見てきた「夕霧物語」だった。
どの人もここに遊びに来た人たちで大概の場合が酔客であったので、知らないと言われ煙たがれるばかりだった。
しかし、街はずれで会った法師だけはあたしの知りたいことに応えてくれた。
その法師は手にした赤い傘の先で街の南を指しながら、
「青墓にはけちんぼ池がある。そこに入るとどんな病でも完治するが、その者の業が深ければ池に拒まれ成仏できずに永遠に人界を彷徨う」
と言った。
業だの成仏だのと法師の戯言など聞く耳は持たないものの、とにかく夕霧太夫をその池に連れて行けばよいと知れたのはありがたかった。
その晩、月影が窓の格子を透かし部屋の中を照らしていた。
見ると
その光があたしの隣に横たわる夕霧太夫の顔を照らし、あたかも白く美しい顔がもどったかのような感触を覚えた。
明日にはそれも現実となると思うと、このまま寝てしまうのが惜しいような気さえする。
「伊左衛門や」
と、夕霧太夫の声がした。
月の光に白く浮かんだ夕霧太夫の顔を見ると、太夫の片目が開いていてこちらをじっと見ていた。
「明日で別れだ」
確かに声はするのだったが、どこか遠くから響いて来るようで、少し開いた口から出ているようではなかった。
「太夫はきっとよくなります」
「いいや、あたしは沈んで浮かんでこないだろう」
「どうしですか?」
「業が深いから? かもな」
「そんなことはありません。夕霧太夫ほど慈悲深いお方はいません。だってあたしを拾ってくださったじゃないですか?」
「そのことよのう」
月がゆっくりと流れる雲の陰に隠れた。
すると夕霧太夫の声が途絶え部屋の中が沈黙した。
しばらくそうして沈黙が続いた後、再び月が窓に現れると、遠くから聞こえる夕霧太夫の声が再びもどってきた。
「おまえは海苔が嫌いだったね」
「・・・・」
「わかっているさ。なぜなら水脈に落ちた時のあの磯臭さはいつまでもいつまでも体に纏わりついてはなれないからだろ。まるで己が命をもてあそんだことを苛むように」
どうしてそのことを?
「あたしも海の匂いが嫌いだ。だからあの浜でぼろきれのようなお前を放ってはおけなかった」
夕霧太夫も身投げを?
「それで業が深いって、そんなの仏の言い分では?」
「罰当たりなことを言うではないよ」
夕霧太夫の声が優しくたしなめた。
なぜ誰からも受け入れられないのか。
なぜこんなにも生き辛いのか。
なぜ死のうと思っても死ねないのか。
……それはあたしだから。
「鬼子は……」
鬼子。
昔、育ての親からそんなことを言われたのを思い出した。
「鬼子は沈む。そしてまた鬼子として濁世に浮き上がる」
月に雲がかかって部屋の中が暗くなった。
夕霧太夫の声は止み、それ以後、何も語られることはなかった。
喉が渇いていた。
唇がかさかだった。唇に八重歯の先が掛かって裂け、血の味がした。
顔を上げると、Nさんがじっとあたしを見ていた。そのNさんはあたしの目を見るとにっこり笑って言った。
「おかえり鬼子のクロエ」
こうしてNさんが語ってくれたのは、ずっとあたしが夢で見てきた「夕霧物語」だった。