「書かれた辻沢 35」
文字数 1,991文字
誰かがドアを激しくノックしていた。
こんなシチュエーション最近あったような。
そうだ。このまま返事をしないと、ユウさんがドアを蹴破って入ってきて、真っ裸のあたしはものすごく恥ずかしい思いをする。
「ハイ。起きてます。蹴破らないで」
と慌てて飛び起きて返事をした。
「藤野くん! 大丈夫か?」
鞠野先生の声だ。
周りを見回す。あたしはベッドの上にいて裸ではなかった。
鉢植えの緑がベッドの脇まで迫ってきていて、部屋の中は土臭い匂いが充満していた。
ここはコテージではない。どこ?
そうか、ヤオマンホテルのミユウの部屋だ。
そういえばあの後、鍵をがっちり掛けてベッドの上に横になってたら、とめどなく涙が出て来て止まらなくなって……。
そのまま寝落ちしたのか。
「藤野くん! ボクだ。鞠野だ」
分かってるから。立ち上がってドアの所に行く前に、ちょっと寝起きの顔見たい。
壁の鏡を覗くと、ブルッた。
ミユウ!
でなくあたしだった。落ち着け、ミユキ。
ミユキ、あたしたち友達だよね。てか自分だし。
「ハイ。今開けます」
ドアの向こうにわかりやすく血相を変えた鞠野先生が立っていた。
「無事でよかった。心配した」
と言って、汗と排ガスの臭いを引き連れて部屋の中に入ってきた。
鞠野先生はあたしの居場所を常に把握している。ストーカーなのだ。
じゃなくて、あたしが記憶の糸を読み込みすぎて危険に遭わないように監視している。
やっぱりストーカーなんじゃないか。
まあいい。おかげで助けて貰ったことが何度もある。
どうやら今回もそういうことらしい。
「どうしてここに?」
鞠野先生は部屋に入った勢いそのまま部屋の奥まで突進し、窓の下を見回している。
「二日も動かないから、心配になって」
二日も? 時計を見ると、もう夕方。
「電話しても出てくれないし」
あれからずっと気を失っていたのだろうか。
鞠野先生の言うことからすると、丸一日どっかに置いて来てしまったようだった。
「場所が場所だから、なお一層」
と言って慌てて口を噤んだ。ミユウのことを言っているのだ。
「ミユウに会いました」
鞠野先生は振り向いてあたしの顔をじっと見た後、
「そうか」
とだけ言うと、そこにあった椅子に腰を掛けた。
「屍人でした」
鞠野先生は一つ頷くと、
「聞かせてほしい」
と言った。
そう言われて一瞬戸惑った。
あの経験を呼び戻すのにはまだ心の準備ができていなかったからだ。
生々しい体験として語れば、あの時そうであったように恐怖と悲しみとが綯い交ぜになってあたしを押しつぶすだろう。
でもこれは鞠野先生にも知ってもらわなければならないことだ。
あたしは部屋の中に自分の記憶の糸を探した。
それはレストルームの前に土気色をしてクチナワのようにとぐろを巻いて落ちていた。
あたしはそこに恐る恐る近づいて行って薬指を当ててみた。
そこにはあの夜のことがまざまざと語られてあった。
記憶の糸の中のあたしは恐怖も感じ悲しみもしていたが、気丈に振る舞って勇ましくもあった。
これがあたし? 少し自分と距離がとれた気がした。
そうしてやっとあたしは、鞠野先生に記憶の糸を読みながらあの夜の出来事を話せたのだった。
語り終わっても鞠野先生は腕組みをして動かなかった。
部屋の中が変な空気になりかけていた。
次、先生のターンですと言いかけたがやめて、あたしの方から質問をぶつけてみた。
「屍人は殺されたヴァンパイアの下僕になるといいます。ならばあのミユウはパジャマの少女の意向であたしに会いに来たのでしょうか?」
鞠野先生は少し考えてから、
「そのヴァンパイアがどんな意図を持っているかは僕には分からない。けれども今回のことは小宮くんの自分探しのように感じる」
部屋に入ってきた屍人のミユウは鏡に向かって、
「ミユウ、あたしたち友達だよね。あたしはミユウ。あなたは誰?」
と話しかけていた。
「自分が誰か分からなくなって混乱してた?」
「多分ね。で、自分と同じ顔をした藤野くんに屍人だと言われてさらに混乱した」
屍人は永遠に濁世を彷徨い歩く。それは血を求めてのことだと思っていた。
空腹を満たす衝動だけで何も考えず、それこそ無の中に存在しているのかと思っていた。
つまり、動いてはいるけれど死んだと同じことだと。
しかし、あのミユウは自分探しをしている。
それはあたしが今していることと一緒のことだ。
自分探しなど楽しいことなど一つもない。苦しいことだらけだ。
未だに半身すら見付けられないけれど、それでもあたしは勉強したり人と交わることで少しずつだが成長してそれを見付け出し、新たな目標に進むことが出来るはずだ。
屍人になってしまったミユウはどうか?
未来永劫、自分探しの呪縛から逃れることは出来ないのだ。
それはまさに地獄ではないか。
ミユウは本当の地獄に落ちてしまった?
あたしはミユウに再び会うことの困難さを改めて思い知ったのだった。
こんなシチュエーション最近あったような。
そうだ。このまま返事をしないと、ユウさんがドアを蹴破って入ってきて、真っ裸のあたしはものすごく恥ずかしい思いをする。
「ハイ。起きてます。蹴破らないで」
と慌てて飛び起きて返事をした。
「藤野くん! 大丈夫か?」
鞠野先生の声だ。
周りを見回す。あたしはベッドの上にいて裸ではなかった。
鉢植えの緑がベッドの脇まで迫ってきていて、部屋の中は土臭い匂いが充満していた。
ここはコテージではない。どこ?
そうか、ヤオマンホテルのミユウの部屋だ。
そういえばあの後、鍵をがっちり掛けてベッドの上に横になってたら、とめどなく涙が出て来て止まらなくなって……。
そのまま寝落ちしたのか。
「藤野くん! ボクだ。鞠野だ」
分かってるから。立ち上がってドアの所に行く前に、ちょっと寝起きの顔見たい。
壁の鏡を覗くと、ブルッた。
ミユウ!
でなくあたしだった。落ち着け、ミユキ。
ミユキ、あたしたち友達だよね。てか自分だし。
「ハイ。今開けます」
ドアの向こうにわかりやすく血相を変えた鞠野先生が立っていた。
「無事でよかった。心配した」
と言って、汗と排ガスの臭いを引き連れて部屋の中に入ってきた。
鞠野先生はあたしの居場所を常に把握している。ストーカーなのだ。
じゃなくて、あたしが記憶の糸を読み込みすぎて危険に遭わないように監視している。
やっぱりストーカーなんじゃないか。
まあいい。おかげで助けて貰ったことが何度もある。
どうやら今回もそういうことらしい。
「どうしてここに?」
鞠野先生は部屋に入った勢いそのまま部屋の奥まで突進し、窓の下を見回している。
「二日も動かないから、心配になって」
二日も? 時計を見ると、もう夕方。
「電話しても出てくれないし」
あれからずっと気を失っていたのだろうか。
鞠野先生の言うことからすると、丸一日どっかに置いて来てしまったようだった。
「場所が場所だから、なお一層」
と言って慌てて口を噤んだ。ミユウのことを言っているのだ。
「ミユウに会いました」
鞠野先生は振り向いてあたしの顔をじっと見た後、
「そうか」
とだけ言うと、そこにあった椅子に腰を掛けた。
「屍人でした」
鞠野先生は一つ頷くと、
「聞かせてほしい」
と言った。
そう言われて一瞬戸惑った。
あの経験を呼び戻すのにはまだ心の準備ができていなかったからだ。
生々しい体験として語れば、あの時そうであったように恐怖と悲しみとが綯い交ぜになってあたしを押しつぶすだろう。
でもこれは鞠野先生にも知ってもらわなければならないことだ。
あたしは部屋の中に自分の記憶の糸を探した。
それはレストルームの前に土気色をしてクチナワのようにとぐろを巻いて落ちていた。
あたしはそこに恐る恐る近づいて行って薬指を当ててみた。
そこにはあの夜のことがまざまざと語られてあった。
記憶の糸の中のあたしは恐怖も感じ悲しみもしていたが、気丈に振る舞って勇ましくもあった。
これがあたし? 少し自分と距離がとれた気がした。
そうしてやっとあたしは、鞠野先生に記憶の糸を読みながらあの夜の出来事を話せたのだった。
語り終わっても鞠野先生は腕組みをして動かなかった。
部屋の中が変な空気になりかけていた。
次、先生のターンですと言いかけたがやめて、あたしの方から質問をぶつけてみた。
「屍人は殺されたヴァンパイアの下僕になるといいます。ならばあのミユウはパジャマの少女の意向であたしに会いに来たのでしょうか?」
鞠野先生は少し考えてから、
「そのヴァンパイアがどんな意図を持っているかは僕には分からない。けれども今回のことは小宮くんの自分探しのように感じる」
部屋に入ってきた屍人のミユウは鏡に向かって、
「ミユウ、あたしたち友達だよね。あたしはミユウ。あなたは誰?」
と話しかけていた。
「自分が誰か分からなくなって混乱してた?」
「多分ね。で、自分と同じ顔をした藤野くんに屍人だと言われてさらに混乱した」
屍人は永遠に濁世を彷徨い歩く。それは血を求めてのことだと思っていた。
空腹を満たす衝動だけで何も考えず、それこそ無の中に存在しているのかと思っていた。
つまり、動いてはいるけれど死んだと同じことだと。
しかし、あのミユウは自分探しをしている。
それはあたしが今していることと一緒のことだ。
自分探しなど楽しいことなど一つもない。苦しいことだらけだ。
未だに半身すら見付けられないけれど、それでもあたしは勉強したり人と交わることで少しずつだが成長してそれを見付け出し、新たな目標に進むことが出来るはずだ。
屍人になってしまったミユウはどうか?
未来永劫、自分探しの呪縛から逃れることは出来ないのだ。
それはまさに地獄ではないか。
ミユウは本当の地獄に落ちてしまった?
あたしはミユウに再び会うことの困難さを改めて思い知ったのだった。