「辻沢日記 64」

文字数 1,872文字

 コンビニが見えてきた。田んぼの中にぽつんとある。

青墓からの微妙な距離。遠からず近すぎず。

きっとスレイヤーを目当てにしているのだろうけれど、あまり近いのも気味が悪いからきっとこんなところにあるのだ。

バイト代も他より高いかも知れない。

 黄緑の電話が外にあった。支柱付きの透明ボックスに入ったやつだ。

扉を開けて、受話器を取る。

104にかけてヤオマングランドホテルに繋いで貰った。

 応対に出た人に、

「あの、すみません。えっと、スカンポください」

 とぐだぐだで話すと、

「どちら様とお伝えしますか?」

 と聞かれた。

ユウの名前のほうが良さそうだったけれど、ここはあたしので、

「コミヤミユウと申します」

 嫌な沈黙があって、

「お繋ぎします」

 と言われてほっとした。

呼び出し音のあと、

「はい」

 とだけあって無言だったから、

「わたしコミヤミユウです。あの……」

 と言うと、

「ごきげんよう。どうされましたか?」

 まず、名前だけで分かってもらえたのが嬉しかった。

「いまお時間よろしいでしょうか?」

 と精一杯上品な応対を心がける。

「はい。シャワーを浴びてこれから寝るだけですので」

 夜野まひるのシャワー姿を思い浮かべた。

シャワーの飛沫があの透き通る肌を伝って落ちて行く。

「どうされました?」

 まずい。いきなり電話して変な想像してるとか、あたし失礼過ぎ。

「あの。すみません」

 思わず謝ってしまった。

「実はユウが動けなくて、朝早くに本当にすみません。助けてほしいのですが」

 としどろもどろ感いっぱいで伝えると、

「それはいけません。すぐ服を着てお迎えに上がります」

 裸だったの? 妄想が爆走しちゃう。

まひるさんにバス通りからユウがいる雄蛇ヶ池のほとりまでの道を伝えて受話器を置いた。

変な汗掻いた。

 駅前から雄蛇ヶ池まで車で来るのに15分? 20分くらいか。

着替えの時間も考えたら30分くらいみておいたほうがいいかもしれない。

 コンビニで甘い物でも買って帰りたかったが、店員さんがいなさそうなので諦めた。

第一ユウを一人で置いて来ている。急いで帰らねばならないのだった。

 バス通りを戻る。

相変わらず稲穂の匂いの風が吹いていた。

さっきは感じなかったが稲穂の匂いの他に何か嗅ぎ慣れない匂いがあった。

知ってるけどこんな所ではピンとこない匂いだ。

「ミヤミユ!」

 呼ばれて背中がゾクッとした。

振り向くと白いパーカーにデニムの女子がこちらに向かって走ってきていた。

一瞬ユウかと見まがう容姿だ。

でもユウはあたしをミヤミユとは呼ばない。

どうしてこんなところにクロエが?

昨晩ひさごで分かれた時と同じ格好をしている。

潮時明けにたまたまあたしを目撃したのだろうか? 

ならばミユキが近くにいるかもしれない。

そう思ってクロエに気取られないように周囲に目を配ったが、見渡す限りの田んぼだ。

視界の中に人影は見当たらなかった。

ミユキ、この間みたくクロエを見失った?

 クロエはあたしの元まで来ると、

「これ、忘れたでしょ」

 と言って、目の前に黄色い布を差し出して来た。

広げてみると、カレー☆パンマンのパーカーだった。

 どういうこと? 

なんでミユキに貸したものをクロエが持ってる?

潮時になにがあった? 

もしやクロエも鬼子を自覚したのか? 

 一気にたくさんの疑問が吹き出してきて、頭がクラクラした。

「どうしたの?」

 クロエが怪訝そうな顔をして言った。

「なんでもない」

 クロエが潮時明けの意識の閾にいるのだとしたらクロエも訳がわかってないはずだ。

今はクロエの思い通りにさせて、いちいち追求すべきでないだろう。

「くちびる紫色してるよ。寒いんならパーカー着たら」

 この汚れたTシャツの上からお気に入りのカレー☆パンマンは着たくなかった。

でも、クロエのすることに素直に従うと決めたばかりだ。

パーカーを着ることにする。

 着てみると、何故かこなれていない感じがしたが、肌寒さは治まった。

「ありがとう」

 というと、クロエはあたしの上半身をしげしげと見て、

「よかった。ぴったり」

 と言ったのだった。

まるで誕プレを渡したあとサイズを気にするみたいに。

 このままユウの所に行くのはためらわれた。

というのも、クロエはユウのことを知らない。

ましてそれが自分と瓜二つだとしたら、クロエの意識の閾での記憶にどんな影響があるかしれないからだ。

 散々迷ったが、ここはやはり雄蛇ヶ池で一人で待っているユウを優先させたかった。

 ミユキごめん。クロエが変になったら、あたしが全力でサポートするから、今回は許して。

ユウとクロエを天秤に掛けたようで心苦しかった。
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